疑心
久しぶりの投稿で申し訳ございません。
話は進まないです。
横になっているうちに眠ってしまっていたらしい。
生徒達の声が遠くに聞こえる。保健室は存外静かな場所らしく、今は嫌いな消毒液の匂いも心が落ち着く。今は何時なんだと目を開けて身体を起こし、いつの間にか閉じられていたカーテンを開くと、先生が居たはずの机に向かって1人の生徒が座っている。
物音に気付いて、その生徒はこちらを向く。
「むっ……おはよう。よく眠れたか?」
まだボーッとしている頭でどこか見覚えのある人だなと、その生徒の顔を見る。保健委員の西園寺先輩だった。
「どうした?」
「……いえ。今何時ですか?」
「何時……ああ、時計が止まってるか。今は昼休みだよ」
「そんなに寝てたのか……すみません、先輩」
先生と先輩に申し訳無さを感じてしまう。
先輩はキョトンとして、次の瞬間には優しい笑みを浮かべる。
「病人がそんな事を気にするな。体調が悪いならしっかり休め。梅雨の時期はただでさえ気分が落ち込みやすいからな」
「はい……ところで、どうして西園寺先輩がここにいるんですか?」
「保健委員の仕事だよ。本来なら私が付き添い教えながらキミ達1年2組の生徒がやるべきところだが、キミが体調不良で保健室にいると聞いてな。新谷萌さんに言って今日は無しにしてもらって、1人で出てきたというわけだ」
「ああ、委員会の時に言っていた……良かったんですか?」
「たかだか1時間くらいだからな。生徒会長絡みで迷惑をかけてしまった後輩への恩返し、とでも思っておいてくれ」
西園寺先輩は片目ウィンクも様になるなあと他人事のように思う。『その凛々しいお顔での茶目っ気ある行動で何人落としたんですか?』と思わず聞きそうになってしまった。
顔に出ていたのだろうか。不思議そうに見られて、目を逸らす。
「そういえば、中山君。キミのおかげで愁歌とも話し合えたよ。……流石にお互いに気まずくて、電話越しだったが」
「それは僕の力じゃなくて、生徒会長が自分から」
「だがな」
僕の話を遮り、少し表情を苦い物にして肩をガシッと掴んでくる西園寺先輩の手には結構力が入っていて呻いてしまう。
「なぜキミは自分を傷つける形で解決しようとする?あったはずの事実をどうして周りに伝えようとしない?私や愁歌の仲を取り持とうと、関係性を崩さぬようにしてくれようとした事は、話し合いの中で愁歌から聞いている。だが、どうしてだ?どうして自己犠牲をしてまで、そこまでしてくれる?」
顔が近い事とジッと見据えられている状況に耐えられなくて、目を逸らし続ける。というか生徒会長気付いていたのですか、そういういらないところだけ。
「そんなつもりは一切ないですよ。僕はそんな器用な事をできるような人間ではないので……あの、そろそろ肩が悲鳴をあげてるんで離してもらえませんか」
「っと。すまない……」
手を放し、申し訳無さそうに眉根を寄せる西園寺先輩。そんな顔もキマってていいですね!なんて心の中で現実逃避気味に思う。
「ふう……出会って数回の人間に対しての過剰な評価は、目を曇らせるだけなのでやめた方がいいですよ」
「自己犠牲精神はむしろマイナス評価だが」
「そういう話をしているんじゃないですよ」
「キミが言い出したんだろう」
呆れたように言われるのは心外だ。
「色々とめんどくさいので全てを終わらせてさっさと帰りたかっただけで、自己犠牲のつもりなんて欠片もありませんし。それにですね」
「失礼します」
「……」
「……」
「えっ、なんですかこの空気」
話をしていると誰かが入ってきて、目の前の西園寺先輩同様に変な顔になっているのを自覚する。
モミモミと自分の頬を揉みほぐし、改めて入室者を見る。
噂になっている一條生徒会長だった。
「愁歌」
「なっちゃん……」
どことなく気まずそうな2人。そんなことはどうでもいいとばかりに、ここに来た理由を問いかける。
「生徒会長も怪我か何かですか」
「いいえ。あなたを探していました……が、どうやらお取り込み中のようですね」
「そうでもないが……わざわざ保健室に尋ねてまで、中山君に何の用だ?」
昨日のことを顧みるに、西園寺先輩の疑問は当然の事と思う。ただ今日は──
「昨日の事を謝罪したいというのが1つ。今日の事についても謝りたいというのが1つです」
いつか見たような、流れるように取られる床への正座。呆気にとられる西園寺先輩をよそに、そのまま頭を床へ擦り付けるように……
「この度は中山奏さん並びに西園寺夏葉さん、そして保健委員会の皆さんにご迷惑をおかけしたこと。誠に申し訳なく」
「待って、本当に待ってください一條生徒会長。やめてください、ここでは本当にやめてください!」
土下座が安くて謝罪が軽いとかそういう話でもなく、この人は極端すぎてドン引きするレベルなんですけど。というかこの状況を見られたら普通に誤解されるから!何も言ってはいないけど、生徒会長のお友達が困った顔で見てますから!
「愁歌が土下座までとは……。そこまで思ってくれていたんだな」
「はい。昨日はなっちゃ……夏葉さんとお話をして、目が覚めました。わたしはまだまだですね。後輩である中山奏さんに指摘された時には正直に言うと苛立ちが勝っていましたが、今は反省しています」
「昨日も電話では話したが私は許そう」
顔を上げて正座した状態で、僕と西園寺先輩を見て話す生徒会長。西園寺先輩とはよく話したらしくて、仲が拗れなかったのはいいけれど、これ本当にどういう状況よ?
「僕は……」
「中山奏さん」
手で制して、キリッとした表情になる生徒会長。床に正座して今にも頭を床につきそうな状態じゃなければなあ……西園寺先輩と並んで、絵になるんだけどなあ……
「今朝は本当に、なんと言っていいか……周りにも誤解させてしまいましたね」
「いや、まあ……事故みたいなものですから。……というか思い出させないでください。これからの事を考えると、とてもしんどいので」
気持ち悪さは変わらず自分の中にあるけど、なんとか抑えつけて話はできている。今朝のは……あんまり考えたくないなあ。特に傍にいた生徒会長の後輩君の事とか。
頭痛がしてきたような気がして、こめかみのあたりをグリグリと押しながら話していると、西園寺先輩は何も知らないのか不思議そうに首を傾げる。
「中山君に愁歌。何かあったのか?」
「西園寺先輩にわかりやすく言うなら、挨拶運動をしていた生徒会長に抱きついた冴えなさそうな陰キャ男子がいたというところでしょうか。……けっして、そんな事は自らしないですよ。生徒会長人気そうでしたし、そんなの清水の舞台から飛び降りるくらいの無茶な行為ですよ」
「中山君の例えが今ひとつ分かりづらいが……そうか。だから、クラスの連中は落ち着きがなかったのか」
得心したように『ああ』と声を漏らす西園寺先輩。そして生徒会長を半目で見ている。
「大方、昨日の事があって気まずくなった中山君が通り過ぎようとしたところを、愁歌が自分の方へと引っ張って……というところだろう。前から自分がこうと決めた事に対して、それしか見えなくなるところがな」
「せ、説教はもういいですよ……なっちゃんには昨日散々怒られましたから……」
電話越しにどれだけ怒られたんだろうか。若干顔が青くなっている気がする。
「あの場所で謝罪するつもりだったのなら、それはそれで僕は恨まれていた気がしますね。後輩……僕にとっては同級生ですけど、彼のように貴女を慕っている人から見たら、僕のような人間が頭を下げさせてたら内心面白くないでしょうね。貴女の場合は特に土下座までしかねないですし……」
「非を認めたら謝るのは常識……いえ、昨日までの私が言えたことではありませんね」
「……なんでもいいですけど、そろそろ立ってください。昼休みも終わりますよ」
「なら、手を貸していただくことはできないでしょうか。一人で立てそうにありません」
どういう風の吹き回しなのやらと思いつつ、いい加減立つように伝えても僕に対して手を伸ばして、自分で立とうとしない。
いや、あの、西園寺先輩に手を貸してもらえば……あ、手を貸しだす気はないんですね。今の状況に目眩がしてきた。
とはいえ、このままにするわけにはいかないので、手を掴み引き上げる。同時に体勢を崩したか足に力が入らなかったのか、生徒会長は僕に飛び込んでくる。……重い。
「西園寺さんありが……何をしているの?ここはそういうところじゃないですけれど」
タイミング悪く、保健室の先生が戻ってきた。僕に抱きついた形になった生徒会長とそれを呆れ顔で見ている西園寺先輩を交互に見て、困ったような表情で声を上げる。
「違いますよ、生徒会長が立てないって言うから手を貸しただけで……」
「中山君の言う通りですよ。愁歌が悪いです」
「ご、ごめんなさい!」
離れて頭を下げる生徒会長に『はあ』と溜息を一つ吐く先生。
「もしかして、今朝の噂も真実は貴女のせいで巻き込まれた生徒が出ただけなのでしょうか」
「それは、その……」
赤くなって指を合わせてモジモジと動かしている生徒会長に、また一つ溜息を溢し、僕を見る先生。
「あなたは……まだダメね。ほら、昼休みが終わるからあなた達は教室に戻りなさい。西園寺さん、今日はありがとうございました。いつもいつも助かります」
「いえ、お役に立てて嬉しいです。……では、中山君。はやく元気になれるように願っているよ」
「ありがとうございます、西園寺先輩」
西園寺先輩とはまだ数度しか話していないとはいえ、心から感謝の言葉が言える相手ができて嬉しい限りだ。在学中は必ずついていきます。
なんて事を考えていると、生徒会長は先に出ていった西園寺先輩を追いかけずに、先生に断って僕に小声で話しかけてくる。
「昨日の事ですが、話したことを撤回します。西園寺夏葉さんや私に対して距離を取ろうとしなくていいですよ。……なんですか、その顔は?」
「いや、あの……昨日の今日で意見を180度も変えるって、どういう風の吹き回しですか?」
変な顔になっているのは自覚しているが、それだけ衝撃が大きいというのは察してほしい。昨日の蔑むような目も、敵視する雰囲気も、ドロドロとしたものを西園寺先輩に向けていたあの気味の悪い様子も、全て見られなくなっているのはどういう事なのかなあ……あなたは本当に一條生徒会長ですか?
「なっちゃんに言われました。先輩として、生徒会長として、後輩である中山さんに対して行った事は決して許されない事だと。自分で抱え込んでしまうあなたが、身を挺して私と西園寺夏葉さんの仲を取り持とうとしてくれたのに、その恩に泥を塗るのかと」
「……なんか、前半はわかるんですけど、後半はその……過大評価してませんか?僕は」
僕はそんなに出来た人間じゃないと言おうとして、本鈴が鳴ってしまいその機を逸する。
くすりと微笑み、『遅刻しちゃいましたし、急いで行かないと。これだけ渡しておきますね』と、何やらメモ用紙を制服のズボンのポケットに捩じ込まれる。
「──ほら、一條さん。はやく戻りなさい。中山さん?あなたももう少し休みなさい」
「はい、先生。……中山さん」
「なんですか?」
「あなたには苛つかされましたが、それはそれ。これでも、なっちゃんの事については感謝しています。ありがとうございました」
それだけ言って保健室を後にする生徒会長。
去っていった生徒会長が何を考えているのか分からず、僕も何かをしたわけではない。口が開いたまま呆然と立っていた僕の肩を叩き、無言でベッドに寝るように促す先生。
先生から見た僕はまだ戻ってはいけない病人らしい。素直に従い、横にならせてもらう。早退も考えたけど、どうやら帰してくれそうにないし。
目を閉じて、再び夢の世界へと旅立とうとした僕の心は、生徒会長への疑いと困惑、ベッドのあたたかさに与えられる安堵に包まれていて。少しずつ意識が薄れていく。
ポケットの中のスマホが何度振動しても気にせずに、渡されたメモも今は置いて夢へと逃げ込んだ。
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「まあ、それはそれとして。なんとなく癪に障りますね」
廊下に出た一條愁歌はポツリと零す。西園寺夏葉との会話は確かに彼女の心を動かすきっかけになってはいたようだが、それでも燻るものはあるようだ。
「何かお返しを、とも思いますが。あのメモも渡しましたし、それは追々ということで。彼はいっそ生徒会でこき使う……いえ、先生はともかく、なっちゃんは絶対に渋い顔をしますね。それに……あの子達がわたしを見る目がほんの少しだけ気になりましたけど、まさか昨日の今日で話してはいなかったでしょうし。今朝の噂が気になっただけでしょうか?」
小さく声に出しながら友達の顔を思い浮かべたのか、苦笑いしたあと、中山奏の行方を聞くために昼休みに1年2組へと自ら赴いた時の事を思い出す愁歌。どこか引っ掛かるものを感じつつ、それでも昨日までとは違い、少しだけ表情が明るい。
「ともあれ、恩には報いることにしますよ、なっちゃん。……苛立ちますけど、身から出た錆みたいなものですし、反省もしています。彼にはどうせ素はバレている事ですし、どういう手段でもいいですよね。なっちゃんには許可を得られていませんが……お気に入りかどうかはともかく気にかけてはいるみたいですし、許してくれるでしょう。なっちゃんですし」
長く小さい独り言の後、いつもの顔で教室へと入っていく。
漏れ聞こえる声を聞く限り、遅刻したのにも関わらず全員から心配されるだけに留まるのは、彼女がそれだけ信頼されているところにあった。
何かあったとはいえ、急に意見を変える人を信用できるでしょうか。ましてや、昨日の今日の関係性で。




