十九. 余人は我を知らず
フィデリアとミレイアステルがアディウトルの部屋に呼ばれたのは、さらに数日が過ぎた頃だった。
「あれ? 赤杯の二人も?」
二人が部屋に入ると、机の前に座っていたプエラが振り返り首を傾げた。その隣には同じ白燭のフラクトルもいる。
「アディウトル、今回は四人で動くのか?」
フィデリアの声に、書き物をしていたアディウトルが羽ペンを置き、顔を上げた。机の両脇には相変わらず紙束が積み上がり、手元に広げられた書類にも、細かな文字がびっしりと書き込まれている。
「そうだ。今回は二組同時に動いてもらう」
「それだけ大きな仕事ってこと?」
アディウトルは頷くと、引き出しから紙の束を取り出した。
「標的は、カルディナの郊外に住む魔法学者、インディクス・ヴェリタス。目的は彼の研究資料だ」
カルディナは、モエニアと首都を結ぶ街道の中間あたりに位置する街で、ラウダ川西域にあっては主要な役割を担っている。
「……インディクス、名前は聞いたことがあるな」
「ええ、私も。有名な学者ね」
「そうだ、そのインディクスだ。やつは数日後、カルディナにある評議会支部に出向くことが分かっている」
「評議会支部?」
「インディクスは評議会に外部顧問として関わっている」
評議会、正式な名を世界魔法統括評議会というその組織は、魔法に関する犯罪を取り締まっている。
インディクスは、魔法学の権威として、評議会に高度な知識を提供しているようだった。
「やつは定期的にカルディナに出向いている。その際に、ひとり娘と専属の侍女も同行させているようで、その間屋敷に残るのは、数人の使用人だけだ」
「資料といっても、何を持ってくればいいんだ?」
「目的はこれだ」
そう言ってアディウトルが示した羊皮紙には、一冊の本が描かれていた。
「『言葉の秩序について』。これは、魔法書かしら」
「ああ、その通りだ。だが、ただの魔法書ではない。ここにはインディクスのとある魔法理論が書かれている」
「理論? そんなものが何かの役に立つの?」
プエラは、アディウトルから羊皮紙を受け取り、首を傾げた。
「——少なくとも、依頼主にとっては重要なものだ」
それはつまり、お前たちが詳しく知る必要はないということだ。いつものように。
しかし、フィデリアには、それよりも気になることがあった。
「手薄になった屋敷に忍び込んで、その本を持ち出す。そんな仕事に四人が必要なのか?」
その程度の仕事ならば、赤杯か白燭、どちらかだけで十分に思えた。
「目的の本については、ほぼ確実にインディクスの書斎にある。探し出すことは難しくないだろう。だが、問題は別にある」
アディウトルの声が低くなり、フィデリアたち四人は不穏な気配に顔を見合わせる。
「何かやっかいなことでもあるの?」
「——屋敷の警備の状況が詳しく分かっていない」
「珍しいじゃないか。下調べが終わっていないのに動くのか」
事前に組織が綿密な調査を行い、フィデリアたちはその指示に従って動くことで、確実に目的を達する。
それが灰の手のやり方だった。
「……依頼主が急いでいてな。十分に調べてから、というわけにはいかない事情がある」
アディウトルの嘆息混じりの言葉は、彼が決して納得しているわけではないことを感じさせる。
「つまり、何が起きるか分からないから、二組で動くということかしら」
「もうひとつ、インディクスの屋敷が、カルディナに近すぎることも考えておかなければならない。白燭が屋敷に入り本を奪う、その間、赤杯は万が一に備えて外を警戒する役目だ」
プエラとフラクトルの固有魔法は、どちらかというと接近戦闘向きだ。一方、機動力を出せるフィデリアの〈駆けめぐる星環〉、長距離攻撃が可能なミレイアステルの〈夜を灼く逆しまの閃き〉の性質を考えれば、その組み合わせは妥当に思えた。
「結局は屋敷に入って、そのなんとかって本を奪ってくればいいんでしょ? プエラとフラクトルなら、そんなの簡単よ」
「あまり派手に動くなよ。工房のときのような仕掛けがあったら、今度駆けつけるのは評議会のやつらかもしれないってことだぞ」
「分かってるわよ!」と頬を膨らませて顔を背けるプエラの横で、フラクトルが立ち上がり、フィデリアに向き直る。
「今度はしくじらない。あたしたちは役に立つってところを見せなきゃいけないから」
フラクトルのいつになく真剣な眼差しは、フィデリアを驚かせた。
「……ああ、ただし、無理は禁物だ」
その言葉は、いつも黒鍵たちが自分たちに向けてくれるものだった。
「詳しい指示は追って伝える。四人とも、いつでも動けるように支度をしておけ」
アディウトルはそう言うと、胸元で小さく十字を切った。
「灰の降る日に、|神のご加護を《ベネディクティオ・デイ・シト・ウォビスクム》」
* * *
冷たさを増す風に、時折、梟の鳴き声が混じる。
周囲は木々に囲まれ、細い街道からも離れた場所に、聞いた通りの小屋があった。
そこに向かって、二つの人影が歩いている。
魔法による灯りを浮かべている白いローブ姿の横に、藍色のローブを纏った人影が寄り添う。
二人は周囲に人の気配がないことを確認すると、灯りを消して小屋の扉を開けた。
「……待っていましたよ」
中央に置かれた小さなテーブルの前に座っていた男が顔を上げた。
暖炉に薪がくべられ、小屋の中には柔らかな暖かさが広がっている。
「約束通り、二人だけで来たわ」
「そっちもお前だけだろうな」
プエラとフラクトルは、慎重に小屋の中に歩み入ると、後ろ手に扉を閉めた。
「もちろん。警戒する必要はない、安心しなさい」
男は二人に笑顔を向けると、両手を広げて見せた。
「次の仕事が決まったと聞きましたが、情報は持ってこれたのですか?」
プエラは腰に下げた小さな鞄から、紙を取り出すと、無言で男に手渡した。
「……インディクス・ヴェリタスの魔法書、ですか」
「そうよ。なんでも、依頼主にとっては、すごく貴重なものなんだって」
男はしばらく紙に書かれた文字を追っていたが、やがて満足そうに頷くと、紙を丸めて懐にしまい込む。
「依頼主とは誰なのですか?」
「分かんないわ」
「そんなのはあたしたちに関係ないから、教えてもらったことなんてないよ」
男は綺麗に揃えられた口髭を指でつまみながら、ふむ、と二人の顔を順に見やった。
「やはり君たちは、組織にとっては、ただの駒にすぎないようですね」
「そんなこと……」
ない、と言いかけたプエラの脳裏に、先日の工房での出来事が蘇る。敵の不意打ちを受けて、意識を失ったフラクトルの姿。
「この前話してくれたでしょう? 君の大切な相棒が死にかけたと。もうあんな思いはしたくないと。ですが、このままではきっとまた同じことが起きるでしょう」
その言葉を聞いたフラクトルが、プエラの体を男の視線から隠すように一歩前に進み出た。
「おい、プエラを怖がらせるのはよせ」
腰に吊るされていた骨製の槌を手に取り、真っ直ぐに男に突きつける。
「いや、すまない。そんなつもりはなかったんです。私は、君たちを助けたいと思って話を持ちかけたんですから。信じてください」
「ああ、だからこうして組織の情報を持ってきたんだ」
「ねえ、本当にプエラたちを連れ出して、居場所を作ってくれるのよね」
フラクトルの後ろから顔を覗かせたプエラが問いかけると、男は外套の胸元に縫い取られた杖と天秤の紋様を指の腹で叩いた。
「その通り。——君たちがどれだけ魔法の才を持っていたとしても、真っ当な後ろ盾も繋がりもない子供が生きてくのは難しい。だからこそ、私たちが君たちに居場所を用意します」
フラクトルはようやく突きつけていた槌を下ろすと、プエラを安心させるように肩を抱き寄せた。
「このあとは、どうしたらいい」
「当日、君たちが目的のものを奪ったら、そのままこちらに持ってきなさい。迎えを準備しておきます」
「でも、当日は赤杯……仲間も一緒なのよ」
「ふむ。私たちも手助けはできますが、ある程度はあなた方の工夫も必要ですね」
プエラが何かを囁くと、フラクトルは「大丈夫、あたしたちなら」と返してから、男に向き直った。
「詳しい話はこれから決まるんだ。……また連絡する」
「ええ、よろしくお願いしますよ」
男はそういうと、微笑みながら胸元で十字を切った。
「……|神がともにありますように《デウス・ウォビスクム》」




