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アキリウ子爵とバドス男爵が共闘した場合、主となるのは前者である。
これは格式の上からも戦力の上からも揺るがしようがない。
しかし、それではバドス家にとっては旨みがないのだ。
戦費を使い、兵を動かし、命を賭して戦って得られるものが、子爵家の余りものでは、いささか馬鹿馬鹿しいというものだろう。
「俺としてはな。ホクト卿。お前さん方と手を組むのもアリだと思ってる」
ぐいと顔を近づけるシズリス。
北斗は目線を外さなかった。
正面から受け止める。
こういう睨み合いでは、目をそらしたら舐められる。
内心でびびっていたとしても、顔だけはふてぶてしさを装わなくてはならない。
交渉術というよりも、チンピラなどとケンカするときの心得だ。
「俺たちと組めば旨みがあると?」
「そりゃあるだろ。男爵領を子爵と男爵でわけるんじゃねえ。子爵領を男爵二人でわけるんだからな」
「そいつは、ずいぶんとうまい話だな」
唇を歪める北斗。
アトルワ家とバドス家の戦力で、アキリウ子爵家に勝てるか、という議論を無視して結果だけを考えれば。
「どうだ? ホクト卿。甘い夢をみねえか?」
「アキリウ子爵を倒した後、その剣が自分に向くとは考えないのか? シズリス卿」
「それはお互い様だろ」
火花を散らして視線が絡み合う。
それは長時間のことではなかった。
ゆっくりと北斗が右手を差し出す。
握り返すシズリス。
この瞬間に、アトルワ・バドス同盟が事実上、締結された。
「なんかさ。あんまり信用できなくない?」
アトルーへの帰途、ナナが口を開く。
かなり不満げな顔だ。
交渉が不調に終わったからではない。むしろ順調すぎるほど順調に進み、共闘の合意を取り付けることに成功している。
「そうか?」
笑いながら問い返す北斗。
「だって、あの人の言ってることって、全部自分の都合ばっかりじゃん。ほんとにわたしたちのために戦ってくれるの? あれで」
思い出したのか、猫の耳が後ろを向く。
不機嫌な証拠である。
シズリスの主張は、まさに自分の都合を述べただけ。
ようするに、彼自身にとって利益となる可能性があるから北斗たちと手を結ぶ。
「俺たちのためになんか戦わないさ。あいつは。けどそれで良いんだよ。ナナ」
友誼のために戦う、なんて主張されたら、そちらの方がよっぽど胡散臭い。
彼らは初対面であり、固い友情で結ばれるほどの人間関係を構築などしていないのだ。
「むう……」
納得しがたいのか、ナナが軽く頬を膨らます。
「俺らだってあいつを信用なんてしていない。あいつも俺らを信用していない。けど利益があるから手を組む。そういう関係だよ」
「なんかフケンゼン」
「俺はああいう奴、嫌いじゃないけどな」
不機嫌そうなナナの頭を撫でてやりながら、北斗が微笑した。
自分の野心のために戦い、利にも聡い。
王国自体が斜陽であることを肌で感じるシャープな現実感覚も持っている。
こういう人間に、無私の友情など期待するのは間違いだ。
「得になることはやるし、長期的にみて得になるなら損も被る。逆に、どう考えても損失しか出ないなら指一本うごかさねえ」
北斗やアリーシア、ドバとしては計算しやすい。
自分たちの存在がプラスに作用する限り、裏切られる心配がないから。
気分次第でどう動くか判らない、などというよりずっと良い。
「お互いに利用するだけってことでしょ」
まだ機嫌が直らない猫耳少女。
理解はしたが納得はしがたい、というところだろうか。
これまで味方となってきた人々に比較すれば、たしかにシズリスというのは毛色が異なる。
利害の一致による共闘。
素直なナナとしては、あまり面白くないだろう。
とはいえ、いつまでも拗ねているほど彼女は子供ではない。
ふうと息をひとつ吐き、切り替えることにした。
「おしり」
「は?」
「おしり叩きなさいよ。それで機嫌なおしてあげるから」
「……あの? ナナさん?」
「はやくー」
「あ、はい」
白昼の街道。
ぺちんぺちんと尻を叩く音が木霊する。
一ヶ月あまりが過ぎ、ついにアキリウ子爵軍が動いた。
「予想よりやや早いが、まあ誤差の範囲だろうね」
斥候からの報告を受けドバが頷く。
代表者会議の席上。
集った一同が頷いた。
アリーシアを盟主と仰ぐ新生アトルワ男爵領の幹部たちである。
各同業組合の代表や、狼人や猫人の代表、新たに編成しなおされた騎士隊や傭兵隊の隊長格に加え、もちろん北斗やナナも列席している。
ちなみに北斗の役職は巡察使という。
何をする人なのか、字面だけではさっぱり判らないが、ようするにアリーシアの代理人として、市井の声を聴いたり、村を回って住民の訴えを聴いたりする役割だ。
アリーシアの目指す開かれた政治を体現するような役割で、兵権こそもっていないが、発言力や権限は非常に大きい。
どうしてそんな重要なポストに異世界からきた北斗が就任したかといえば、まさにその異世界からきた、という部分が理由であった。
ルーン王国旧来の価値観にとらわれず、先入観のない目で人々の生活を見ることでき、しがらみもないゆえ、真摯に訴えを聴くことができるだろうと判断されたのだ。
もちろん北斗だけで何もかもできるわけがないので、二人の補佐職が任じられた。
ひとりは当然のようにナナ。
いつもツーマンセルだから、というのと、最も虐げられてきた獣人がそばにあることで、より忌憚のない意見が聞けるだろうとの配慮である。
もうひとりは、リキという北斗よりやや年長で、頬に大きな傷のある男性だ。
傭兵出身で、じつは北斗もナナも面識がある。
かつてアトルーに潜入したとき、ナナをかばって北斗と戦おうとした熱血漢が、この男だ。
その後、男爵軍の中にあって北斗たちに協力し、決戦時には最初に降伏宣言をして男爵軍の士気を挫いてくれた。
縁のある人物で、北斗もシンパシィは強い。
気心の知れた相手とチームを組めるのは幸運なことではあるが、じつのところ、これは新生アトルワ男爵家の弱体を示してもいる。
なにしろ旧体制を維持していた連中は、軒並み退場してしまった。
政治の表舞台からも人生劇場からも。
結果、右を見ても左を見ても知っている顔ばかりということになってしまったのである。
けっこう深刻な事態であり、早急に人材の補強が必要なのだが、アリーシアの言葉を借りれば、まずは核を固めなくては空中分解してしまう。
全員が座る席を決め、その上で足りない部分を埋めてゆくしかない。
どんなことでも同じだが、一度にすべてを片づけることなどできないのである。
ともあれ、新体制の中で最も輝きを放っているのは獣人たちだ。
ずっと不遇をかこってきた彼らが、やっと働く場を与えられた。その身体能力もさることながら、虐げられてきたものたちのネットワークがある。
彼らは嬉々として仕事をこなし、とくに情報収集の分野において、新生アトルワ男爵家は他の領地の追随を許さない存在となった。
アキリウ子爵の軍勢が郡都リューズを進発したとき、すでにアトルーでは対策会議が開かれている。
情報にタイムラグがほとんどないというのは、この時代の常識ではありえない。
「数はおよそ四千。これもまた予想通りだね」
「となれば、こっちも予定通りに動くだけだな」
ドバの言葉に北斗が笑う。
アキリウ子爵軍四千に対して、新生アトルワ男爵家が動員できるのは千三百。笑ってしまうような兵力差だが、こちらには獣人部隊がいる。
奇襲や攪乱の専門家たちだ。
加えて魔法使い殺しの北斗。
三倍という兵力差が、はたして数字ほどいきるかどうか。
「全員、準備を整えてください。出撃は明朝。全軍をもって進発します」
すっと席を立ち、アリーシアが宣言する。
遅れて立ちあがった武官たちが敬礼した。
「ルマ卿。留守を任せましたよ」
女領主の視線が向かうのは、登用されたばかりの政務官。
酒場の主人だったという異色の前歴を持つ男爵の補佐役だ。
「安んじてお任せあれ。姫さんがいない間に、ちっとアトルーの掃除をやっておきますぜ」
「頼もしいけれど、やりすぎないようにお願いしますわ。ルマ卿」
花がほころぶように笑うアリーシアであった。




