70話 教国前夜
ミュハールの案内で借りた空き家に入ると、一行は荷物を降ろした。
住む人間が居なくなって、しばらく経つのだろう……少し埃っぽい匂いが漂っていた。
「村を出たやつの家なんだが……ここで良かったら使ってくれ」
「いや、屋根の下で休ませてもらえるだけでもありがたい」
「客人に泊まってもらうには手入れも何もできちゃいないが……まぁ、ゆっくり休んでくれ」
そう言い残し、ミュハールは自警団の仕事へ戻っていった。
扉が閉まると、室内に静寂が訪れる。
「さて」
モニカが口を開いた。
「本来の目的を確認しましょう」
全員の視線が集まる。
「私たちがここへ来た理由は二つです」
机の上に地図を広げる。
「教国の研究施設の調査」
「そして、マナ因子に関する情報収集」
ディランも頷いた。
ギュメルの突然の暴走。
教国の人体実験。
謎に包まれたマナ因子。
それら全てが繋がっている気がしてならない。
「問題はどうやって教国に入るかだな」
クライスが腕を組む。
「この集落からなら、教国の裏手から潜入することは可能なはずだが」
「……普通に行商人として入れないの?」
フラムが提案する。
「教国との交易は、限られた相手としか行っていないそうですが……」
モニカは口元に手を当てて思案する。
「そんじゃ、その行商人とやらを捕まえて一緒に入れてもらうか?」
「それができれば一番いいですが、それが何日後になるのかわかりませんよ」
「んじゃあ、やっぱ裏側から潜り込むしかねぇだろ」
クライスの言葉に、モニカも頷いた。
「そうですね……それが現実的だと思います」
「いいのか?」
ディランが尋ねる。
「正規の手段で入国できるのが理想ですが、それを待っている時間はありません」
モニカは地図を確認する。
「この集落の北側にある森を抜ければ、教国の領内へ入れます」
「魔獣は?」
「出てくるでしょう」
それに、とモニカは続けた。
「教国側も、まさかこんな場所から侵入してくるとは考えていないはずです」
クライスが笑う。
「そりゃ、命懸けでそんなとこから潜り込むとは思わねぇだろうな」
「潜入後はどう動くの?」
フラムが尋ねた。
「まずは街へ向かいましょう」
モニカは教国の地図を指差した。
「研究施設の場所は不明です。おそらく、地下施設か何かがあると考えるべきですが……」
「まずは、聞き込みか」
「ええ」
ディランは地図へ目を落とした。
(この集落から教国へ向かった人たちがどうなったのかも気になるが、やつらが行ってる研究や、イスフィールとの関係も何か掴めるといいが……)
「じゃあ、これからの方針は決まりね。ここまで来るのにも疲れたし、休ませてもらうわ」
フラムはそう言って身体を伸ばしながら立ち上がった。
「休むのも大事ですが、装備や携行品の確認もしっかりしておいてくださいね」
モニカの忠告を、はいはいとあしらいながら、フラムは隣の部屋へ入っていった。
「もう……本当にわかってるんでしょうか」
「ははは、そんなもん心配しなくても大丈夫だろ。あいつの方が、嬢ちゃんより場数踏んでるんだからよ」
クライスが笑い飛ばしながらモニカに声をかけると、彼女はジトっと睨み付けるように顔を顰めた。
「むぅ……そうかもしれませんが、私は念のためにですね」
「わぁってるよ……ったく、相変わらず生真面目な嬢ちゃんだぜ」
「これから、教国という得体の知れない国を相手にするんだから、慎重に動くに越したことはありません」
モニカはそう言って、広げた地図を片付ける。
「さぁ、足りない物資は可能な限り調達してから森へ入りましょう。お二人とも、しっかり休んでくださいね」
そう言うと、モニカは資料を抱えて隣の部屋へ向かっていった。
「じゃあ俺も寝るとするか」
クライスも欠伸をしながら立ち上がる。
「ディラン殿も、早めに寝なよ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
クライスの姿が部屋から消え、一人残されたディランは、ふと窓の外へ視線を向けた。
既に日は傾いていた。
広場では住人たちが家路につき、自警団の人間たちが見回りの準備を進めていた。
子供たちの姿も見える。
夕暮れの中を、笑いながら家路についていた。
魔獣の脅威がすぐ傍にあるというのに、その表情に怯えは見えない。
「……強いな」
誰に聞かせるでもなく呟く。
豊かとは言えない生活。
終わりの見えない魔獣被害。
それでも彼らは、この土地で生きることを選んでいた。
ミュハールの言葉を思い出す。
『本当は離れたくないんだよ……』
家族がいて、仲間がいて、そんな故郷を守りたい。
だから踏ん張れるのだろう。
(それなのに……)
教国は、人を攫って、得体の知れない研究を続けている。
ここで苦しむ人たちの事を、なんとも思っていないのだろうか……
(それほどまでに、必要なことだって言うか?)
ここで考えても答えは出ない。
全ての答えは、これから向かう先にあるはずだ。
ディランは窓から視線を外した。
「いよいよ……だな」
小さく呟き、盾や携行品の確認をする。
盾を磨き、食料や薬草の準備を終えると、静かに横になった。
教国は目前まで迫っている。
長い夜が、ゆっくりと更けていった。




