愛が全て、だが…
王都に戻ってきても会いに行ける友達は、もういない。
アーサーが出世して高収入を得てはいるが、その三分の一はコレットの薬代で消えているため、節約しなければ生活が出来ないのだ。
(田舎町にいた時は何も思わなかったのに…あの頃は、慣れない生活に追われて、エミリーもまだまだ手がかかって…忙しかったのね。お金を使う事なんて考えなかった。
でも今は違うわ。
折角、収入が増えて、時間の余裕も出来て、私も昔みたいにオシャレを楽しめる環境にいたっていうのに。
アーサーだって私が着飾れば「綺麗だよ」って言って喜んでいたのに。
今じゃ、まるで姑のように細かいし、「節約しろ」とか「家計簿をちゃんとつけろ」とか「余計なものを買い込むな」、なんて言うのよ。いつの間にあんなに煩い男に成り下がったのかしら?
今まで家のお金についてなんにも言ってこなかったのに。私とエミリーの持ち物を見た後からかしら?「君に家計を任せておけない」なんていって、必要最低限のお金しか渡さなくなったわ。なんで?私はいつも一生懸命しているじゃない。なにが不満だったの?訳が分からないわ。こんなことなら、お父様の言う通り、金貸しの男爵に嫁いでいればよかったかしら?)
アンヌは今更な事を思った。
当時は、まだまだ若い娘。
お金よりも愛が欲しいと思っていたのである。
侯爵家が貧乏である事は当時から有名であったこともあり、アンヌのアーサーへの想いは、決して邪なものではないと、本人は勿論、周りもそう思っていた。
(男爵は、お金だけは沢山あったのよね。でも、何て言うのかしら?本当に私を愛して求婚しに来た風には見えなかった。
高価そうな物もプレゼントとして沢山くれたし、会えば必ず私を口説いてきたけど…あの目が嫌だったわ。温度の無い覚めた目。冷たい目で何時も私を見るのよ?
あの目で見られると、何もかも見透かされている気分になって嫌だった。
私とアーサーの事を知っているような目が、私を責め立てているようだった。お前たちは間違っている、そう、訴えられている気がして気分が悪かったのよ。
本当に嫌だった。
私を愛しているのか疑問に感じたって仕方ないでしょう?)
そういう意味でも、アーサーと男爵は逆だった。
アーサーがアンヌを見る目は何時も熱かった。熱い眼差しでアンヌだけを見つめ、耳元で愛を囁いてくれる。それのなんと甘美な事か。
(他の女性がアーサーにちょっかいを掛けても、彼は見向きもしなかった。いつも私を「一番に愛しているよ。可愛いアンヌ。君よりも美しい女性は他にはいない」って言ってくれたわ!)
それは結婚した後も変わらなかった。
(そうよ!やっぱり、アーサーを選んだのは間違いではないわ。私の幸せには、彼の存在が必要不可欠なのよ!昔読んだ小説のように!美しく愛し合う恋人達が、周囲の反対を押し切って結婚する。そして誰も知らない遠い地で二人っきりの新たな生活が始まり、周囲の人から暖かく見守られる中で、生まれてくる可愛い子供と幸せな家庭を築く。完璧じゃない!私が好きだった小説のヒロインと今の私は同じよ!ヒロインは元の場所に戻ってこないけど、そんなことは些細なものよ!物語のヒロインは最後には必ず幸せになるんだから!)
娘時代に熱中して読んだ恋愛小説さながらの現実。
それにアンヌは酔っていたのだ。
(後は、アーサーが前のように私の傍にいて、前のように愛を囁いてくれればいいのに。仕事、仕事って私をほったらかしにして!でも、それもこれもコレットの治療代を稼ぐためですものね……自分の妹じゃなかったら切り捨ててるところよ!)
あの妹は私が姉である事を感謝するべきだわ、と思うアンヌであった。アーサーが知れば卒倒しただろう。
五人姉妹の真ん中の娘であり、すぐ下の妹が大人しく庇護欲を煽る塊であったため、アンヌは余り周囲に甘えることが出来なかった。そんなアンヌが無条件に甘えることが出来る相手が、幼馴染のアーサーだった。
しっかり者として通っていたが、アンヌは生来、ロマンチックな性質であり、それ以上に、楽天的でタフであった。
もっとも、そうでなければ貴族の令嬢が平民として暮らしていけるはずもない。
(帰ったらアーサーに言ってみようかしら。コレットの治療代をもう少し抑えてくれるように。エミリーにもっとお金を掛けたいって言ったらきっと頷いてくれるわ)
豊かな暮らしを捨ててまで駆け落ちした二人。
普通なら、金が尽きたり、生活苦になった時点で、関係は破綻する。
愛だけで生活は出来ない。
この場合、女性の方が先に音を上げるケースが多い。
それと言うのも、外の世界を知る男性よりも、家の中で傅かれ何不自由なく贅沢に生きてきた令嬢の方が参ってしまうのだ。
貴族令嬢として蝶よ花よと育てられてきた人間に、真逆の生き方は出来ない。
だからこそ、侯爵家は二人の行方を追う事はおろか、調べる事も無かったのだ。
アーサーとアンヌの二人が平民として暮らしていけるはずがないと踏んでいた。
金がなくなれば愛情も消え失せるであろうと。
男であるアーサーは兎も角、アンヌにまともに働くことは出来ない。出来たとしても、それは春を売る仕事に他ならないと周囲は考えていた。
何もアンヌが憎くて、そう思っていたのではない。
幾らメイドとして働いていたとしても、アンヌも実家に帰れば、傅かれる側である。
没落貴族の娘の行きつく先は大体そうであるのだ。
アンヌは没落貴族ではないが、似たようなもの。最悪、野垂れ死にして、もう、この世にいないとも考えていた人間も多かった。
まさか、結婚して子供まで生まれ、平民として幸せな家庭を築いているなど、どうして思えようか。
そんなものは小説の中だけの話である。
アーサーとアンヌの二人が、曲がりなりにも幸福に暮らしているなど、彼らの元家族や親族、友人、知人が知ればどう思うか。
なかには復讐に走る者もいるだろう。
そのことを二人は未だ知る由もなかった。




