予兆
誤字脱字報告ありがとうございます!
後ほど対応させていただきます。
内容が濃いこの3日間ほど。
新谷さんに連れ出されてケーキを食べ、八宮先生に相談して生徒会長に会って、西園寺先輩に優しくされて、妹にいらない心配をかけてしまった。
心がドロドロとした黒い澱みに満たされそうになるのを、響や母さんと遊ぶことで祓うことができた。
響は何か言いたげだったけれど、一緒に遊んでいるうちにそれも忘れて、にこにこと昔のような笑顔で楽しんでくれていた。
対戦ゲーム、それもパーティゲームは僕が不得意な分野なので勝てなかったけど、それでも家族と過ごすのはとても楽しいし、心があたたかいもので満たされる。
今日はとても目覚めが良くて、機嫌も最高潮だったのは家族のおかげかもしれない。
だから、あの生徒会長にされた仕打ちもどこか遠い物に感じて、今日のはじまりはご機嫌さんだったんだけどな。
「おはようございます!」
「はい、おはようございます」
「お、会長だ!はよッス〜!」
「こら、後輩クン。挨拶はしっかりしないといけないですよ?」
「良いじゃないですか〜。会長はいつも堅いんだから〜」
「生徒会が模範とならないといけないので仕方ありませんよ。ほら、あなたも生徒会に入りたいなら挨拶運動の間くらいはしっかり挨拶してください」
「は〜い」
なんてやりとりを校門前で行う生徒会長と恐らく僕と同じ1年男子を見てしまう。そのやりとりを温かい目で見つめる数人の女子と男子。ファンでもいるんだろうか。
昨日の今日で一條生徒会長を見ると足が竦む。せっかく忘れようとしていた悪意を再び思い出してしまう。
『……すみません、つい手が出てしまいました。立てますか?』
『言い方を変えましょうか。立て』
『わたし達に与えられた数少ない権利を奪い去ろうとするあなたのような生徒には、相応の対処をしなければなりません』
『最低なのはあなたのようなコバンザメですよ。権力に擦り寄り、生徒会を愚弄し、権利を奪い去ろうとするクズです。まあ、今回の件は目を瞑りましょう。ただし、西園寺夏葉さんには、これ以上近寄らない事ですね』
言われた事が、振られた悪意と力が思い出されていく。グルグルと頭の中を思考を掻き乱し、心に浅い傷を何度もつけていく。
このままでは学校に入ることなんてできない。だけど今ここで帰るのも父さんや母さん、それに響にもいらない心配をかけてしまう。
「これは仕方ないんだ。挨拶無しで駆け抜けろ、お前ならできるぞ奏……。余計な物と関わるな……」
自己暗示を掛けるように、自分を奮い立たせるように。小さく何度も、何度も繰り返し呟く。
周りの生徒は『なんだコイツ』という目で見て、そのうち興味を失い校舎へと消えていく。
覚悟を決めて、集団で登校している生徒に紛れつつ一気に駆け抜ける。
驚きの表情で津田君に見られた気がしたけど、一切を無視して校門を抜け──
「中山さん」
「えっ、わっぷ」
──ようとして生徒会長に腕を引っ張られてそのまま彼女の……
「きゃあああ!!」
「え、何!?男子が一條様に抱かれてるわ!?」
「な、なかやま……何して……?」
チクチクと硬い金属部分とそれを感じさせない柔らかい感触に顔を突っ込む形で抱きとめられる。
「あっ……ご、ごめんなさいっ!違うんですよ、中山さん!そんなつもりは……!」
「生徒会長。い、いいから離してください……」
「は、はい!!」
生徒会長に離されてすぐに距離を取る。呆然と僕の顔を見ている先ほどまで生徒会長と談笑していた同じ1年の男子に対する申し訳無さと、どうして助けてくれなかったのかという理不尽な思いを乗せて目で伝える。多分伝わってないけど。
「アイツ……顔は覚えたからな」
「あの男子、自分から一條様の胸元へ……」
「いや、違うだろ。生徒会長が腕を引いて、勢い余った感じだったぞ?」
「ところで、会長となんだか知り合いっぽくない?」
「生徒会長なんだから、オレたち冴えない生徒の事も把握してるだろ」
「どこの超人の話よ……そんな記憶力の良い、咄嗟に名前が出てくるようなリサーチ力もある人間なんて現実にいないと思うけど」
ふわりと香る甘い匂いが良いとか、柔らかな感触にショートしそうだとか、あの生徒会長が何か用なのかとか、赤面して前髪をいじる姿がかわいく見えて悔しいだとか、これも悪意の一つかと思って吐きそうとか。
色々な意味で心臓がバクバクしているのと、あーでもないこーでもないと周囲がぺちゃくちゃと喋るから脳が混乱して。
「え、中山さん、ちょっとまっ──」
気がついたら走り出して校舎内へと駆け込んでいた。
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『生徒会長に抱きついた男子がいるらしい』
教室で机に伏せっていると、そんな話があちこちから聞こえてくる。噂話はみんな大好きだからなー。
なんて他人事みたいに思っているけど、今僕の顔を見られたらバレるのは確実だし、接点があまり無いはずの1年でもどうやら人気みたいだったのでその男子が僕だとわかってしまった時には……
「中山君。中山君てば」
「……」
「寝てるのかしら……」
後ろの席の渡貫さんが僕の丸まった背中を揺らしているのはわかる。でも起きるつもりは毛頭ない。
「委員長、まだか?」
「そうね……どうやら眠っているみたいだから、あの先輩には悪いけど帰ってもらって」
「わかった。……すみません、先輩。今の中山はこの状態なんで。良ければ昼か放課後に来てやってください」
先輩と呼ばれる誰かが僕を尋ねて教室に来ていたらしい。声からして津田君が対応してくれていたのかな。
何も聞こえてませんし知りませーんという態度を伏せ寝という形で示していると相手は帰っていったらしい。ホッと息を吐く。
そのタイミングで予鈴が鳴り、教室内は慌ただしくなる。
「中山君。いい加減起きないと先生に怒られるわよ」
「ん……もうそんな時間なんだね。渡貫さん、ありがとう」
一応ずっと起こそうとはしてくれていたので、お礼だけは渡貫さんに振り向き伝える。
「どういたしまして。さっきお客さんが来てたけれど、生徒会長のお使いだったみたいよ」
「生徒会長?僕に何用なんだろ」
「さあ。さっきの事じゃないかしらね、中山君」
「なんのことかな……」
「さあ?何のことかしらね?」
渡貫さんのからかうようなトーンに、目を逸らす。
クスクスと面白がるように笑っている渡貫さんに、溜息が一つ溢れた。
「渡貫さん、僕が困ってるの見て楽しんでるでしょ」
「そうね」
「そうねって……」
肯定されてガックリと肩を落としていると、渡貫さんは笑みをそのままに机に肘をついて別の方を見ている。
視線の先には予鈴がなっても席に戻らない上村さんと赤羽君が、上白沢さんと新谷さんに話しかけているのが見える。本来ならそこに渡貫さんも加わっているのだけど、もう授業も始まるからね。
本鈴が鳴って、先生が教室に入ってきたので前を向く。
「こんな事をしていられるのもね。今のうちだけ、だもの」
本鈴の影に隠れて、どこか寂しげに呟かれる言葉が妙に耳に残る。本人にどういう意味か問おうとしたけど、授業が始まったので後ろを振り向くこともできない。
仕方ないか。そう思い、授業へと意識を向ける。
数字がたくさん並ぶことになる数学は目が滑る。なんというか、一つ一つの数式にいちいち『この前はこうやって……ああ、あの時はあの人がこう答えて……前も思ったけど先生のネクタイ似合わないな』とか徐々に横道に逸れて余計な事を考えちゃうから、解答時間が足りなくなってしまう。
今のこの思考も無駄な考えの一つではあるんだけど、集中したい時に限って別のことに意識向けちゃうのは誰にとってもあるあるだと思うんだよね。例えば掃除中に漫画読んじゃうとか。
手元のシャーペンの書く方とは逆の、ノックする部分を額に当てて広げられた教科書の問題を考えてるふりをする。
ふと視線を感じて窓側の席の方を見ると、美山さんと津田君がこちらをチラチラ見ているのに気がつく。美山さんに関しては僕を睨んでいるような険しい表情だけど。……何かした心当たりしかなくて目を逸らす。
逸した先では先生と目が合い、数秒見つめ合う形になった。そのうちにニヤリと口を歪ませる。
嫌な予感がするけど、視線が外せない。
「中山、今日はやる気十分だな?じゃあこの問題は中山に解いてもらおう」
やっぱりか。……まあ悪い先生でもないし、テスト範囲やこれから先に使うことになる公式も根気強く教えてくれるから、悪感情は芽生えないけど、みんなの前に出て黒板に書くという行為は少し恥ずかしい。
「……その問題を解いたら許してください」
「正解したら考えよう」
「そんな横暴な……」
「ほら、時間は有限なんだから書くんだ」
「はい……」
諦めて前に出る僕を心配そうに見ている新谷さん。僕はできないヤツと思われてるのかと自分に少し情けなくなった。
黒板の前に立ち、目の前の式を見ているとふと何かを思い出しかけて──
「……中山?」
おっと、先生に時間をかけるなと言われたばかりなんだからさっさと解かないと。
いつの間にか息が荒くなっていることに気が付き、その事に疑問を抱きつつも深呼吸して落ち着いてから、一気に問題を解いていく。
「正解だ。約束通り、戻っていいぞ。この問題の解き方は今度の期末で出すから、みんなも忘れないようにするんだぞ」
「ありがとうございます」
生徒が正解したら言葉でこそ淡泊な反応だけど、数学の先生は声のトーンと表情でこれ以上ないくらいに喜んでくれるので、こちらも嬉しくなる。
そのまま気分良く席に戻ろうと、みんなの方へと振り返る僕は一瞬怯んでしまう。いつもは気にならない視線も、全て悪感情の乗った物に見えてしまう。
どこかで感じたような気持ち悪さに息が詰まる感覚。
それと同時に、幼さを残している声が頭の中で響いてくる。
──キョウヤ君もミイナちゃんもアヤメちゃんもどうしてコイツに
──ミイもアヤもだまされてるんだよ
──キョウヤ君かわいそう……
──そこはおまえの場所じゃないんだって何度言えば分かるんだ
──また、コイツのせいで
──さっさと学校やめたらいいのにね
……。
「……先生。体調悪いんで、保健室行ってきていいですか?」
「あ、ああ。すまない、気が付かなくて。確かに顔色が悪いな……保健委員、付き添ってやれ」
「わかりました。中山く──」
「別に1人で良いですよ。授業を止めてしまい、すみません」
新谷さんに対して目でついてくるなと訴えると、彼女は怯んだように浮かせた腰を再び椅子へと落とす。
後でメッセージを送って謝罪しておこう。とも咄嗟には思えないくらいには、今にも吐き出しそうで気分が悪い。その後は誰とも目も合わせず教室を出て保健室へと向かった。
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「失礼します」
保健室は昔から苦手だ。薬の匂いと消毒液の独特な匂いが感じ取れる。病院ほどではないけど、死の匂いというものだろうか。……いや、その表現は流石に怒られるな。
過剰なほど清潔に保とうとされている空間の特有の香りに、眉をしかめる。いつかの怪我が疼きそうで、今感じている気持ち悪さと相まって逃げ出したくなる。
そこでこちらに気づいたのだろう。机に向かって何か書類を弄っている女性が、顔を上げてこちらをまじまじと見てくる。養護教諭だろう。恐らく。
「あら、こんな時間に珍しい。……そうね、ベッドなら一つ空いているから右側の物を使っていいですよ」
「あの、先生……ここに来た理由、聞かないんですか?」
ふむ。と声を漏らし、僕の全身を見る。
視線が少しこそばゆい。
「怪我ならもう少し狼狽えているし、痛みを感じている様子もない。顔色が悪いように見えるから別の要因で、でも寝不足とか栄養不足な様子でもない。ただ、泣き出しそうなほどに顔を歪めているもの。そんな子に教室に帰れなんて言えない。別に保健室は物理的な問題だけを解決する場所でもないもの。……受け入れる理由はこんなところかな?まあ場所は限られているからいつも空いているわけではないけれど、今日は運が良かったということにして休みなさい。詳しい事は話したくなったら話せばいいですよ」
変な先生だなと思ったけど、それだけ僕の顔は酷いみたいだ。お言葉に甘えてベッドで休ませてもらおうと頷く。
僕の反応に満足そうにして、再び机に向かう先生。
「……ありがとうございます。休ませてもらいますね」
声を掛けるとひらひらと手を上げて反応を返す先生。
詳しく聞かれても僕には答えようがないけど、原因はなんとなくわかっている。昨日の生徒会長絡みの事が、自分の思っている以上に僕の心を抉っていたのかもしれない。他の人からしたらムカつくくらいで済むんだろうけど……。
昔の事まで思い出すなんて……。
……。
吐きそう……。
ずっと悪い事だけが頭の中をグルグルと駆け巡るので、全てを忘れようと保健室のベッドに潜り込み、目を瞑った。




