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03 一緒に飲みましょう

お酒は20歳になってから

「チクショー!」

 机の上に置かれたグラスジョッキの中、波打つ黒い液面を見つめ勢いよく持ち上げる…ちびり。続いて目の前の料理はガツガツと口へと運び…そこでまたちょっと舐める程度にグラスの中身をちびり。

「全くなんなんで…こっちは真剣だってのにクソ!わぁうまい!クソぅ!」


 そこは単に匂いに釣られて入っただけの酒屋で、しかし何となく頼んでみた料理はなかなかに舌に合った。高温の油でパリパリとなるまで揚げた何かの皮には薄く塩が振り掛けられ、程よい歯ごたえに噛めば溢れる油、ややピリリと舌に残る味わいがなかなかよく口の中へとサクサク運んでいく。オマケとして一緒に頼んでみた黒ウサギのシチューもなかなかで…なんでわざわざ酒屋でシチューなんかを頼んだのかはお察しなのだが…よく煮込まれてホクホクとなった野菜は口の中で甘く広がり胃の奥を温かくしてくれる。軽く散らしたチーズの香りも食を進め喉に絡み付く濃厚なスープの味わいも奥深い。

 …ジョッキで頼んでみたエール酒は全然進んでいない、9割以上がまだ残っていた。


「…ァ」

 次の一口をと木製スプーンを持ち器へと差し込むが、いつの間に食べてしまったのか器の中身は既にない。申し訳程度にこびりついたシチューの残滓がクリーム色の跡を残しているがそんなものじゃとても足りずに…空の器を悲しそうに見つめて数秒、丁度近くを通り掛かった酒場のマスターを捕まえると大きく声を上げる。

「あのすいません!この黒ウサギのシチューもう一杯」

「…おう」

「それとっ!」

 ちらり、とさりげなくカウンター上の看板に目を通し……いや気取ってはいけない、実の所さっきから何度も見上げていたものだ。看板の上に踊る細々としたメニューの一覧表、その中から特に熱い眼差しを注いでいた料理の名前を口にする。

「追加で赤角牛の網焼きにコイブリ貝の蒸し煮!あとこのよく分からない皮を!」

「…そりゃゴーシュ鳥の塩揚げっていうんだが」

「それを!」

「……酒は?」


 短い一言に一瞬机の上に置かれたグラスジョッキを見て…なみなみと揺れる湖面を一瞥しただけでそのまま通り過ぎ。

「いりません」

「…お、おう」

 …若干引き攣った笑みを浮かべ厨房へと消えて行く背中を見送り、一旦食事の手を休めると再び沸々と膨れ上がる黒い渦。カウンターの隅っこを(勝手に)占領し、周囲に(無断で)並べた荷物の中からクロスボウの包みを取り出すと片手でぺしぺし叩きながら顔をしかめる。

「今度こそは…今度こそは、しっかりとしようとしてたんだ、なのにっ、なんで……冒険者になれない、住む場所も取れない、行き場も無くて…オマケになんで知らない人にまで変な目で見らなきゃ…クソっ、オレはいらないってのか、クソ!」

 荒れる心の赴くままに再びジョッキへと手を掛けると持ち上げ流し込み。

「うえッゲホ、ゴホガハ、ハッ」

 …少し勢いが余りすぎ咽る。

 傾けたままに流し込まれる熱い液体はそのまま食道を焼き、胃の中を一杯に、瞬時にして込み上げてきた吐き気に咳き込み、荒い呼吸を繰り返しながらもなんとか息を取り戻す。…そっと伸ばす腕で机の上のジョッキをなるべく遠くへと追いやった。


「ッ…ぇ…キツすぎるんだ、コレ」


「…いやそれ、一応ウチで一番弱いやつなんけどな」

 漏れた呟きに返ってくる答え。下がっていた顔を上げて見てみれば目の前にゴトリと置かれる新しい木の器。湯気立つ甘い匂いは鼻をくすぐり蠱惑的な乳白色の器が目の前に。

「おおー!」

 ほぼ反射的にスプーンを掴み、シチューの海に沈める事に何の迷いも必要なかった。


 ガッガッガッガッ

「…いや…あのよ坊主?一応ウチ、酒屋でやってるからな?そうメシばっか頼まれるとこっちとしても困…」

 もぎゅ、じゅっ、ずる、ごくっ、ガツガツガツ

「聞けよ………ま、そこまでうまそうに食われりゃ悪い気しないんだが…」


 一心不乱にスプーンですくい、口へと持っていけば広がる甘さ。

 『黒ウサギの』シチューとかいう料理名の癖に実際の兎肉がほとんど入って無いのが少し不満といえば不満だが、たまたますくいとったスプーンの上にちょこっとだけ乗った黒色の欠片を見付けるとその喜びも倍になる。口の中に放れば噛む力すらいらないほどに解ける肉の繊維に染み込んだうまみ。…まだないか?もうないか?と何度も器の底をさらってみて運よく2つ目の肉の欠片でも発見して口の中へと運べば浮かび上がってくる満面の笑み。うまい、実にうまい。…ごくたまに、かわいそうなジョッキにも触れるだけは触れてやるのも忘れない。



 そこからの時間は実に有意義なものだった。随分と待たされた気もした新たに置かれた厚切りステーキの器は、登場と同時にジュウジュウと鳴き声を上げ溢れ出た肉汁は熱い鉄板の上で跳ねる。鼻腔をくすぐる香辛料の強い匂いに…切り身に変えて食べてみれば肉自体はちょっと固いのだが、それは逆に噛めば噛むほど味が広がるという意味でもあり、何度も往復して口の中に広がるおいしさにちょっと涙目。

続いてはおおげさにはしすぎず、そっと差し出された海鮮の貝の煮込み。爽やかな香りを上げる新鮮な潮の匂いに大きく口を開いた二枚貝の内側から亜麻色のぷりっとした中身が顔を覗かせる。突き立てたフォークすら滑らせるつるりと感触は口に入れた後でも尚滑りがよく。…あまりにもつるっといけてしまうものだから一度だけ全く噛かずに飲み込んでしまい、よく味合わずに飲み込んでしまった事に大きな後悔を感じた。

 再注文となったゴーシュ鳥の塩揚げはカリっとした歯応えが相変わらずにいい、きっと酒の肴にも合う人気料理の気もするが。…実際に酒に合わせて食べようとしなくてもおいしい…だからジョッキには殊更触れようともしなかった。



 折に触れ、食事も酒も進んで行けば口の中から吹き出てくるは愚痴愚痴愚痴。両手で抱え込むように抱いたクロスボウの頭を何度もぺちぺちやりながら、苦労談話に悲しみ話しをこれでもかと聞かせつつ時間は進んで行った。

 少し外を見てみればいよいよ夜の気配が強まり真っ暗に、黒色の進行に合わせるようにして店の中の賑わいは更に増加して行き。いわゆる鉱石の街である特色か、客層にはやけに腕っぷしの強そうな職人風の人物が多かったが、高笑いする声に乱暴にぶつけあうグラスの音は…何だか少し前までいたギルドの喧騒を思い起こさせ、物悲しいながらも聞こえがいい。


 ――そう思っていたそんな時だった。陣取ったカウンター席のそのすぐ後ろから、1つの声が耳に届いてきたのは。



「ボク、もしかして1人?その若さでいけないのね」



「……」

 …余りの衝撃に手にしたフォークを落とし掛けた。

 聞こえた言葉は…何か粘着いた雰囲気を乗せた艶のあるもので…まさか…それが、自分に向けてじゃないよな?と軽く頭を振り、カウンター席を見渡して見るが腰掛けている人間は自分以外にはない。


「…は………いやいやいや」

 だったら幻聴か、と…胸の底で湧くちょっとした甘酸っぱい期待感を打ち消し視線を送る…机の端にあったグラスの中身は8割弱…結構飲んでいた、はず。

 だから、酔いからくる幻聴なんだと片付けようとすると次なる衝撃が背中を駆ける。



「無視するなんて、ひどいのね…もしかして緊張してる?」


「っ」

 言葉と…直後に感じた『感触』に、手にしたフォークを今度こそ取り落とす。

「ふふ」

 カランと鳴り食器を打った音が響く中で背後から感じたのは触れる、指の感触。首の裏筋から始まって筋を追う様に指は撫で、ゾワリと感じる感触に心臓の鼓動はバクバクバクと暴れ始め。

 始点を首としたその指先は次第に下がっていき次に背中を撫で…十分にくすぐった後にそのまま…腰に。


「っ」

 言葉にもならない動揺にカウンター奥に見えたマスターへと視線を送るがすぐにサッと反らされる。…両手に持っていたはずの皿は確か自分が頼んだ料理の追加であったはずなのに…まるで空気を読んだかのよう。曖昧な笑みを浮かべるとそのまま厨房の奥へと戻って行って。

 …これはもう。

「ごくり」

 …間違いない。

 自身の中、唾を飲み音だけが大きく聞こえた。


「ねェ…」

 指で触れ熱い息が耳に掛かり『トドメ』の一言は、すぐ傍の背後から背中から。


「実はね私も1人なの。だからよかったら一緒に飲みましょ?」



「……!」


 …ほんの。

 …ほんの少し前まで石工都市カヘルのその名前を……怨嗟の意味で込めて呟いていた自分を、殴りたい!…なんていい街なんだろうかカヘル。すごくいい街ですカヘル、万歳カヘル、どんとこいカヘル!

 …今や、何かの祝事の言葉でもあるように聞こえる街の名前に。バレない程度の僅かな呼吸を繰り返すと、今までの人生で…その中でも最高と呼べる笑顔を浮かべると颯爽と後ろを振り返り。


「もちろん喜んで…!」



「うふ」



「……デ」



 ……その瞬間。まるで世界の時間そのものが止まったかのような感覚を覚える。

 今なお伸びている指先は自身のふとももに軽く触れ…指から続く大きな手の平とそこから伸びる太い腕。…ふっと息を吹き掛けるような唇は妖しく動き…その下に生えたヒゲ。

 目の前に迫った、厚い、胸板。まるで巨岩のような、身体に…高身長のスキン、スキン…ヘッド。


「あ・り・が・と」


 …その『男』はそう言い呟くと。

「…ぎっ」

「今夜は、楽しみましょう」

 やさしく…頬を撫でた。


 この時に喉を破る程に内側から上がるこの声はなんだったのか。…それはおそらく魂からの叫び声。心の底から溢れ出る悲痛な言葉に、最大限の危機感で。


「ぎひやあああああああああ!」


 皿に転がるフォークごと、むしろ身体全体までも投げ出して…その場から大きく飛び跳ねようとして椅子から転げ落ちる。即座に目に写った高い天井、周囲の景色は上から下へコマ回しでゆっくりと通過して。


「ぐふッッッ」


 ……その直後、ゴツンという大きな響きを上げたのは自身の後頭部、揺れる痛みに衝撃を混ぜ合わせ。



 …その後の事は…全く覚えていなかった。




――――――――――――――。




「あ、あらら?」

 ディガー・ベルツは口の中でそう呟くと目の前の少年を見下ろした。

「―――」

 口内から泡を吹き、強く後頭部を打ち付け痙攣する小さな身体。頭上に腫れた大きなコブにそのままズルズルと転がり落ち、床の上で四肢を投げ出し動かなくなる。


「…お、おい何をしやがった!大きな音がしたぞっ………お前、まさか!?」

「まさかって何よ、どういう意味!?ちょっと知り合いに挨拶しただけでしょ」

「世の知り合いはちょっと挨拶した程度で飛び上がって気絶なんかしねえよ!」


 いち早く事態に気付いたのか走り寄り大きく声を上げる酒場のマスターにディガーは口内だけで「心外だわ」と僅かに吐き出すとしゃがみこみ、仰向けとなった少年を軽く揺する。


「ね、ねェ?君?」

「―――」


 …全く反応がない。

 何とか目を覚まさせようと軽めに叩いたりもしてみるのだが…もう完全に目を回しまっているのか掛けた声に反応する気配すらもなく。衣服の下から覗く腕の先…よく見れば細やかな傷がたくさんに目立つ痛ましい腕だったのだが、その手で持った長い布包みが目に入る。

「…」

 …若干の躊躇。戸惑いを感じながらもディガーは布包みに手を伸ばし取ろうとするが…しかし妙な引っ掛かりを覚えて止まった。


「あら?……ふふ、そう?」

引っ掛かりに目をやればそれは少年の腕、意識もないはずの細い指はそれでもしっかりと布地を握り手放そうとはしない。


「何も奪う訳じゃないの、ちょっとだけ確認したいだけ」

 目を細めながらディガーは口の中、謝罪し。僅かに微笑むを浮かべると掴み取る少年の指の一本一本少しずつ解していく。…指を取り払う動作の中、留め具のなくなった布はそのままサラリとこぼれ落ち、白色のその下から一本の武器が顔を出した。


…新木に古木を、新しいものに古いものを、無理矢理に接合させたようなアンバランスな武器の姿。薄茶に黒の合作。弧を描いた弓はパッと見では気付かない程度の継ぎ接ぎがいくつも刻まれ、武器全体に比べ余りに大き過ぎる巻き取り器は店内の弱い照明を受けて鈍く輝く。補正用のスコープに射出のトリガー、弓の重量よりも巻き取り器の重量の方が高い為重心はやや後ろに。

現れた武器を横から覗き込んだ顔で見つめ、酒場のマスターは呻くように言葉を漏らす。


「おい…それ、弓かっ!?…チッ勘弁してくれよこんな所で」

 少し目立ち始めている、現に他の客達からの向けられる視線は徐々に増え、その数が増える度にマスターの顔行きは曇って行く…しかし反対にディガーの方は実に落ちついたもので、色合いの深い台座部分を指で持ち転がすと裏側から眺めながら指を這わして行く。


「違うわ。これはね、クロスボウっていうの」

 木造の台と弓座に。トリガーとなっている持ち手の上方を…そうと見ただけでは全く気付かない小さな溝を確認しその上を慎重に触れる。…あえて目立たないようにしたのだろう、クロスボウ全体と同色の溝はそれと触れただけでは分からないが全貌をなぞり確認してみれば何となく意味が分かってくる。


【アーストン・レオルド】


 …掘り込まれた溝はそう読めた。


「ふふ」

 …何かの郷愁を、少し憂いを帯びた目の下に僅か程度の微笑を浮かべてディガーは微笑む。長く忘れていた記憶、その中身を噛み締めながら、吐き出した息は細く長く…。


「いらっしゃい臆病者君」

 …今は何も知らない、ただ目を瞑るその少年に…誰かの面影を見せてそう呟く。


「ようこそ、石囲いの餌箱カヘルへ」



 石工都市カヘルを訪れて一日目、最初の夜は更けていく。


苦節19話目にしてついに物語にしっかりと絡む女性キャラ(性格)の登場です。やったね

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