25 おじいちゃんの昔話
「か、乾燥パン?」
「ああ」
「それと干し肉だけって」
「ああ?」
昼下がり、家から出た所ですぐにレックスに捕まった。まるで出て来るのを待ち構えていたような俊敏さ……話しを聞いてみると本当に待っていたらしい。森へと続く村の出口には昨日の狼の一件から野生の獣を警戒して見張りに立っていて、人が通る事をよしとしていない。
結果、どこにも行けずものすごく暇らしいのだが。付き合い程度に始めた会話が自分達の食事の話題に移った途端目の色は変わり、疑わし気な眼差しをこちらへと送ってくる。
「だましてるだろ」
……何をだ。
「はぁ? なんでわざわざお前を騙さないといけないんだよ、嘘なんて言ってない」
「そんな、だってさ!」
「だって?」
「そんな……貧相な食生活で生きていけるなんて! そんなの人間じゃない!」
「……オイ」
昨日は殊勝に謝って来たと思ったがそれもその時だけのものだったらしい。ますます無遠慮に敬いだとか尊敬とか、そういうのが抜け切った全く無縁の言葉で言い切ると自分に向かって胸を張る。どうだ、その通りなんだろと態度だけで示すレックスに頭が痛くなる思いも沸くがその発想にも若干だけど頷ける。
……確かに村に来た当初は苦労したものだ。味気ないどころか呼吸器官を塞ぐ凶器になりかねない乾燥パン。唯一の塩気食材である干し肉も客観的に見れば異様に硬くて歯応えが酷い。それでも人というものは偉いもので慣れというものが出来つつある。たかが食事だ、無心無希望。何一つ願いを込めずに臨んでしまえば味気ない食事だって耐えられる、干し肉に至っては貴重な栄養源。
昨日の夕食にあった思いの他おいしく食べられた干し肉を思い出し、貧相な食生活でも人は人らしくいられるんだと悟りを開いてレックスに向かい合う。
「いいか? 食事なんて言ってしまえば……喉を通ってしまえば同じだし」
「……えぇ」
「あ、いや、言い過ぎたかもしれないけれどオレくらいの冒険者になってくると味なんて二の次になってくるんだよ! 内容とおいしさにこだわっている内はまだまだ二流。それよりもいつなんどき、やって来るかも知れない緊急事態に備えて英気を養って……」
「保存食で?」
「え……いや、まぁ」
無理があった。それは分かる。
純真で真っ直ぐ、しかし絶対悪心まみれであろうレックスの笑みを見下ろし言葉に詰まった。どうすれば上手く言えるかと考えている内に当のレックスは自ら「そうか」と頷き理解ある笑みでこちらを見る。
何か上手い事伝わったのかと安心して息を吐くと笑うレックスの口元からキラリと眩しい白い歯が覗いて。
「よし分かった! オレが何とかしてあげるよ!」
「何、とか? いや別に何も気にするなってオレはこれで結構――」
「任せて!」
「……」
大きく被りを持って手を振り上げられる腕。何かの決心を秘めたような笑み。
絶対何かを勘違いされた。それだけは分かった。それもヒシヒシと溢れてくる嫌な予感にレックスを止めようと腕を上げ――
「今夜は、コワードの為に宴会をしてあげるよ!」
「……え」
思いもよらないレックスの発言に伸ばした腕は虚しく空を切った。
――――――――――。
デセルテ村来訪五日目夜。シルドと一緒に寝床代わりに利用している空家に今夜初めて来客らしい来客がやって来た。
ちなみに、招待をした覚えは一切ない。
「……」
食事の時くらいにしか使わない居間の中、重い荷物を運び終えドカリと音を立てて座り込んだ白髪の老人アール。曲がった腰を上から叩き、それでもふわりと笑った顔でこちらを見る。
「ハハハ、嬉しさの余りつい、年甲斐もなく少しはしゃいでしまいましたかね。今日はありがとうコワードくん、私みたいな老い先知れぬ老体をこのような場に呼んで頂けて……ただこの場に居るだけでこうして若い皆さんに囲まれているだけで私自身まで若帰ったような気分になれます、少しだけ気恥ずかしいですがね」
「……」
アールは笑み、『恥ずかしさ』の欠片すらも感じさせない声で笑っている。片手で並べられた大皿の位置を軽く直し、もう片方の空いた手では傍に居るレックスの頭を強く撫で回すようにグリグリと。
……まるで我が家の如く寛いでいる様子だ……勿論呼んでない。そもそも昼に勝手に言い出したのはレックスだけ、それもよく問い質す前に走り出して行ってしまった為に半分以上が冗談だと思っていた。少なくとも、こんな陽も落ちた夜更けに家族団らんを見せ付けられるなんて思いもしない。
撫でられるがままだったレックスは次第に居心地が悪そうに、小さな身体を前後左右に振り迫って来るアールの腕を避ける事に注意しながら見上げている。
「まったく、じーちゃんは。こんな場所で騒いで子供じゃないんだからな! それと、オレも子供じゃないって……いつまでも、そんな撫でてるな!」
「ふぅ、分かった分かった。本当に最近のレックスはつれないね……実の祖父より出来たばかりの友達の方が気になるか。じーちゃん、少し悲しいかな」
「はああっ!? 何言って」
「照れるな照れるな、よしよしよし」
「だ・か・ら、離せって!」
「……」
……何してるの、この祖父孫二人。
人の家(元々村のものである空家だが)まで来て何してるの。
アールの執拗に追う腕を跳ね除け、身軽な動きで躱したレックスは床から躍り上がるように走り出すと自分の隣まで入り込む…‥そのまま人を盾にしての防御体勢。距離を離された向こう側では、白く細く立ち昇る湯気の向こう側でアールが楽しそうに笑みを浮かべていた。
普段であれば簡素な食事と水筒程度しか並ばない床の上に今日はデカデカと存在を露にする大皿が二つ。一つは濃いクリーム色をした煮物らしく形がそのまま残る程大口で切られた野菜が中で転がり、出来立てを示すように湯気に混じり煮立てた乳の柔らかな香りが漂う。もう一つの大皿は一転して豪快な肉料理、焼き目のついた一口サイズの切り身に脂身は少ないながらも溶け出した肉汁が透明な露となって皿に滴り落ちている……鼻を突く独特の香辛料の香りはカヘルでも嗅いだ覚えのないモノ。こっちの地方独自のものか想像が付かない味に胃の底が小さく鳴き声を上げた。メインの大皿を囲むように配置されている緑菜のサラダが盛られた深皿が五つ、隅の方に味気ない乾燥パンなどさっさと忘れろと自分を誘惑してくる白色のパンのスライス、バケットの中でふんわりと傾くその姿はそれだけで柔らかさを想像させる。グラス代わりにと用意された陶器がこれまた五つそれぞれ参加者の前に置かれていた。
「……」
呼んだつもりは全くない。ない、が……勝手に出て来る涎は生理現象のようなものなのだから仕方ない。
「にひひ」
「……なんだよその気持ち悪い笑顔」
「おいしそうだろー、なぁコワード」
「う、ぐっ……ま、まぁまぁ」
にへらと崩れた笑いを浮かべながらふんぞり返って寄り掛かってくるレックスに素直に褒める事が面白くない、半怒り半笑い、無理矢理しかめて見せた視線の先でもう一人の闖入者が間延びした声を上げて話しに参加してくる。
「いえいえいえー、すごくおいしそうですよ! ね?」
「……」
「……」
「あれ……ね!?」
「……」
「……」
「あれ」
勝手にやって来たレックス、しかしそこに一つ誤算があったとすれば何故かこの人がこの場に居ることだろう。元々呼ばれる所か親しくもない輪の中に平気で入り、今日は大人し目の色合いで切れ目も入っていないドレスを着込んだ女性。笑顔で料理を褒めて何とか会話に入ってこようとしているが……この人、なんで居るんだろう。
「それが、料理持って来る途中にバッタリ会っちゃってさ。すっごく強引に『私も参加したいです』って言ってきて」
「……へぇ」
「あらあら、小さい方の冒険者さん。お酒はいかがですか、王都で直接買い付けをした限定の果実酒です。いえ感謝なんて結構ですよ、その代わり後で私の車まであの子達を見に来てくれさえすれば……ああ、なんでもありませんわ。コレ私大好きなんです、さあさあさあ」
「……厚かましい」
「あつかましいよね、ウン!」
「……」
何故かちゃっかりと加わっているイネスに首を縦に大きく振って同意を示すレックスの姿……それを見て『お前が言うな』と喉先まで言葉が出掛けるが何とか飲み干す。
元々グリッジを呼んで五人でやるつもりだったらしい所に、急な用でグリッジが参加出来なくなり、空いた一枠を狙って強引に……昨日まで予想もしていなかった居間の大所帯に、よくないと思う反面鼻先を刺激する優しくも主張の激しい香りに胃袋が従順を示し『まぁいいや』と安易に納得しそうになるが、一つだけ……どうしても見て見ぬ振りが出来ないものがこの場にはあった。
「―――――」
「あ、ははは」
……シルドだ。
「―――――――」
シルドが、今にも取り殺さんばかりの勢いでこちらを睨んでいる。
想定外のメンバーは居るがそれでもアールの声掛けによりそれなりに会話が続き、それでも一人輪に入らず談笑に笑みすら浮かべずに見下ろしているシルド。離れた壁に寄り掛かり後ろ手に隠して握っているハルバードが影に紛れて不気味に揺れている。こんな状態で睨まれているのに平然として居られる訳が――
「さ、さ、乾杯しましょー、乾杯。お酒注ぎますわ」
「コワード、このお肉おいしいよ」
「いやぁ楽しいですね、ウン」
「……」
……訳が無い。
「おい、コワード」
「やっ、わ」
「勝手に、こんな所に人を呼んで何のつもりだ」
「いや違う、本当違うから」
「……」
「……わ、わ、違っ、ホント」
「まぁいい」
短くそう言い切るとシルドは背を向け、しかしどこかに歩き出す事はせずその場に留まっている。もしかして本当は参加したいのかと下から顔を覗くがそんな素振りは一切無く、不機嫌そうでイライラとして、絶えず視線はこちらを見ている。
「……」
食べる前から胃が痛い。
自身は手を付けず見下ろすだけのシルドの手前、自分も食事に手を伸ばせずイネスによって注がれた酒をひと舐めする程度に一口。果実酒とはいえ度数は高いのか果物の甘味が来る前に舌で踊る苦さ……やっぱり慣れない酒なんかよりも食事の方がいい。
「コワード……食べないの」
「うっ」
横から見上げてくるレックスの目に少しだけ不機嫌になり出す雰囲気を感じ取る。勝手に隣に陣取り、誰に遠慮する訳でもなくパクパクと食事を進めるレックスだったがここに来てからは一度も。その目でシルドを見る事はなかった。
「……まぁシルドさん、貴方もこちらに来て食事を楽しみましょう、おいしいですよ」
「……」
最年長のアールが柔らかな笑みを浮かべてシルドに声を掛けるが、当の本人はそちらに一瞥をくれただけで答えもしない。僅かに外れたアールへと向けて外れた視線はすぐにまた自分へとピンポイントし、なるべく見ないように心掛けても背中から襲って来る言いようのないプレッシャー。
隣のレックスの圧力……宴会ってこんなに息苦しいものなのか。
「おいしいです!」
呑気に酒を飲んで食事に手を出しているイネスがひたすら羨ましかった。
「ふん」
平気な顔をして鼻で息吐くレックスは何か恨めしそうに自分を見た後は料理にばかり向かっていく、煮物、肉、時々サラダ。レックスも余り酒が好きじゃないのか勧められたものでもないがその手は料理にばかり向かう。
やはり、壁寄りに立つシルドへは一切向けられない視線に何となく感じ取る……見ないのではなく、きっと見られない。
「……」
つい昨日見せられたばかりの凶行、その場で怯えた姿は見せたレックスだったがそのすぐ後には立ち直っていた。立ち直ってみせたように目に映ったが今日はシルドの関わる会話には一切加わろうとはせず、関心も全く見せない様子でいつも以上にベタベタと寄り掛かって来る体重で肩が若干重い。
これでも、頑張ってる方だろう。同じように自分がこの年であんな景色を見せ付けられた時には。
「はぁ」
……逃げ出さずにいられるかどうか、正直余り自信が無かった。
「よければ是非。ウチの者が手間を掛けて作った料理です、都市に慣れた方の肥えた舌を唸らせるかどうかは決して不味いとは思いませんよ。肉も少し珍しい肉ですから」
「……」
「珍しい? 何の肉です?」
無言のシルド、出来上がりつつあるイネス、見ないレックス。その中で唯一果敢に話し掛けるアールに助け舟を出すべく会話を繋げた。少しだけ『珍しい』という単語に興味を引かれた部分もある。シルドに睨まれ未だに自分も手を付けられない料理。それは牛か、豚か、都市から離れた辺鄙な村。一体どんな肉なのか興味がないこともな――
「狼です」
「ぶっフ!」
「ちょ、うわコワード汚い」
「わ、ワル、ゴホッへっ……う、あ、オオカミ?」
「ええ、何故か運のいい事にほぼ瀕死の状態の一匹狼が村の外に居たらしく。居合わせた村の若い奴が今日トドメを刺したんですよ」
「ああ……」
「一度群れが崩壊するとこのようにはぐれ狼がよく出るのでそれで森へ入る事は今禁止しているんですがね、危ないですから」
「ああ……そう」
ぼんやりと答えつつ、頭では別の事を考える。
そうか、逃げられなかったか。
元々半死半生の最後の一匹。見るからに死に損ないのような姿にこのまま長く生き延びられるとも思わなかったが……まさか襲ってきた相手がそのまま食卓に上がってくるなんて……というか狼って食べられるんだな、知らなかったよ。
「毒なんて入ってません、どうぞ」
「……」
「シルドさんも心配で……このまま置いて無視してどこか行くなんて出来ないんでしょう。だったら座っていても同じ事じゃないですか?」
「……チ」
「それになんでしたら酒の余興に私が面白い話しをしますよ」
フッと、語り掛けるアールの口元に悪戯めいた光が宿った。向かう視線は立ち尽くすシルドを見て、次いで自分に。イネスによって勧められた果実酒が揺れる容器を口元で傾け、深く皺の寄った目元に細められた目が一瞬遠くを見た。
「冒険者様であるなら興味深い話しのはずです、昔はわざわざこの話しを聞く為だけに来るような人も居ましたからね」
「へぇ~」
「気にした事はありませんか。最初の『モンスター』」
飲み込む酒で喉を鳴らし口元を指で隠し、その向こう側でアールは静かに息を吐く。
「化け物と呼ぶに相応しい最初の異常個体、それが酷く暴れた話しです」
「じーちゃんの話しは長いんだよ」
隣から茶化すレックスにアールは「そうかな」と笑い声を溢し、しかしその視線はしっかりと自分を見ていた。