第十四話 王都脱出2
避難は順調に進み、王都の人口は急速に減って行った。
ただし、順調に見えるのは全体としての傾向であり、個別に見れば様々なトラブルが発生していた。
少しでも多くの家財を持ち出そうとして東奔西走していた者達のドタバタ劇は、急速に終息して行った。
彼らはある意味余裕のある者達だ。
持ち出した私財を活用して避難先でいち早く自立すればそれで良し。
同じく難民となった同胞の手助けをすればなお良し、と多少のことは大目に見られたが、それが避難の邪魔になるようならば容赦はしない。
財産よりも命の方が大切。
最終的にはその真理に直面し、どこかで諦め、妥協して行った。
避けようのない悲劇として人々の頭を悩ませたのが、住民同士の離別である。
同じ王都の住人が、遠く離れた複数の避難先に向かうのである。
別の国に避難した者同士は、最悪二度と生きて会うことはないだろう。
基本的に同じ家族、同一地域は同じ避難先が割り当てられたが、それだけで全て上手くいくはずもない。
職場で気の合う同僚同士が離れ離れになった。
将来を誓い合った恋人が離れ離れになった。
家を出て嫁に行った娘や独立した息子が、実家の親と離れ離れになった。
個別の事情によっては多少の融通も効いたが、避難先の変更が認められたとしても、それは別の決断を迫ることになる。
家族を取るか、友人や恋人を取るか。
今の家庭を守るか、実家の親を守るか。
全ての者が納得する正解はないし、それを探すだけの時間もない。
数多くの分かれの涙を流し、何時の日かの再会に希望を託し、人々は旅立って行った。
避難した者が増え、王都に人影が少なくなってくると、また別の問題も発生する。
例えば、火事場泥棒である。
主要な犯罪組織は壊滅、あるいは逃げ出した後だから大規模に行われることはなかったが、個人的に犯罪に走る不届き者までいなくなったわけではない。
街の一角がまとめて避難して無人になってしまうと、留守宅に侵入することは容易だ。
もっとも、容易に侵入できたからと言って空き巣による被害が甚大になるかと言えば微妙なところだ。
避難して行った人は、可能な限り財産を持ち出している。嵩張らない高価なものはほとんど残っていないだろう。
嵩張る高価なものならば残っているかもしれないが、持ち出すのは一苦労になる。
本来の持ち主が長旅になる国外避難に持って行けないと判断した物である。盗んだところで、自分が避難する際には置いて行くことになる可能性は高い。
売り捌こうにも、この状況で荷物にしかならない物は盗品でなくても買い手がつかない。
犯罪組織が残っていれば、盗品を持ち出すための馬車を用意できたかもしれないが、個人では無理だろう。
結局、空き巣に入ってもほとんど益は無いのだ。だから、頭の良い者はそんな無駄なことはしない。
けれども、頭の悪い人間はどこにでもいるものだ。
金目の物はほとんど残していないとしても、留守中の自宅に泥棒が入るのは不快であり、これから避難を開始する人の不安を煽ることになる。
また、金品が見つからなかった腹いせに家屋を破壊されたり、火を付けられでもしたら目も当てられないことになる。
死霊との戦いで破壊されるのならばともかく、不心得者の投げ遣りな行為で王都が灰燼に帰したりしたら、避難に応じてくれた国民にも国を築いてきたご先祖さまにも申し訳が立たない。
だから、数多くの兵士が見回りに当たった。
住人が避難して無人になった住居が増えるほど、見回りの兵士が増えるという奇妙な状況になった。
無人の住宅街を巡回する兵士には、防犯の他にもう一つ、重要な役割があった。
それは、避難していない人を探すことである。
書類上では全員避難したことになっていても、本当に避難が終わっているとは限らない。
自分の避難する日を間違えて憶えていたとか、集団避難の当日に体調を崩して寝ていたとか、タイミング悪く王都を離れていて通知を受け取れなかったとか。
王都には一人暮らしの若者もそれなりにいるから、当日うっかり寝過ごして置いて行かれたりすることもある。
さらには自主避難をした人――公式発表前に人知れず国を出た人などもいるから、当日集合場所に現れなかった者を細かくチェックすることはない。
そういう人も申し出れば別の避難集団に組み込んでもらえるのだが、何処に何と申し出れば良いのか分からずに自宅でまごまごしている人もいるのだ。
さらには、そういった避難し損ねた者だけでなく――
「ワシは絶対に避難などせん! この家を出て行くくらいなら、このまま死んでも本望だ!」
頑なに避難を拒む者もいた。
だが、「そんなに死にたいのなら好きにしろ!」と突き離せない理由があった。
「王都に残って死ぬとそのまま死霊になるから迷惑なんだよ! おとなしく避難しろ!」
二百年前の死者の大行進事件の際に、死霊に殺された者の死体がそのまま死霊の仲間入りをして襲って来る現象がみられた。
戦死者が死霊になるから戦えば戦うほどに敵の戦力が増える。怨霊に勝てない理由の一つだった。
王都の人間を全員避難させるのは、死霊の戦力を少しでも削ぐ意味合いもあったのだ。
避難を拒否する者は、兵士に引き立てられて強制的に集団避難の一群に押し込まれることになった。
元々集団避難に遅れた人を回収するために、後から出発するグループほど人数に余裕を持たせている。
それでも出発直前に押し込まれる避難者は個別の事情を考慮して避難先を吟味する余裕があまりない。
後々悲劇を生み出すことになるだろうが、それはまた後の話。今は避難を完了することが最優先だった。
王都の人口がさらに減ると犯罪に走る者もほとんどいなくなり、巡回する兵士は残っている人を見つけることに注力することになった。
その範囲はさらに広がり、貧民街に残る名簿で管理しきれない貧民や、住居を持たない浮浪者も見つけ次第避難集団に加えて行った。
空き巣行為を行う者はほとんどいなくなったが、空き家に潜り込む浮浪者はいるから見回りに手を抜けない。
兵士が全力で頑張った結果、王都から一般人は姿を消した。
残ったのは、避難を手伝った一部の民間業者と政府の役人、そして兵士達だ。
彼らは、最後の集団避難の一団となって王都を旅立って行った。
王都の住人は、一度も死霊の姿を見ることなく王都を後にした。
そのため、本当にこれほど大規模な避難が必要なのかと疑問視する声もあったが、その声は大きく広がることはなかった。
事前の情報操作の賜物である。
避難を拒否しようとした者も兵士により強制的に避難させられて、予定通りほぼ王都は空になった。
第一段階はひとまず成功である。
だが、これは始まりに過ぎない。
出発した避難民は、全てが避難先に到着したわけではない。
多くの避難民抱えた集団の足は遅い。女子供老人も混ざっているのだ。
体力の無い者は交代で馬車に乗せたりもしているが、それでも全体の速度を上げることは難しい。
もとより、この世界の旅行は安全でも楽でもない。
軍が護衛して大きな街道を集団で進んでいるからどうにかなっているのであって、万が一にもはぐれたら行倒れる者も出るだろう。
そして、避難するのは王都の住人だけではない。
街道が混雑し過ぎないように、時期やルートを微妙に変えながら、北方三辺境領を除く全ての国民が避難を行うのだ。
残念ながら、聖女の結界が無事なうちに全ての国民が避難を終えることはできない。
最後の方に脱出する国民は、死霊に追われながら国外への道を急ぐことになるだろう。
追いすがる死霊から民を守るため、最後尾になりそうな後発の集団避難には多めの兵士を護衛に付けていた。
そして、避難民に向かう死霊を少しでも減らすために、王都に残る者達がいた。
対死霊用の武具を装備した近衛騎士。有志の貴族と兵士達。そして王族。
彼らは溢れ出した資料と戦い食い止める防衛線力であり、死霊を王都に引き止める囮である。
王都に残って戦う、彼らの生存は最初から考慮されていない。