02 コワード、足を攣る
「はいクエスト終了、お疲れ様」
「はぁ」
目線よりも少しだけ下、茶色い木目のカウンター席に腰掛けるリザリアは『証文』を受け取るとにこやかな笑みを浮かべる。手渡した瞬間に見えた、薄っぺらい紙の上では『カヘル警備兵詰所』というやたらに仰々しい印が押されており。
……静かなロビーに響く延々とした雨打ちの音。その耳引く音色に顔を向ければ半透明のガラス窓をまるで滝のように降って行く雨の流れが見える。
昼前から降り出した強い雨は、どうやらまだまだ衰える様子も見せないらしい。
「どうかしたコワードくん?」
「いや、別に」
そのままぼーっと外を見続けたのが悪かったのかカウンター奥から伺うように見てくるリザリアに軽く頭を振るって応える。
カウンター席の他には2,3の机と通路だけでほぼ一杯になってしまう程の狭い空間。意識を戻すとどうしても感じずにはいられない疲労と身体の重みに肩は勝手に下がり、目に付いた、まだカウンター上に乗せたままであった依頼表を手に取ると上から下まで視線を滑らせる。
口を突いて飛び出てくるのは溜め息ばかりだ。
「これ、仮病じゃないですよね?」
『緊急依頼! 伝令伝達員の代理人
クエスト依頼者:ダウンゼン・コリノ 対応クエストランク:コワード君指名依頼(やったね!)
街を上げての防災訓練を前に伝達員役の人が病気で寝込んでしまった。彼の代わりとなって訓練に参加しよう。
クエスト内容:カヘル東区の本部テントを出発し、北区、南区の仮設テントを回り集めた情報を本部に持ち帰る。それぞれの場所には監視員の人が立っているからズルをしちゃダメだよ!(雨天決行) 記述 リザリア・ベルツ』
「……」
いや……。
いや、もうこの際クエストの書き方には目を瞑るとしよう、そうしよう。
……冷静に、冷静に考えて、依頼表の上から下までをもう一度よく見直し、その結果どうしても感じずにはいられない素朴な疑問が湧き上がる。
「いや……なら、その監視員走らせろよ」
「えっ……ああ、いや……アハハハハ」
「あああああっ、うあーもうーあああーーーっ」
口から飛び出る魂の咆哮。そのままカウンターに突っ伏すように身を投げ出すと、重く伸し掛る痛みにピクピクと身体が震える。鈍い痛みと倦怠感、ついでに吐き気……完璧に筋肉痛だった。
「絶対、絶対わざとなんだ、わざと仕組んだんだろう、くそぉ」
「いや……あは、は」
思い返すだけでもひどいクエストだった。
サイズ?知らない子ですね、と言わんばかりの無駄に大きく重い全身鎧、出来るだけでいいからと笑顔で突き付ける全力疾走強要、恨むべき雨天決行の憎い文字。やり終えた今になっては達成感のような爽やかな気分より、ぶり返しに全身を襲うピキピキと痙攣する筋肉に涙すら滲み出してくる。もう、ひどい。何ていうか、もうこれ以上ないくらいにひどい。
「ま、まぁ、ふふふ……コホンッ」
全身を使って表現する抗議の姿勢に、リザリアは浮かべる乾いた笑みを一旦引っ込めると小さく咳払いを一つ打つ。笑みから一転してちょっとだけかしこまった表情で口元を引き締めるとこちらを見た。
「だけどねコワードくん、おかげで凄い助かったって達成証明にも書いてあったよ? まぁ、確かにただの訓練かも知れないけど正式な依頼だったし、何よりこの訓練、結果を王都まできちんと報告しないといけないんですって」
「は、報告?」
「ええ。今年はカヘルに王都から視察団が来るから……何年に一回か程度なんだけどね、辺境都市の視察に偉い人が来るんだよ。だからその時に何かあった場合に必要な訓練だって。つまり、コワードくんの活躍はある意味国家クラスの大貢献だったわけだよ?」
「……はぁ」
「あれ、嬉しくない? ほら、国指定の冒険者になったような気がしてくるじゃない」
「いや、ないです」
「ええー」
自分の言葉に何故か驚きの声を上げるリザリアだが、そりゃそうだろう。こんな『誰でもいいから』みたいな本音が透けて見える依頼に参加した所で「やぁオレ、国の為に頑張った冒険者」なんて胸を張れるはずがない……むしろ恥ずかしいだろう!
突っ伏した姿勢の為に感じる机の固さと冷たさに吐き出した息が掛かり少しだけ白い靄が生まれる。
感じるやるせなさやらだるさの中、その時初めて普段であったら居るはずの姿が居ない事に気付き、右に左にもう一度首を回して眺めた後リザリアに向き直る。
「そういえばディガーは? いつもなら顔を見せそうなのに」
「うん? お父さんだったらちょっと来客があるからって……もしかして何か用事があった?」
「いや、用事というか、何というか……ほら、こういうクエストだったらむしろ一番ディガーが適任そうかなって」
「適任?」
「鎧とか似合いそうで」
「……ああ」
ポツリと漏らした呟きに、リザリアも何か思う所があったのか苦い笑みを浮かべ頬に手を当てる。……きっとその頭の中では同じようなものを思い描いてるはずだ。禿頭大柄、全身筋肉と言って間違いのないあのディガーが全身フル装備の鎧を纏った姿を。
「……」
想像の中……正直、似合い過ぎて怖かった。
更に想像は一歩先を行き、鎧を着込んだ姿のディガーがそのまま『コワードちゅわぁあん』と野太い猫撫で声で絡んで来る場面を想像してしまい……全身を恐ろしい寒気が走り抜けたので慌てて頭を振るって吹き飛ばす。
「や、と、父さんも無理だからね。だって用事があるんだから」
「はぁ」
「……何も想像してないわ」
「いや、聞いてないです」
……わざわざ断りを入れるリザリアは、どれくらいひどい姿を想像したのか、間違っても聞きたいなんて思わない。
まるで何事もなかったかのように「ふふふ」と繕い笑うリザリアにクエストの文句をもう二言三言愚痴りたい気分であったが、言い出し掛けて飲み込む。
全身を回る疲労のせいで頭がよく働かず、カウンター席から身を起こして離れると寄ってしまった衣服の皺を伸ばすように数回手で叩いた。触れた手触りに若干の水気が混じっているがこれでもかなり乾いた方であり、一度は濡れ鼠となってしまった事を考えるともう思い起こすことすら億劫になってくる。
「あれ? コワードくん、どこか行くの?」
「どこかっていうか部屋で休みますよ、疲れた……」
「そっか、うん、お疲れ様!」
ニッコリと雨のわずらわしさも忘れるような爽やかな笑みをリザリアは浮かべるが、それに対して笑みを返す事もない。
重く感じる身体を引き摺ってギルド横の通路をくぐれば、反対側の宿屋ロビーへと出る。ギルドに比べたらまだ利用頻度が多いせいかこちらの方が若干広く感じられ、ふと思い立ってディガーの姿も探してみるが、見つからない。……どうやら来客があるからという話しも本当らしい。
「……うまくいかないな」
1人、ロビーの中には他に誰もいない為小さな呟きが漏れる。
身体は痛いけど……本当だったらクエストの報告も、もっと潔く行うつもりだった。だけど実際自分が慰められてもいいような立場になるとついつい溢れてしまう愚痴に、自分可愛さが顔を出して来たような感じがして嫌になる。
――変わりたい。
「はぁ」
そう、思ったはずだ。それも、決心をしてからそれ程長くも経っていない。だけれど実際には邪魔をする現実と理想の誤差に。勇ましく思い切りのいい格好良い人間になりたいと思っているはずなのに、胸底の重苦しい空気が変わらない。
「……」
それはきっとこの、いつまでも振り続ける雨のせい。薄暗い景色と筋肉痛の疲労が原因だからと思い込み、横手の階段に触れるとゆっくりと登っていく。
これは、いつか本当に自分が変われば愚痴りと思う気持ちすら消えてくれるのか。
「はぁ」
それはまだ辿り着けていないから何も分からない。
………………………。
「っ、げん、かいだー」
バタリと、倒れ込むようにして自分の部屋のベッドへと飛び込むと酷使した手足が痺れと痛みを訴える。
受付からここまで、ただの階段登りを正直舐めていた。筋肉痛がバキバキでスムーズに登れないかもと覚悟はしていたつもりが、階段を登り切りようやく自分の部屋まで着いた頃には既に色々と限界。
何とか耐え切った出迎えてくれる柔らかいシーツに目を閉じれば薄く洗剤混じりの香りが鼻をくすぐった。
「……」
もう、このまま眠ってしまおうかと薄くだけ開けていた視界に、目に入った窓に水気で歪んだ外の景色が目に入る。暗い色の街中に暗い路地に……ふっと小さく息を吐き出すと視線を自分の左腕へと移しシャツの袖へと手を添える。
……余り指先にも力が入らない中、手首から肩へと向かって巻き込むように折っていくと自分の腕の肌色の部分が大きくあらわになる。
途中まで捲った袖の折り目、肘の手前辺りで肌の色に変化が訪れ、ギザギザ模様で丸く切り取ったような痣に、そこだけ少し肌が白く変色してしまっている。
「……っ」
恐る恐る伸ばす指先で、もう痛みは感じないと分かっていながらもゆっくりと触れるとどこかザラッとしたような固い感触。意を決し指の力を増して強く押し込んでみるが、それでも湧き上がってこない痛みに安堵の溜め息がこぼれ落ちた。
「大丈夫、大丈夫だ」
ゴロリと寝転がり捲った袖を手早く戻すと口元を引き締める。……完治までは随分と掛かってしまったがようやく治った。だからこそ復帰一番目として受けたクエストだったのに…………いや、もう考えるのはよそう。それよりも大切なのはこれから先。今は雑多な手伝い程度のクエストしか受けられないけれど、もっと力を付けて技術が追いつけば……きっと。
「よしっ」
気持ちを切り替えるように意気込むとベッド横に立て掛けておいたクロスボウに目をやる。
使う機会は最近激減してしまったけれど、それでも変わらない愛用の武器。例え怪我をしていた最中ですら怠っていなかった手入れに、若干暗く感じる部屋の中でもそれだけは輝いているようで。
寝転がった体勢のまま引かれるようにクロスボウへと指を伸ばし……
「はぅぐわぁっ!」
その瞬間、足に鋭い痛みが走る。
足、攣った。いや、大丈夫、攣り掛けた。
ピクピクと震えるふくらはぎに手をやり足攣りの前兆を感じ取った事で慌てて身体を伸ばす。本当にギリギリの手前で痙攣させずにはすんだがそれでもプルップル、プルップルと震え続けている。……いや、平気だ、何も問題はない、一線は越えてない。
ただでさえ冒険者なのに筋肉痛という結構恥ずかしい事態なのにこれ以上「足攣ったー」などと無様な醜態を晒すわけにはいかない!
「ふーっ、ふーっ、ふーっ」
短く猫の鳴き声にも聞こえる呼吸を繰り返し安静を保っていると徐々に引いていく痛みと震え。……峠は越えた事を確認し安堵に流れる汗を額に感じる。後はそう、この衝動が完全に無くなってしまうまでじっとしていれば、何も……
「コッワーードちゃああん!」
バタンっ
「ふっ!?」
「聞いて聞いて今日はすごい朗報を持って来た……あら?」
「…………(ぷるぷるぷるぷるぷる)」
……攣った。完全に、今、攣った。
大きな音で躊躇なく部屋へと侵入してきたディガーに、ちょっと驚いて飛び上がった瞬間ふくらはぎに走る衝撃。
ピン、と神経が張り詰めたような錯覚は人知の概念を越えて理性の手綱を解き放ち、まるで悶絶するようにベッドの上で悶え苦しむ。
「あ、あら? コワードちゃん?」
「……(ぷるぷるぷる)」
「あの、大丈夫?」
「がっ! だ、大丈夫っじゃ、ない!」
ディガーの言葉に顔と身体を上げ掛け、だけど途中で断念して崩れ落ちる。
今は、無駄な動きはダメだ。余計な動きは事態をより悪化させる。慌てたら負けだ、焦ったら負けだ。クール、クールな男になるんだ、冷静に必要最低限の行動だけを取り回復するまでの時間を。
「ぷるぷるしちゃってちょっと可愛――」
「っだああ! ふっざけ、いきなり入って来て何だうおぁああっ! 足、足、足!」
「え、足って、はっ! コワードちゃん!? ちょっと待ってて今私がさすって」
「はっ」
その時、電流が走る。
「……イエ、すっげ、何ともナイデス」
「え? いや、でも確かに足――」
「ゼンゼン! 何とも、ナイデス、ハイ」
人は、いざという時に通常では有り得ない力を発揮する。
『さ』『す』『る』という短い文字に隠されていたおぞましい意味を感じ取り。身体が回避せよと懸命に耐える、そのおかげかたった今まで声を上げたい程だった痙攣が嘘のように我慢出来、固いながらも笑みすら浮かべる事に成功する。
決して、無理をしているなどとは悟られてはいけない。それが悟られた瞬間に自分を襲うのは……口にする事すら恐ろしい。
「は、ハハッハ、それ、で何の用です、か?」
「え、いや……本当に大丈夫なのコワードちゃん? 何か妻子を人質に取られた上に無理して笑う事を強制された被害者みたいな顔なんだけど」
「……いや元々、こういう顔ですし」
「そうかしら? まぁそれならいいけど」
「……」
いいのかよ!?
そう、思わず突っ込みたくなる衝動に駆られるが気力でねじ伏せる。
もうとにかく何でもいいから話しを終わらせないと、何か慌てたように言い掛けていたが、どうせディガーの言う事だ、大した用事でもないんだろう。
「それで、何ですか」
「あ、そうそう、そうなの、コワードちゃん聞いて」
扉の前で仁王立ちした状態、そこでポンッと嬉しそうに手を叩くとディガーは続ける。
「実はコワードちゃんとチームを組んでくれる冒険者が見つかったの。よかったわね、これでコワードちゃんも晴れて仲間と一緒にクエスト参戦よ」
「ハイハイ……」
ディガーの放った言葉が耳から入り、頭の中を回ってまた耳から出て行き。
「…………ハ?」
一体何を言っているのか、理解をするまで結構な時間が掛かった。