プロローグ兼01 石工都市カヘル
しばらくはのんびりした話しが続く予定です。
「残念でしたね」
暗がりに声が響く。
言葉の主は柔和な笑みを浮かべ目の前に立つ男を静かに見つめる。…およそ背筋を伸ばせば身の丈2メートルにも届きそうな大男であったが、今は身を屈めじっと地面を見つめ様はやや小さく目に写る。
男を見つめ声の主は小さく溜息を1つ、僅かに頭を振るうと気遣わし気に男を見る。
「…何も貴方のせいではないですよ。顔を上げてください」
「ッ…ぅ、はい」
響く言葉にびくつきながらも男が首を伸ばす。
途端に暗がりから指が伸び、男はビクリと一瞬震えてしまうが、伸ばされた腕は男の予想に反し、彼の肩を優しく叩く。
「っ!」
「…いいですから、落ち着いて」
叩くリズムは手に付きぽんぽんぽんと。…静かに、叱責の言葉もなく触れる指先に男の顔にさっと朱が走る。
…それは場違いな優しさだった。大きな覚悟を決めて訪れた男にとって予想外の温かなやり取りに顔には非常に気まずそうな表情が浮かび、そっと服の袖口を掴むと震える。…身勝手に思い描いていた恐れが気恥ずかしくごまかすように漏れた強い言葉は男の口から。
「次は!次は大丈夫ですっ」
「……」
「次は絶対に大丈夫ですから!」
…主は男の言葉に一瞬目を見開くが…やがて再び柔和な微笑みを取り戻すと目を細めて笑う。
「ええ分かっています、分かってますよ。貴方は、少しだけツイていなかっただけなんですから…むしろ謝るのはこちらの方かも知れませんね。ご苦労を掛けてしまって…お疲れ様です」
「っ!ハイ!はいっそうなんです!だからっ」
「ええ!次も期待しています」
「は、ははは、あははは!はい!はい!はいっ!」
そっと肩から外された手に男は拝む様に再び腰を折り頭を下げ、輝く笑みを浮かべて声を上げると。
刺される。
「え」
「……」
ザクリと肌を裂く嫌な感触に吹き出した赤と黒。柔らかな滑りの中を進み身体の奥へと侵入する異物に、男は大きく叫び声を上げようとするが、それよりも先に伸ばされた指先が彼の口をふさぐ。
「ッッ、ッ」
「しー……しーーー」
「っっ」
ビクリと震え溢れ出す血と…それに伴う変化が訪れる。腹の底から染み渡る急激な痺れが全身を駆け、指の先まで伝わると全身が痙攣を始める。感覚の全てが身の底から抜け落ちて感触に…やがて震える膝は全身の重さに耐えきれずにその場へと崩れ落ちた。
…倒れた瞬間に腹部から零れ落ちた緑色の刃、地面の上を転がった鈍い光を落ち着いた様子で拾い上げると声の主は小さく溜息を吐く。…柔和そうな笑みこそは変わらないが立ち位置が大きく変わった為かその視線は見下ろすように。
「さて…次は…」
小さな呟きと漏れるきゅぽりという小さな音。…首から上さえ痺れたのかよく動けない男の身体に垂れ落ちる冷たさが染み入った。…声さえ上げられてしまえば叫びそうな程気持ち悪く、ぬめりとした冷たい感触は太ももの上から垂れて這い上がり、下腹を撫で、胸の上まで広がり。…そこまで来た事でようやく視野の端まで入ってくる。
傾けた半透明の容器から零れ落ちる液体。極彩色をした目にも毒々しい色合いは男の衣服に吸い込まれるように消えて行く。
「全く…私も…望んでこのような事をしているわけではないのですよ?…本当に心苦しくて今だって胸が痛くってたまら…」
「…ガッ!」
「おっと…」
…残された渾身の力をもって男は腕を振るった。その手に掴むのは美しい装飾の施された短剣。密かに袖口まで忍ばせていた鈍い光り、痺れ感じる指先でも何とか、懸命に振るうのだが…実に簡単に躱されて、逆に得物を奪われる。
「……」
「っ、カ、ッ」
「…は」
…いや、それでも多少なりとも効果はあったようで…声の主の指先からは赤く玉となった血の欠片が溢れ出す。
「…何でしょうね…これはひどく」
短く言い手にした短剣が高く掲げられ
「裏切られた気分です!」
振り下ろされる。短剣は太ももを抉り肉を裂く。
「何故分かってもらえないのでしょう?どうして?こんな簡単な事ですよ!」
振り下ろされる、肩を抉る。漏れ出す衝撃で頭が揺れ強く砂地を打った。
「辛いのです、悲しいのです、苦しいのですよ」
一段と高く振り上げた刃が振り下ろされ、胸元に深く突き立った。
漏れ出た空気と赤は、身の内の中身を吐き出すようにひゅうひゅうと流れる不鮮明な音と共に溢れ出す。
「…嘘ですけどね」
降る振る振る降る降る、刺す刺す刺す。
四方を囲む石の壁、蠢く物音に高く響く哄笑がこだまして……そうやって、どれだけ遊んでいた事か、やがて声の主は思い出したかのように大きく息を吐き、血塗れの刃にまるで興味を無くしたように投げ捨てる。
「来ましたか」
ゆっくりとした動作で立ち上がれば汚れた服の裾を気にするように僅かに叩く…最早男からは何の反応も返っては来ずその事を少しだけ寂しいと感じながら主はその時を待った。
完全に動かなくなった男の代わりに小さな擦過音が辺りに混ざりはじめる。土と土とを擦るような音色は倒れた男の真下から…砂状の大地にやがて小さな渦が生まれ、男の身体はその中心に、徐々に徐々に滑り込む様にして落ちて行った。
「ああ…ふふふ」
ギ
突如…溢れた音が殺到した。
それは耳を裂くような異音。ミキサーの中身の如く削り折られる音色は土の底から。破れた衣服の欠片が巻き上がる砂と共に吹き出して茶一色の光景には血が跳ね。
そんな砂の螺旋の内側で一瞬だけ伸ばされるように差し出された男の腕が目に写る。…それは全能たる神に許しを請う様に、最後の一時と差し出された指先は…しかしそのままあっさりと汚れた砂の中へと埋没し、再び浮上する事はなかった。
「…少し、勿体なかったですかね?」
僅かに小首を傾げて見せるその言葉に、最早応えられる人間は存在しなかった。
――――――――――。
「お!」
目の前に続く長い列。その途中から顔を出し前方を見つめれば視界一杯に広がる長い城壁。横には果てしなく縦にも高く、街全体をぐるりと覆った城壁の向こう側では。活気強い高い声と、振り下ろされる工具の音色が響き続ける。
石工都市カヘル。
王国三番目に造られた地方都市であり、周囲の豊かな鉱脈とそこから産出される鉱石資源を余す事無く加工する高い技術とをもって栄えた街。その高い技術水準を見せ付けるように『無駄に』堅固な長い城壁を気付き『無駄に』整備された舗装された街路は王都の一級建築にも引けは取らない。
「次の人!」
響き渡る兵士の声が1つ過ぎ、行列の後進が一歩前へと進む。
…そもそも何故こんな所まで来たのかと言えば、それは乗り合わせた御者の勧めがあったからだ。
知り合いに元冒険者を持つと言ったその人物は特に行き先がないのならカヘルに向かうのがいいと強く勧めた。…街こそは巨大な都市であり、地方都市にはあるまじく繁栄を進めているが、その実裏返してみれば終始人不足に悩む街であり、モンスター化した生物の傾向も近年になって強く、就職口など吐いて捨てる程あるらしい。
オマケに待遇も高く、知人も多く、冒険者をするならここしかないと!実に力強い勧めの言葉だった
「次の人!」
「よし」
少し近くなってきた警備兵の言葉に自身の姿を確認する。提示用の身分証明はいつでも取り出せるように胸元に備え旅路の中で買ってみた長いマフラーで素顔を隠すように巻く。服の裾など変な部分に皺がないかをしっかりと確認し位置を直す様に荷物を背負い直せば。
カシャリ
「…」
背中の重みが静かに鳴った。長い布で包み込んだ荷物に僅かに笑い掛けると布の上からコツンと小さく叩く。
「次の人!」
「…」
…これだけ、用意周到に準備するというのも実は内心やりたいことがあったからだ。
それは昔好きだった英雄叙事詩の中、主役の人物がしていた行為。少しだけ、最初くらいはあやかろうと心の準備を進めて行けば。
やがて近付いて来た兵士の声は、もう目と鼻の先に。
「次の人!…はい、ご苦労様です。身分証を提示ください」
「…」
担当してくれた糸のように細い目をした若い兵だった。
他にも担当の人間は何人かいる中で、それでもこの若い人に当たれた事は実に運がいい。小さく頷きあらかじめ用意した様に胸元を探ると紙面の証明書を差し出す。
「ハイ、確認……を?」
受け取った紙を見つめ、やがて兵士はやや困ったように首を傾けた。
「あの、石工都市カヘルには一体どのようなご用向きで?…それと…そのマフラー、取ってもらってよろしいですか?一応手配書の人物でも紛れていないかと確認をしないといけないので」
「……!」
…来た!
内心息を呑み…それでもあえて余裕があるように小さく咳払い。伸ばす指先で首元のマフラーをしっかりと握りしめ。
「用向き…ふ、ふふふ……それはっ」
鋭く息を吐き、マフラーを一思いに弾き飛ばす。
大きく腕は跳ね剥ぎ取った布が宙に飛ぶ。
空の青、白い雲、その下を天まで届けと飛び上がり。
「RE:START!」
…強く、風が吹いた。
「…」
若い兵士がポカンとする。
「…」
後ろに並んだ人もポカンとする。
「…」
既に前に進んだ人も振り返ってポカンとした。
風の向こうに見える空、その中心に向かって鼓舞するように背を伸ばし、伸ばした腕で強く胸を叩いて見せて。
「です!」
高く突き上げた親指を兵士に向かって見せ付けた。
2章 『Liars footsteps』




