8
「……いる」
ぽつりとナナが呟いた。
軍から離れ、街道を北西に旅すること二日。
エルフの郷の入口である。
太い木々が生い茂った森の中に点在する家屋。集落というより隠れ里とイメージが強い。
焦げ茶色の頭に生えた耳が、ぴくぴくと動いている。
しんと静まりかえる集落だが、ナナはこちらを伺う気配を読み取っていた。
「獣人がいるなら隠れても無駄か。何用だ。人間よ」
虚空に響く声。
男とも女ともつかない中性的な声だ。
応じて北斗が一歩進み出る。
「俺は北斗という。あんたらと話がしたい」
「話だと? 人間は言葉を知らぬものだと思っていたがな」
木立の影から現れる女。
さらさらと音を立てそうなほど艶やかなストレートの金髪と、深い森で眠りにつく宝石のようなグリーンの瞳。透けるように白い肌と触れれば折れそうな華奢な肢体。通った鼻梁、人間よりも大きく尖った耳。
驚くほど美しい。
思わず北斗が息を呑んだ。
森の妖精、エルフ族である。
リキとナナから予備知識は得ていたが、想像を上回ったそれは美しさであった。
「どうした? 人間。本当に言葉を忘れたか?」
皮肉げな微笑がエルフの口元に刻まれる。
どちらかといえば意地悪な表情なのだろうが、それすらも美しかった。
「……すまん。アンタがあんまり美人なんで、みとれちまった」
お世辞でもなんでもない。
そう長い時間を生きてきた北斗ではないが、女性に見とれるという経験は初めてである。
ちなみに、ナナだって充分に美人だしチャーミングだが、この男は初めて出会った際には気絶するという失態を演じた。
「外見などに価値を見出すか。相変わらず人間というのは謎だな」
「美人がそういうことを言っても、イヤミにしか聞こえないぜ」
なんとか精神的な再建を果たして北斗が笑う。
謎のポーズを決めながら。
一九六二年に発表されて大人気となったギャグマンガの登場人物がするポーズである。
アニメ化もされているし、平成も四半世紀を過ぎてからちょっとだけタイトルを変えて再々アニメ化され、やはり大人気となった。
まあ一口にいって不朽の名作だろう。
わりとどうでも良い。
「そのポーズには何か意味があったのか? どこかの部族の風習か?」
「細かいことを気にすんな。はげるぞ? あらためて、俺は赤羽北斗。なんで人間は言葉を知らないって言ったんだ?」
「セラフィンだ。人間たちの交渉とは、理屈で無理矢理ねじ伏せるか、暴力で言うことをきかせるか、どちらかだろう?」
「なるほど。そりゃ一理あるぜ」
「……お前は変わっているな。ホクト」
「良く言われる。俺ほど常識的な人間はいねぇんだけどな」
「オリーによく似ている」
「誰だよオリー」
「私の天敵だ」
「天敵と比べられたら、どう反応すれば良いんだよ」
「さっきのポーズで良いのではないか?」
「しぇ……て、何回もやんねえからっ」
冗談を交えながら、ナナとリキを紹介してゆく。
どうやら一次接触は友好的に果たされたようだ。
エルフの郷には、五十人ほどが暮らしているという。
セラフィンと名乗った女は、その五十名を束ねるリーダーであった。
「若いのにたいしたもんだな」
「若いか? お前よりは年上だぞ? ホクト」
家に案内され、いちおう茶などを振る舞われる。
客として扱ってはもらえるらしい。
「そりゃそうだろうが……」
外見的には二十代のはじめ頃に見える。エルフは長命だと事前にきいていたので、もうすこし歳を降っているかもしれない。
ただ、いずれにしても、郷の長というのは二十代や三十の若造に務まるような職責ではないだろう。
北斗の言った若いというのは、そういう意味である。
「人間からは若く見えるだろうが、いちばんの年寄りだからな。まとめ役とか調整役とか、そういう面倒な仕事を押しつけられるのだ」
肉体労働や雑用ばかり押しつけられると若手は嘆くがな、と付け加える。
だいたい世の中の心理だ。
歳を取るということは、それだけで責任を持たなくてはならなくなってゆく。
順調に出世したサラリーマンでも、若い頃は責任がなくて良かったなど振り返ることもある。
得心したのか、北斗が頷いた。
「こいつは単なる興味で訊くんで、嫌なら答えなくて良いんだけど、あんたはいくつなんだ? セラフィン」
「年齢を数えるというのは、あまりエルフにとって意味のある行為ではない。ゆえに、私もしかと認識しているわけではないが、人間の数え方でいえば五百年近くは生きていようか」
「なるほどな……」
「あれ? 納得しちゃうんだ? てっきり、また非科学的だーとかいって騒ぎ出すかと思った」
横から茶々を入れるのはナナである。
魔法は否定するくせに、エルフの長命は否定しない。
めんどくさい男だ。
「俺のいた世界でも寿命はどんどん伸びてたんだ。そりゃ千年二千年なんてのは夢のまた夢だろうけどな」
日本人の平均寿命が男女ともに五十歳をこえるのは一九四七年。昭和でいうと二十二年だ。織田信長で有名な幸若舞の一節『敦盛』ではないが、人間五十年であったのだ。
余談だが、この歌はべつに人間の平均寿命を指しているわけではない。
ともあれ、北斗の生きていた一九七〇年代になると平均寿命は七十歳をこえ、彼より未来の時代である二〇一五年には、男女とも八十歳をこえるのである。
エセ科学少年の北斗としては、科学の進歩とともに寿命も伸び、人間は不死に近づいてゆくのだと漠然と信じることができた。
「そんなもん?」
「ああ。いずれ人間だって何百年も生きるようになるさ」
それはどちらかといえば、ファンタジーというよりサイエンスフィクションの発想だった。
もちろん彼は、未来の人々が少子高齢化問題に頭を悩ませることになるとは知らない。
短命だったら短命だったで、長命だったら長命だったで問題というものは出てくるのである。
「けど、五百年も生きてるなら、この国の成り立ちとかも詳しいんじゃないか?」
建設的な質問をするのはリキだ。
セラフィンが軽く頷く。
「いかにも。私はオリーと面識がある」
「だから、誰だよオリー」
訊ねる北斗。
先刻からちらほら出てくる謎の人名である。
「愛称だ。本名はオリフィックだったな。お前たちの国の王様だよ」
「オリフィック・フウザー!? 稀代の大魔法使い!?」
目を丸くするのはナナとリキである。
三百年以上も昔の人物の知己が眼前にいるとは、この世界の住人である彼らにとっても意外きわまる事態だ。
「レア・ウィザード。そう呼ばれることも、あったな」
セラフィンの若々しい瞳に懐旧の靄がたゆたった。
「建国王を知っているんだな。仲間だったとか、そういうことなのか?」
「そうだな。ともに飯を食らい、ともに酒を飲み、ともに笑い、ともに泣き、ともに生きた者を仲間と呼ぶなら、私はオリーの仲間ではないよ。ホクト」
「どういうことだ? 愛称を呼ぶくらいの仲なんだろう?」
やや性急に問う少年を右手を挙げて制し、左手で木製のカップを持ち上げて唇をしめらせるエルフ。
「私は仲間ではないんだ。彼の作った王国を見限ってしまったのだからね」
呟き。
それは自嘲にも似て。
若いというより、未熟な小娘だった頃だ。
彼女はエルフの森での生活を捨て、大陸各地を放浪した。
世界を知りたかったから。
愛弓『エアリアル』を携え、魔物を狩り、冒険者の真似事のようなことをしながら暮らす内、セラフィンは彼らと出会った。
魔法使いのオリフィック。戦士のガドミール。
それは後に、ルーン王国を興す男と、ルーンの聖騎士と呼ばれるようになる男であった。




