転校生君と放課後の話し合い 3
理不尽と悪意
廊下にはまだ陽が差しており、橙のようなあたたかな色が冷たく暗かった通路を照らしている。
不気味なほどに静かな校内。運動場や体育館の方から響く生徒達の活気ある声がどこか別の世界からの音に聞こえた。
「……中山さん」
「なんですか、生徒会長さん」
下駄箱へ向かおうとする僕を呼び止める彼女へと振り向く。
瞬間、僕は後悔した。ドロリとした得体の知れない『色』が生徒会長の目に現れている。
「っ……」
思わず息を呑み、一歩後退る。
彼女はそんな僕の様子に表情を動かすわけでもなく、ただ静かに僕を見ている。……その『色』に呑まれそうだった。
「中山さん。あなたは、わたしに何か聞きたいことがありそうなご様子でしたけど、なんでしょう?」
「そう、ですか?特にはないですけど」
僕がそう答えると、彼女は冷たく笑う。なんだか最初の印象が吹き飛んでしまうくらいには、別人かと錯覚するほどの冷たさだ。
「わたしの言葉を欠片も信じていなかったのに、何もないと。そう言いたいというのですか。面白いですね」
そんな素振りをした覚えはない。けれど、全てを信じるには怪しい部分もあったように感じる。欠片も信じていないと思われていた部分は抗議したいけど。
「信じていないわけではないですよ?ただ、生徒会がそんなつまらない理由で保健委員会“だけ”をハブるかなあと思いまして。書類が見当たらなければ謝罪して改めて提出を促し、自分達も許可を得るために手助けをする……というのが生徒会のやるべきことだと思っていたのもありますけど」
「ハブる?……ああ、保健委員会だけを除け者にしたということですか。何度も言いますが、資料が見当たらなかった。だから提出されていたかも分からない。だけですよ」
嘘だなと、思った。
少なくともさっきは、提出されていたことに一條先輩は気づいていたように話している。焦りからなのか、元から虚言癖があるのかは定かではないけれど、話しているうちに内容が少しずつ変化している。変わらない内容の部分が真実なのには違いないだろうけど。
「……それで、結局僕に何を言いたいんですか?」
「白々しい。八宮顧問を味方に引き入れて、なっちゃ……西園寺夏葉さんに気に入られようとしているのでしょう?」
「何を言っているんです……?」
一瞬言われていることの意味がわからなくて、混乱した。
西園寺先輩に気に入られようが、別に僕にはメリットも何もないんだけど。
「生徒会の顔に泥を塗る悪い後輩が、保健委員会に居るとは思ってもいませんでしたが」
「自業自得なんじゃないかな……」
「何か?」
「ああ、思い浮かんだので一つ、また聞きたいんですけど」
聞こえていないわけがない生徒会長に対して反応を無視をしつつ、話し始める。
「最初、許されない事をしたって土下座してましたけど、あれはどういう?」
「資料が見つからないなんて事は、今回で初めてでした。なので、あれはわたしなりの贖罪です」
「少し……いや、かなり驚きましたけど、八宮先生にはそれでいいと思います。ただ、保健委員会には、西園寺先輩にまず説明と謝罪をしてくださいよ」
「あなたが保健委員会代表だと……」
「どうして先輩に対しては、それが出来ないんですか」
先ほどの先生とのやり取りで否定したはずの代表云々の話をまた持ってきたので、気になっている事をぶつける。
生徒会長の瞳の奥にあるドロドロがまた濃くなったような錯覚を受ける。
「……」
「答えたくないなら別に僕は構いませんけど、八宮先生には絶対に突かれると思いますよ。なんにしても、やらなきゃいけなかった事が出来ていない時点で生徒会なんて──
僕が言葉の続きを紡ぎ出す前に生徒会長の体がユラリと動いたかと思うと、強い衝撃を受けて次の瞬間には、僕の体は壁に激突していた。そのまま床にへたり込んでしまう。
痛みは不思議と……っ?
「かはっ!ガッ……う、うぅ……」
冷静に思考が出来ているだけマシかもしれない。いや、だいぶ不味いかも。背中の痛みが少し遅れてやってきて、それに、今、息ができない。
「げほっごほっ…今、何を……」
咳き込み続け、ようやく息ができるようになった。自然と滲んでくる涙をそのままに生徒会長を見上げる。
視線の先には酷く冷たい氷のような、刺すように見下ろす彼女の目があり、怯んでしまう。
「……すみません、つい手が出てしまいました。立てますか?」
「あれだけ、の事……しといて、なんの、つもり?」
「言い方を変えましょうか。立て」
「うっ……」
手を差し出されたので軽く拒否をしていたのを、無理矢理右手を握られて引っ張り上げられる。
力強さだとか、立ち上がらせるのに非効率だとか色々と言いたくなったのを眼力で封じ込められてしまう。なんだ、この気味の悪い人……
ただ、どこか見覚えのある悪意……これを悪意と言っていいのかはわからないけれど、なんだか冷たい汗が背中を流れるような感覚を覚える。
心臓の鼓動が早鐘を打ち、息も荒くなっているのが自分でも分かる。自然と壁に凭れるような形になり、このまま壁と一体化して消えてしまいたいななんて馬鹿な事も考え始めている自分に苦いものを覚えていた。
「わたし達生徒会は、物語の中のように強い権利を持つわけでも、ご都合主義的な事ができるわけでもありません」
「何を……」
「ですが、わたし達に与えられた数少ない権利を奪い去ろうとするあなたのような生徒には、相応の対処をしなければなりません」
何を言っているのか理解ができない。だけど。
西園寺先輩も生徒会に何かをしていたのか……
「もしかして、西園寺先輩も……」
「いえ、違いますよ。彼女は友達ですし、こちらは資料が見当たらないから起こったことだって、さっきから言っているじゃないですかっ!」
苛立ち紛れに僕が凭れかかっている壁に手を勢いよくつける生徒会長。その手が顔に向かっていたのはわかっていたので、ズラして押し付けられないようにしたのは正解だったかもしれない。
こんなに嬉しくもない壁ドンのようなものもない。心臓が痛いくらいバクバクと鼓動している。
「っ……仮にも生徒会長が、一生徒に詰め寄っているところなんて見られたら、不味いんじゃないですか?」
「生徒会長の言葉と冴えない1年男子の言葉。皆さんはどちらを信じますかね?」
「……最低ですね、先輩。謝罪すべき人に謝れないし、生徒に寄り添うはずの生徒会が暴力なんて」
「最低なのはあなたのようなコバンザメですよ。権力に擦り寄り、生徒会を愚弄し、権利を奪い去ろうとするクズです。まあ、今回の件は目を瞑りましょう。ただし、西園寺夏葉さんには、これ以上近寄らない事ですね」
『彼女の困り顔が見られなくなる……』とか、ぶつぶつと呟いているこの人の感じ……思い当たる節がある。
そう、小学生の時に美山さんや川瀬さん、そして津田君と話している時に周りから感じていた『悪意』そのものだ。
まさか、西園寺先輩も……なのか。
痛みに苦しむ状況と今にも吐きそうな気持ち悪さを必死に抑えて、生徒会長を自分から離す。生徒会長が西園寺先輩を友達と呼んでいたけれど、友達に対しての仕打ちじゃないよね。ここは僕の感覚はおかしくないはずだ。
「……」
なのに、言葉が出ない。僕の口は動いてくれない。心臓がうるさい。こんな事なら、面倒くさがらずに周知させるアイデアを考えるべきだった。
後悔先に立たずとは言うけど、あまりにも予想できないことが起きて、僕自身困り果てている。
八宮先生、もっと早く介入すべきでしたね!あなたの担当している生徒会、少なくとも生徒会長は腐ってますよ?なんて、軽口を叩く内心に皮肉めいた笑みを浮かべる自分がわかる。
僕は妹の読んでいる本の中に出てくる登場人物の様に、サラリと解決できるわけでもないのに。明らかにややこしい話に首を突っ込むべきじゃなかったんだ。さっきのコーヒーのミルクのような優しさを返してくれよ、生徒会長さん。
「中山さん。わかりましたか?」
僕の顔を見て、明らかに侮蔑的な表情を浮かべている目の前の彼女。ただ、もう僕は何も言い返す気力もない。
暴力だけじゃない。『友達』というものへの更なる疑問を浮かべさせた時点で、生徒会長の勝ちだ。相手は気づいていないし、そもそも勝ち負けなんてないんだけど。
ドロリとした黒い澱みが僕の思考を蝕み始める。最初から西園寺先輩に関わらなければこんな事にならなかった。新谷さんや他のみんなだって関わり続けていれば、いつかはこうなるんだ。
そんな考えばかりがグルグルと巡る。吐き気が込み上げ、全身の血の気が引いていく。凭れている力も失われ始めて、うまく立っていられない。
「……もう、関わりなんて」
漏れてしまった小さな言葉のその先を口にしてはいけないと何かが押し留める。生徒会長が訝しげに再び何かを口にしようとして、廊下にコツンコツンという音が響き、音の方へと視線を向ける。
「愁歌。後輩君に何をしているんだ?」
西園寺先輩……




