02 家ナシ
「その、申し訳ないのですが」
その一言を聞き思わず絶句する。簡潔であり明白な否定の言葉に頭の理解が追い付かずに、すぐに身振り手振りを交えた抗議の声が上げった。
「いやっそんな!そんなはずないでしょ!?」
「…いえ…しかし」
「もう一度!もう一度だけ確認してください!お願いします!」
「あのね…」
「お願いします!」
「…」
食い下がる声が響き渡ったのは冒険者ギルドカヘル支部。長いカウンターの困り顔を浮かべた係員は小さく息を吐き、申し訳ないといった表情でもう一度告げる。
「一度ギルドを追放された方はその後1年間は再登録を行えないんですよ…そういう決まりですので」
――――――――。
『ねーおかあさん、あの人何してるのー?』
『しっ、見ちゃダメ!そっとしておいてあげなさい』
「………」
…どこか遠くから聞こえてくる親子の会話を聞き、淀んだ目で地面を見つめる。賑やかな街の一角にありながら草木溢れる緑地公園。隅っこの方に施設された茶色いベンチの上で浮き上がる陰鬱な思いのまま息が零れる。…周囲には旅用にと詰め込んだ鞄と口を閉じた矢筒とが散乱し、布に巻かれたクロスボウまで転がっている為非常に場所を取っている。
「まさか…登録すら、出来ないなんて」
何とか紡ぎだしたその呟きも声と共に魂まで飛び立っていきそうな…雑草混じりの土色を見つめながらよく思い出す…胸に浮かぶのは不機嫌そうな顔の受付員に御者の人間の言葉達だ。その1つ1つを精査しながら。まさかまさか、とよく整理していく。
「………」
……思い浮かべた記憶の中、そもそもそんな類の質問を一切していなかった事を思い出す。
「…あ、あ」
そりゃそうだ…驚くはずだ。ギルド追放だと告げられて、それでも冒険者をやりたいと言ったあの時の受付員の顔はどうだったか…確かに、驚いていたような気がする…そうだろ?驚くだろ?え、何言ってるの?くらいには思ってたのかも知れない。当然のように『お前冒険者やめるんだろ』と聞いてきて、その後自分は…確か『別の土地に行ったっていい何年掛かったって構わない』とか…。
「うっ」
ガバッと顔を上げると両腕で頭を抱えて叫び上げる。
「ああああ!本当に年単位で掛かるなんて考える訳ないじゃないか!何で!?追放されたら再登録出来ないって!?そんっなの一っ言も言ってなかったじゃないか!」
心の底からの慟哭が響き渡り、すぐ傍で遊んでいた何人かの子供はビクリと震えあがり母親の元へと一目散に駆け出して行った…涙目で。
「ああっ、クソッ!ツウウ!どうしたらいい!?何か穴はないのか?こんなんじゃあ再出発も…意味ないじゃないかよ…」
余りにも予定と違いすぎる現実。ほんのちょっと前に城壁のそばで「りすたーとぉ!」とか元気に叫んじゃったりした自分までものすごく恥ずかしくて、記憶から追い出す様に頭を振り乱すと、唐突に後ろから肩が叩かれる。
「あっ!?何だ!今それどころじゃ!」
「……」
「……ないんです、よ?」
乱暴に振り向いた先で目に入ったのはやけに筋骨隆々なオジサンの笑顔…すぐ横では涙目をした何人かの子供がこちらを指差しながら顔をしかめて。
「あ…いや、はは!こっこれは、あのですっ」
…次の瞬間、握り締めたグーが視界一杯に広がっていた。
――――――――。
「……」
『カヘル公認第一級ロイヤルホテル クラスト』
無言でやたらに痛む頬を撫で多くの荷物を引き摺りながら目の前の看板を眺める。
とても目に付く豪華な看板だ。銀光の輝きも眩しい枠取りの中に極めて流暢な文字が躍っていて、文字と文体とを十分に読み終えた後、すぐ傍の建物を見『上げる』。
「……」
…デカい。
とりあえずはと今夜の宿から探しに動いたところで先ず目に入ったのがこの宿屋だった。
城ですか砦ですかと思わせる程の巨大な佇まいに、所々で目に入るの金色に輝く豪奢な窓、色とりどりの花を咲かせる庭園。入り口らしき扉などは最早扉と呼ぶのもおこがましくて…門っ…あれは門である。
絢爛な建築物の入り口を守るに相応しい硬い城門は日を受けて輝き、ノブは水晶、留め金具は白金。後光すら見えてきそうなその姿に思わずクラリと立ち眩む。
「ろ、ろいやる!」
溢れ出す高貴のオーラを前にゴクリと唾を飲み込み胸元へとそっと手を添える。
手の下で衣服の内側へしまいこまれているのは金糸を施した袋。中にはたなぼた報酬に入手した金貨の山が眠っており、服の上からでも分かる固い感触に触れている間に少しずつ勇気が湧いてくる。
「…よ、よし」
ゆっくりと看板を見、建物を見上げ…その互いを何度も行き来しながら、やがて意を決したように口元を引き締めた。
「金は足りてるっ……はず。…それになによりこれは景気付けなんだ…!一歩目の出鼻こそ挫かれちゃったけどこの豪華さと輝きで運を呼び戻して…そして改めて出発を!そうすればきっといい案だって!」
小さく鋭く…深く呼吸を繰り返せば…胸の底の迷いは消えた。
力強く上がった顔は臆することなく豪奢な屋敷全容を正面から睨み、振り下ろす足は大地を踏む。…あくまで堂々、あくまでしっかりと…まるでここを使用して当然ですよ、と心意気だけは貴族の魂を宿し、輝くドアノブに手を掛けると力強く押し開く!
「スイマセン!今夜一晩の宿を取らせて願いたくございまうのますですっが!」
…………………………。
「…」
頬を切る風が…実にすがすがしかった。
まるで自分自身すらその風の一部となったような一体感。世知辛く生きていてはどうしても感じずにいられない重責を…この一瞬だけ…何も感じず…風に。
自由だ、果てしなく自由だった。ただ、流れるままの風にその身を任せ。
「ふぎゃ」
…そのまま地面へと落下して転がった。
飛び立った主を追い駆けて忠実な荷物達も同様に空を飛び背中へと圧し掛かれば重くて、痛い。
「おい坊主いいか、遊びでこんな所来るんじゃない!この宿は優良貴族ご用達の由緒あるホテルなんだぞ!紹介状もない人間などお断りだ!」
鋭い言葉と共にバタンと強く音を立て閉まる扉。
「…うぷ」
やや滑空気味に、遅れて空を舞っていたマフラーが顔の上に被さると間抜けた空気が口から漏れた。
―――――――――――。
「……」
『カヘル都市通用指定宿屋 団体様、ご一泊様からでも歓迎します』
木組みで作られたしっかりとした看板を見つめ、建物本体を見『渡した』。
「…普通」
…実に普通、それが感想。それは見事なまでに一般的な宿屋だった。
ちょっと気取って塗ってみたんですよといった緑色の屋根もそれらしく、一般家屋との違いを精一杯主張する姿は好印象。ありふれた木枠にはめられたちょっとくすんだ窓、ややくたびれてはいるがしっかりと手入れされた庭。佇む扉もまたすばらしく、これぞTHE扉を主張して…新しさも驚きも何もないが、逆にその安定した存在感こそが胸に優しい波紋を広げさせてくれる…ような気がする。
「…うん」
小さく頷き看板から視線を外した。少し胸を叩けば服の奥にある金糸の袋。そこから金貨を一枚でも取り出せば一週間程度は平気で泊まれそうな宿屋だなのが。それに一体何の問題があるというのか。
「やっぱそうだ変に身を張るのはいけなかった。身の丈にあった普通の場所で普通に生活してこそ、いつもの実力が発揮できる!先ずは、出鼻が挫かれた状態を元に戻してそこからっ…そこから!新しい出発点にようやく立てるんだな!」
揚々と息を吐き、顔を上げた。
変な力みなど感じずあくまで自然体に。威風堂々たる一般人、当然だよ普通人。胸張って掴み取った普通のドアノブを特段変わりなく普通に押し開く!
「すいません、一晩宿をお願いしたいんですが…」
…………………………
「……」
ゆっくりと…歩いた。
やけに眩しい太陽の光が空に輝く…まるでそれは命の輝きそのもの。ちっぽけな自分自身を余計小さく思わせ、時に優しく時に温かく、見守ってくれる姿は正に自然のゆりかご。…温かな陽の光を全身で感じれば肩に掛かる重さも痛みも…まるでそれこそが生きている証なんだよと、そう…感じる事すら出来た。
「ごめんなさい!今日はもうお客で一杯で…よかったらまた来てね!」
「…」
明るく優しげな女性店員に送り出され歩き出す。
ふと見上げた空の上を飛ぶ鳥達がちょっとうらやましい…そんな事を思ってしまう昼下がりの午後。
――――――――――――。
「こ…これは」
『カ―――宿―――で―――から』
…朽ちかけ、傾いた。もう何だかよく分からない看板を見つめ建物本体を見『たくなかった』。
「ゴミ、か?」
素直な感想だ。
とてもマトモに人が住んでるようには見えない居住。以前は…何十年前かにはしっかりと立っていたかもしれない柱は見事に折れて、屋根の一部は道路まで崩れ落ちる。…ろくに掃除をした形跡も見えない庭はただの雑草。そして…これは、窓か?何か黒い板が貼ってあるようにしか見えない窓枠の中では底知れぬ闇が蠢いた。…もう扉と呼ぶのすら冒涜的に感じる崩壊寸前の木の板にはそこだけやけに目に付く鉄のドアノブ。
「…」
何、だろう。この胸底まで渦巻くざわめきは、ただ見ているだけだというのに沸々と沸き上がる焦燥感に不安感に、お腹が痛い。
「…うっ…お、おう、うん…うんっ!」
無理矢理に強く頷き、いつのまにか流れ出していた汗を服の袖で拭き取ると前を向いた。懐の中に眠る金糸の袋から…最早金貨といわず袋本体だけでも差し出せば一年間くらい余裕ですごせそうな外観だったが…何も見た目が全てと言う訳でもない…そう言い聞かせる。
「そう…これは試練だ!あえて最悪、最下層からスタートする事によってもう上しか見えないんだ、昇って行くだけなんだ……なんだよ、なんだよもう…これに比べたら出鼻が挫かれたくらいなんだよ!全然気にならないよ!むしろ怖い!これ以上ないくらいの底辺が見えたみたいで果てしなく怖い!」
ヤケクソ気味に呟き、顔を上げる。最早…胸の内に迷いなどなかった。そこあったのは何か大いなる覚悟を秘めた男の顔。踏み始めの第一歩すら全力投球に…何がしかの悲壮感すら漂わせる背中で、鉄のドアノブを強く握りしめると全身全霊に押し開く!
「すいません!一晩だけ宿をお願いしたっ」
バキッ
「…………」
手にしたドアノブが途中から折れた。…腐っていた。
――――――――――。
『ねーおかあさーん、今日のお夕飯なぁに?』
『ふふ、そうねー、今夜はノアちゃんの大好きなシチューにしよっか』
『わぁい!』
「―――――――」
どこか…別世界から聞こえるくるような親子の会話を流し汚れきった瞳で地面を見つめた。街の一角でありながら緑も多い緑地公園…その中で唯一自分を迎え入れてくれたベンチには生物の垣根すら越えた絆のようなものを感じる。
少し動く度に鳴るクロスボウ、自分、そしてベンチ。もうこの3つだけで世界はいいんじゃないかなと、それでもう結構完成されてないでしょうか?と危ない哲学の入り口に一歩足を踏み入れた状態でボツボツと漏れる呟きが口を動かす。
「カヘル……カヘル……カヘル……カヘル……」
…まるで怨嗟のように続けて流れるのは街の名前。たまたま近くを通り掛かった買い物帰りの人がぎょっとした表情で目を剥き全速力で距離を取ろうとするなどあったが…もうそんな事どうでもいいくらいに気にはならなかった。
浮かべた視線の先に見えるオレンジの空、沈む夕暮れの反対側では紫がかった空が夜の始まりを告げていた。
段々と着実…山の端へと落ちて行く日に、今の自分自身が重ねられるように感じ…。
「あああああ!もうなんで!なんで一晩の宿すら取れないって、そんな!」
『カーカー』『カーカー』
「笑うなっ!」
大きく声を上げてみれば、周囲に響くカラスの音色。
振り上げた腕に声で怒鳴り散らしてやれば蜘蛛の子を散らすように空へと飛び立ち視界の彼方へと消えて行くが…あんな野生動物ですら帰るべき場所があるのにと思い至ると視界が滲んでいく思いで。
「ウ…っ、負けない…負けないっ!こんな事くらいで簡単に諦めるなんてそんな……ぅッ」
立ちあがって動けば響く音。…音の出所は探すまでもなく自身の腹の中であり、内容物ゼロの胃袋はきゅるきゅると引き締まり情けない声を上げる。…よくよく考えてみれば宿探しに必死であってろくに食事すらも取っていない事を思い出し息が漏れた。
「とりあえず…何か食べよ」
周囲を囲んだ荷物の山に。手に取り肩に背負い集めて歩き出せば漂ってくるいい匂い。
宵を待たずして動き始めた夜の街へと誘われるようにトツトツと、歩き出して行く影が…夕暮れの公園に1つあったのだった。




