74話 教国の刺客
夜も更けた頃。
建物の中は静まり返っていた。
張り詰めた状況が続いたために、フラムやモニカ、クライスはすでに眠りについている。
ディランも横になっていたが、なかなか眠りにつくことができなかった。
得体の知れない国で、どこに潜んでいるかもしれない敵の気配をどうしても気にしてしまう。
目を閉じれば、教国がこれまでしてきたことが断片的に蘇ってくる。
しばらくして、ディランは気持ちを切り替えるために身体を起こした。
部屋の外へ出ると、廊下の窓から夜の街を眺めているソルディの姿があった。
「眠れませんか?」
ソルディが振り返る。
「まあな」
ディランはソルディの隣へ歩み寄った。
窓の外では、昼間とは違う静かな街並みが広がっている。
所々に灯りが見えるものの、人通りはほとんどない。
「あんたこそ寝ないのか?」
「見張りも兼ねておりますので」
「やっぱり、こういうのには慣れてるんだな」
「ええ。長くローレンス家に仕えておりますから」
ソルディはそう答えると、再び窓の外へ視線を戻した。
しばらく二人とも黙っていた。
だが、ディランはふと思い出したように口を開く。
「そういえば……チャドリックって、いつからローレンス家に?」
「気になりますか?」
「ああ、どうもどっかで見た気がするんだよ」
「ええ」
ソルディは小さく頷いた。
「彼も、ゼラルド殿と一緒に選考会へ参加しておりました」
「そうなのか?」
ディランは腕を組む。
「でも、あいつは俺とは初対面だと言ってたし」
「ふふ、当然でしょう」
ソルディは少しだけ笑った。
「彼はあなた方と出会った時、既にイシュナンテに伸ばされておりましたからな」
「ってことは……もしかして、あの時の」
ゼラルドとお嬢さんを連れて奥の部屋に逃げ込んだ時に倒れてた、あの男がそうだったんだろう。
「なかなか良い動きを見せてくれましたからね」
「チャドリックが?」
「ええ」
「彼は他の参加者たちが想定外の拉致事件で困惑する中、ゼラルドと協力してお嬢様の救出に向かったのです」
ソルディは静かに言葉を続けた。
「シュヴァリエ選考会では、参加者の戦闘能力だけを見ていたわけではありません」
「想定外の事態に対する臨機応変さ……」
「ええ。様々な状況下において、単純な剣の腕だけで生き残れるわけではありませんから」
ソルディは静かに続ける。
「チャドリックは、他の参加者が手をこまねいている状況で、いち早く敵の動きを確認し、救出方法を考えておりました」
「そうだったのか」
「はい」
その言葉に、ソルディの表情が少しだけ緩んだ。
「ゼラルド殿も、彼の協力を得てあなたと合流し、見事にお嬢様を助け出しました。どちらかが欠けていれば、救出することは難しかったでしょう」
「なるほどな、それであんたが勧誘したのか」
「ローレンス家の隠密隊として働く気はないかと、声をかけただけでございます」
「隠密隊……」
聞き慣れない言葉に、ディランは眉を上げる。
「ローレンス家を陰から支える者たちが必要ですから」
「陰からね……」
「はい、まぁ色々とやってきましたが」
ソルディは苦笑する。
「商人というものは、敵が多いものですから」
「おっかねぇな〜」
ディランは窓の外へ視線を向ける。
昼間は穏やかに見えた街。
しかし、今はその静けさが妙に不気味に感じられた。
「ソルディ」
「はい」
「この国って……何を信仰してるんだ?」
ソルディがディランを見る。
今更何を、という顔だったが、それに構わず静かに続けた。
「もちろん、マナや魔獣を信仰してるんだろうってことくらい知ってる」
ディランは少し言葉を選ぶ。
「でも、俺にはそれがどういうものなのか、いまいち分からない」
「……ディラン殿は迷い人でしたな」
「ああ」
「でしたら、無理もありません」
ソルディは窓から離れ、壁へ背を預けた。
「マナウルス教の教えでは、マナはかつて世界に溢れていたと言われております」
「世界に?」
「人も、動物も、植物も……すべての生命はマナによって生かされている」
「すべての生命?」
「ええ」
ソルディは頷いた。
「魔獣たちは、それらの生命がマナによって進化を遂げた存在だと考えられています」
「……進化ねぇ」
「魔獣こそが、マナに選ばれた崇高な存在だと、この国の者たちは信じているのです」
ソルディは静かに答える。
ディランは黙って聞いていた。
「だからこそ、教国では人間も魔獣のような進化を目指しているのでしょう」
「……なるほど」
昼間、街を歩いていた信徒たちの姿を思い出す。
穏やかな表情。
争いのない街。
自分が想像していた教国とは、少し違っていた。
「じゃあ……この国の人たちは魔獣を崇めてるのか?」
「そこまで単純ではありません」
ソルディは首を横に振る。
「信仰の対象はあくまでマナです。魔獣は、そのマナによって生まれた存在として尊重されているに過ぎません」
「……それなら」
ディランは少し考えた。
「どうして、あんな研究をしてるんだ?」
ソルディの表情から笑みが消えた。
「そこが問題なのです」
「マナを信仰してるなら、人間と魔獣を融合させるなんて研究は、教えに反してないのか?」
「本来ならば」
ソルディは低い声で答えた。
「ですが、現在の教国は……信仰を理由に、マナそのものを利用しようとしている」
「利用……」
「ええ」
ソルディはそれ以上を語らなかった。
ディランも追及しなかった。
今はまだ、分からないことが多すぎる。
だが一つだけ。
この国には、表向きの信仰とは別に、何か大きな思惑が存在している。
それだけは間違いなかった。
「……明日は、倉庫街を調べるんだよな」
「はい」
「なら、頑張って寝ておくか」
「そうしてください」
ディランは部屋へ戻ろうとした。
その時だった。
「ディラン殿」
「ん?」
「敵の規模は遥かに大きい……無茶はせぬように」
ソルディは窓の外を見つめたまま言った。
「……分かった」
ディランは小さく頷き、部屋へ戻っていった。
翌日。
教国の街並みに、白いローブを纏った四人の姿があった。
先頭を歩くのはディラン。
その隣にはフラムとモニカ。
少し離れてクライスが周囲を警戒している。
昨日までとは違い、見た目だけなら教国の信徒と変わらない。
「どうだ?」
クライスが小声で尋ねる。
「何が?」
「俺たち、馴染んでるか?」
「全然、あんたは特に浮いてるわよ」
フラムが即答した。
「やっぱりか、俺もそんな気がしてたんだよ」
クライスが肩を落とす。
そんなやり取りをしながら、四人は地図に記された倉庫街へ向かっていた。
目的地は、街の中心から少し離れた場所にある。
足を進めるほどに、人通りも徐々に少なくなっていく。
「この辺りね」
フラムが周囲を見回す。
並んでいるのは古びた倉庫ばかり。
昼間だというのに、人の姿はほとんどない。
ディランは地図を確認する。
「ソルディが言っていた場所は、この辺りだ」
「なら、手分けするか?」
クライスが提案する。
「いや」
モニカが首を横に振った。
「それは危険です」
「だが、四人で歩き回れば目立つぞ」
「それもそうね」
フラムが考え込む。
その時だった。
——カツン。
どこかで、小さな音がした。
「……?」
ディランが足を止める。
周囲を見回す。
誰もいない。
「どうした?」
クライスが尋ねる。
「今、何か聞こえなかったか?」
「何も……」
モニカが答えた、その瞬間。
「っ……後ろだ!」
ディランが叫ぶ。
振り返った先。
そこには、一人の男が立っていた。
銀灰色の髪。
鋭い瞳。
こちらを真っ直ぐ見据えている。
「……見つけた」
男が呟いた。
その瞬間、建物の屋根から何かが飛び降りる。
「っ!」
フラムが剣を抜く。
着地したのは、一人の女だった。
茶色の髪。
そして……黄金色に輝く瞳。
「逃がしません」
女が静かに言った。
ディランは盾を構える。
「誰だ、お前ら!」
男が一歩前へ出た。
「……」
男は黙ったまま、隣の女へ視線を向ける。
それが何かの合図だったのか、女は深く腰を落とした。
その瞬間……
彼女の身体が、人間とは思えない速度で跳び出した。
「速い!」
ディランが盾を構えた直後。
——ガンッ!
凄まじい衝撃が盾を叩き、ディランの身体が大きく後退する。
「ぐっ……!」
「ディラン!」
フラムが叫ぶ。
女は着地すると同時に身を翻し、再びこちらへ向き直った。
その瞳に宿る光は、もはや人間のものではない。
「外した……ウルブ様」
「イーグル」
「はい」
「力に振り回されるな」
「……分かっています」
ディランは盾を構え直した。
目の前の二人。
ただの諜報部隊ではない。
身体能力そのものが、これまで戦ってきた人間とは明らかに違う。
そして……
ウルブの口元から、鋭い犬歯が覗いた。
「行くぞ」
次の瞬間。
二人の姿が同時に消えた。
「来るぞ!」
突如として現れた刺客を相手に、四人は武器を構えた。




