7.もうひと押しの魔法 ― 何気ない会話のすき間から
ある夕方。
尚人はことりの家に寄っていた。
晩ごはんを一緒に食べるのは久しぶりで、テーブルには姉お手製のパスタとサラダ。
「このオリーブの香り、いいね。ちょっと本格的」
「でしょ? 最近ちょっとだけ“映えごはん”にハマっててさ。
撮影の前に作ると、気分も上がるの」
尚人はふと、そんな姉の“気持ちの整え方”に興味をもった。
「……姉ちゃんって、コスプレする前、なんか準備してることあるの?」
「んー…あ、あるある!
衣装のチェックとか、ウィッグの整えとか、あと…」
そう言いかけたことりは、スプーンをくるくる回しながら、
ちょっと照れたように笑った。
「実はね、“ちょっとそのキャラになったつもりで過ごす”ことあるんだよね」
「え、どういうこと?」
「んーとね、例えばキッチンに立つとき、
『このキャラなら、どんな表情するかな』って思いながら動いたりとか。
セリフを小さく口にしてみたりとか、ちょっと姿勢を意識したりとか」
「へぇ……なんかそれ、楽しそうだな……」
言った自分に、ハッとする尚人。
でも、ことりはそれに気づかず、ニコニコしながら続ける。
「そうやって過ごしてると、自然と“なりきるスイッチ”が入るんだよね。
で、気づいたらメイクとか衣装とかの違和感も減ってて――
“私、これでいいんだ”って思えるの。
あれ、不思議だよね」
帰り道。
尚人は、自分の歩き方にふと意識が向いていた。
(キャラになったつもりで……か)
ほんの冗談のつもりで、
頭の中で、自分が見た“男の娘キャラ”の台詞を呟いてみる。
「……ふふ、どう? ちょっとは、様になってる?」
(……いや、絶対無理だろ!)
でも、思ったよりも“楽しかった”のは――
きっと姉の言葉が、あたたかく残っていたから。
その夜、尚人はまたスマホを開いた。
お気に入りにしていたキャラクター画像の横に、
自分の姿をちょっとだけ想像してみる。
(……もしかしたら、ちょっとだけ、やってみたくなってるのかも)
姉の一言。
何気ない会話。
でもそれは、誰よりも優しい魔法だった。