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まったく恋愛に興味のない伯爵子息の恋愛観を規正すべく、伯爵に雇われ、政略結婚相手として潜入することになりました。  作者: 逆立ちハムスター


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「……ねえ、ヴァレリウス様。一つお伺いしてもよろしいかしら? その、私の部屋の前に積まれている、嫌がらせのように輝く金の延べ棒の山は何かしら? 物理的な嫌がらせ? それとも、私をその重みで圧死させて、文字通りの『保存食』にでもするつもり?」


翌朝。私の自室の扉を開けた瞬間、網膜を焼くような黄金の輝きに、私は思わず目を押さえた。

そこには、大の大人が数人がかりで運んだであろう、大量の金塊が積み上げられていた。


「言ったはずだ。君の周りを金貨で埋め尽くしてやると。とりあえず、君が朝起きて最初に目にする光景が、君の最も愛する『価値』であるべきだと判断した。……どうだ、私の理論に間違いはあったか?」


廊下の壁に背を預け、冷徹な美貌に、昨日より一段と深い「執着」の色を宿したヴァレリウスが立っていた。

その顔は、まるで数式を完璧に解き明かした数学者のような、陶酔感に満ちている。


「間違いしかありませんわよ、この歩く公害。金はね、銀行に預けて利息を生ませるか、必要な物品と交換して初めて価値が出るんですの。こんなところに積み上げられたら、ただの『重くて邪魔な段差』ですわ。貴方の脳みそ、合理性を追求しすぎて一周回って幼児退行しましたの?」


「……素晴らしい。その、一切の容赦がない罵倒。私の贈った黄金という『絶対的価値』すら、君の毒の前ではただの障害物へとなり下がる。この現象こそ、私が求めていた未知の刺激だ」


ヴァレリウスが歩み寄ってくる。

彼は、私の頬に触れようとした手を途中で止め、愛おしそうに空をなでた。


「ベリサリア。君をこの屋敷から一歩も出すつもりはない。父上との政略結婚契約は破棄した。これからは、私が直接君を妻に迎える。報酬は……そうだ、ガリアーディ家の総資産の三分の一でどうだ? 条件は、私の傍で、死ぬまでその腐った思考を垂れ流し続けることだ」


(……三分の一!?)

私の脳内の計算機が、火を噴くような勢いで数字を叩き出した。

この国の経済の柱であるガリアーディ家の三分の一。それがあれば、没落したヴォアザン家を再興させるどころか、小国の王位すら買える。

……だが、待て私。

この「剥製御曹司」の目は、本気だ。

彼は私を「一人の人間」として愛しているのではない。自分の空虚な内面に「不快感」という色を塗ってくれる、唯一無二の「最高級絵具」として私を所有しようとしている。


「……お断りしますわ。三分の一? 安売りもいいところですわね。私を一生拘束するなら、最低でも半分、いえ、全ての資産を管理させなさいな。……と言いたいところですが、残念。私は自由を愛しているんですの。貴方のような、冷凍保存された感情の観察日記に終止符を打たれる人生なんて、お断りよ」


私は彼の胸を力一杯押し返した。


「それにね、ヴァレリウス様。貴方の今の状態、世間一般では『恋』ではなく『依存』、あるいは『重篤な精神疾患』と呼びますのよ。早く主治医に診てもらいなさいな。ついでに、その凍り付いた情緒も解体工事してもらえばよろしいのに」


私は翻って部屋へ戻ろうとした。

だが、その背中に、彼の低く、熱を帯びた声が突き刺さった。


「依存か。……心地よい響きだ。君の毒という劇薬に溺れ、思考が停止する快感。ベリサリア、君が拒絶すればするほど、私の『所有欲』という名の計算式は複雑化し、解を求めて熱を帯びる。逃げられると思わないことだ」


……ダメだ、これ。

何を言っても「ご褒美」として変換されている。

私は自室のドアを乱暴に閉め、鍵を三重にかけた。


────


「……伯爵。話が違いますわよ。息子さんの情緒を破壊しろとは言われましたが、物理的に私を監禁しようとするモンスターに改造しろとは聞いていませんわ」


数時間後。私は伯爵の書斎に乗り込んでいた。

目の前の伯爵は、あろうことか、顔をくしゃくしゃにして感動に震えていた。


「おお……ベリサリア! 素晴らしい! あんなに無機質だったヴァレリウスが、今朝、私のところへ来てこう言ったんだ。『父上。初めて人間を、その中身まで含めて破壊し、自分だけのものにしたいという衝動に駆られました。これこそが、人間賛歌というやつですね』とな!」


「……それ、殺人鬼のセリフですわよ? 通報案件ですわ」


「いやいや! 息子が初めて『欲しい』と口にしたんだ。それがたとえ、君のような……あー、その、非常に個性的でユニークな令嬢であってもだ! 私は嬉しい! さあ、これが成功報酬の追加分だ。そして、これが君とヴァレリウスの『正式な婚約届』だ」


伯爵が差し出したのは、昨日までの小切手とは桁が違う、黄金の装飾が施された正式な書類だった。


「……伯爵。貴方、自分の息子がどんな目をして私を見ているか、本当に分かっていますの? 彼は私を愛しているんじゃない。私を、自分を刺激する『永久装飾』として飼育しようとしているんですのよ」


「はっはっは! 夫婦なんて、大なり小なりお互いを飼育し合うようなものさ。ベリサリア、君ならあのアホ……いや、賢すぎる息子を、手綱一本で乗りこなせる。ガリアーディ家の未来は君にかかっているんだ!」


話が通じない。

この親にして、あの子あり。

ガリアーディ家の人間は、どこか致命的に「情緒」というネジが一本抜けていて、その代わりに「執着」という名の巨大な歯車が回っているのだ。


私は手渡された小切手を凝視した。

これを現金化すれば、私は今すぐこの国を出て、遠方国で「一生遊んで暮らせる毒舌隠居生活」を送れる。

……今だ。

ヴァレリウスの執着が「監禁」という実力行使に出る前に、この金を持って逃げる。

それが最も合理的で、かつ私らしい選択だ。


「……分かりました。婚約の件、前向きに検討させていただきますわ」


私は猫を被った。

伯爵は満足そうに頷き、私は小切手をドレスの懐に捩じ込んだ。


────


その日の深夜。

私はガリアーディ伯爵邸の裏門へと続く、暗い廊下を忍び足で進んでいた。

荷物は最小限。現金化しやすい小さな宝石と無名債券。そしてこれまでの報酬。あと護身用のナイフ(おまけで口を塞ぐための刺激の強いハーブの粉末)。


「……ふん。さようなら、死体のような若旦那様。貴方の黄金の檻に大人しく入ってやるほど、私はお人好しじゃありませんの。精々、明日から私の残像相手に観察日記でもつけていなさいな」


裏門まであと数メートル。

そこを抜ければ、手配しておいた馬車が私を港へと運んでくれる。


だが。


「……深夜の散歩か? ベリサリア。それとも、新しい『不条理な行動』の実験かな?」


暗闇の中に銀色の髪が月光を反射して光った。

そこには外套も着ず、ただシャツ一枚で冷たい石床に座り込んでいるヴァレリウスがいた。

その手には、私が逃亡用に手配した馬車の「契約書」が握られていた。


「……何で、ここに」


「計算したのさ。君の性格、これまでの言動、そして父上から多額の報酬を受け取ったという事実。それらを統合すれば、君が今夜、この屋敷を脱出し、最も遠い港を目指す確率は九十八パーセントに達する。……残りの二パーセントは、途中で食中毒になる可能性だ」


(クソッ……。このまま最重要拠点を蹴り上げて、逃げるべき?)


ヴァレリウスはゆっくりと立ち上がり、私との距離を詰めた。

その足音は、静かな夜の回廊に、不気味なほど大きく響く。


「逃げる必要はない。君が望むなら、この国ごと買い取って君に与えてもいい。君が私の傍にいて、その呪詛に満ちた言葉を吐き続けてくれるなら、私は何でもしよう」


「……き、気持ち悪い。本当に、反吐が出るほど気持ち悪いですわ。貴方のその、すべてをデータとして処理し、支配しようとする傲慢さ。私が一番嫌いなタイプですの」


私はナイフを抜こうとした。

だが彼は私の手首を掴み、そのまま壁へと押し付けた。壁ダン!

冷たい壁。そして、それ以上に冷たい彼の体温。

だが彼が私を見つめる瞳の中には、見たこともないような「絶望」に近い熱が渦巻いていた。


「……嫌え。もっと嫌え。君のその嫌悪こそが、私の凍りついた世界を焼き尽くす唯一の炎だ。ベリサリア……君は私の人生に現れた、最高の間違いだ。この間違いを修正することなど、万に一つも許さない」


彼は私の髪に顔を埋め、深く息を吸い込んだ。


「……いい匂いだ。不快感と、金への執着と、そして私への殺意が混ざり合った、素晴らしい芳香だ」


(……この、変態野郎!)


私は最重要拠点に蹴りを放とうとしたが、彼はそれを予見していたかのように、巧みに私の動きを封じた。

この男、いつの間にこんな格闘術を? いや、これも「観察」の結果、私の動きをパターン化したというのか。


「……離しなさい。さもないと、貴方のその綺麗な顔に、消えない傷と呪いを刻み込んであげますわよ」


「ああ、頼む。刻んでくれ。君の印なら、どんな苦痛も歓迎しよう」


私は悟った。

「おもしれー女」を演じ、相手を翻弄するつもりが、私は悪魔の「深淵」を覗き込みすぎてしまったのだ。

そして今、その深淵そのものが、私を飲み込もうと顎を開いている。


「……ヴァレリウス様。一つだけ、忠告しておきますわ」


私は至近距離で彼の瞳を睨みつけた。


「私は絶対に、貴方にときめかない。貴方がどれだけ金を積もうと、どれだけ私を閉じ込めようと、私の心は貴方のデータにはならない。私は、貴方を一生、軽蔑し続けるわ。……それでもいいの?」


ヴァレリウスは、満足そうに微笑んだ。

それは、彼が今までの人生で浮かべたどの表情よりも、美しく、そして歪んでいた。


「……最高だ。その軽蔑こそが、私への最高の愛の誓い(プロポーズ)に聞こえるよ」


(……あ。これ詰んだわ)


私の脳内計算機が、「生存確率:ゼロパーセント」という無慈悲な数字を弾き出した。

金はある。地位もある。

だが、目の前には、世界で一番厄介な「執着という名のバグ」を抱えた男がいる。


私のクソな日常は、ここから「監禁(物理)と罵倒(精神)」という、前代未聞の共同生活へと突入しようとしていた。


(……ああ、もう。伯爵。報酬、十倍じゃ足りませんわ。……私の人生、買い取って頂戴!)


夜の回廊に、私の虚しい叫びと、クソ御曹司の冷たくて甘い笑い声が響き渡った。

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