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第十二話 噂は走る

 聖女様が国を出てから三ヶ月。

 表面上は変わりない王都も、微妙に雰囲気が変わってきていた。

 仕事帰りの男達で賑わう銀竜亭も、心無し元気がないように見える。

 もっとも、そう感じるのは、俺がこの国の裏で起きていることを知っているからだろう。

 数年前から行われていた貧民の開拓団への引き抜きは、貧民に直接かかわる一部の者しか気が付かないだろうし、今に始まったことではない。

 その貧民を食い物にしていた無法者(アウトロー)の逃走を知る者はさらに少ないだろう。

 今の段階で王都を去るのは、情勢に聡く、国外に移り住む何らかの伝手のある非常に一部の者だけだ。

 数が少ないし、元から国外と行き来して不思議のない者達だから目立たない。

 だから、聖女様の不在とそれに関連して流れた噂以外、王都で何か起こっていると気付いている者はほとんどいないはずだ。


「最近は、王都もすっかり寂しくなっちまったねぇ。」


 いきなりこのセリフが出て来る銀竜亭の女将は只者ではない。


「そうか? 相変わらず繁盛しているようだが。」


 俺は周囲を見渡してすっとぼけてみせる。

 実際、銀竜亭の賑わいはいつもと何ら変わりない。


「この時間に来るのは堅気の連中だからねぇ、簡単には王都を離れられないよ。」


 そう。王都の一般市民の多くは定職を持って王都で働いている。

 不確かな噂程度では王都を離れることなどできないだろう。

 特に問題となるのが農民だ。先祖代々苦労に苦労を重ねて開墾した農地を捨てることなどできるはずがない。

 王都ならばまだ農業以外の職業も多いが、地方の小さな村などは住民の大半が農民だ。

 彼らに土地を捨て避難を行わせるのは並大抵のことではできない。


「安売りしていた売れ残り品がめっきり売れなくなったと、パン屋のオヤジがぼやいていたよ。貧民街はもうすっからかんだね。」


 さすがは情報通の女将だ。普通ならば気にも留めない貧民の情報まで押さえている。

 王都から貧民が流出し始めたのは数年前に遡るが、夏至祭以降それが加速している。

 一般人にはあまり関係のない話だし、治安の悪い貧民街にわざわざ確認に行くような者は一般人ではない。

 もちろん、全く無関係ということはない。

 貧民だって収入があれば食べ物を買いに来るし、逆に食い詰めれば残飯を漁りにやって来ることもある。

 また、あまり知られていないが、貧民街の連中は安い労働力の供給源として社会に組み込まれている。

 専門的な技術や信用が必要な仕事を任せることはできないが、一時的な単純作業の人手として人数が必要な場合などに便利に使われていた。

 職場で人手が不足して困った者もいるだろう。

 だが、一般人にも手に入る情報を総合して、貧民がいなくなったことを自信を持って言える者はそう多くはないだろう。

 この女将、諜報部に欲しいくらいの逸材だ。


「それから、サンソン商会も会長以下主だった者が国を出て行っちまっただろう。ついて行った人も多いだろうさ。」


 サンソン商会はグランツランド王国と同じくらい古い歴史のある大商会だ。

 その会長であるシャルル・サンソンは聖女の熱心な信奉者として知られていた。

 聖女様が国外追放になったことで、シャルル会長が後を追って国を出ることは多くの者が予想していた。

 予想外だったのは、行動があまりにも早かったことと、会長だけでなく商会の大部分が国外に出てしまったことだった。

 王都にも店舗は残っているが、店舗だけであり、商会としての本体は残っていなかった。

 歴史が長いだけあってサンソン商会の取引相手は幅が広い。

 一般庶民から王侯貴族まで幅広い層に対する小売。

 商品の仕入れ元になる農家や職人などの生産者。

 時に競争相手となり、時に協力し合う他の商会や商人。

 小売業に関しては店舗を残して継続しているが、関係の深い職人や商人の一部がサンソン商会を追って国外に出て行ってしまったのだ。

 これは本来ならば一大事である。

 技術と資本と人材がまとめて国外流出したのだ。国として全力で阻止すべき事態だった。

 だが今は非常時だった。

 商人や職人が余裕を持って脱出し、国外で仕事ができる状態になっていることは望ましい。

 ギリギリになって避難して、十分や資金や商品、仕事道具を持ち出せなければただの避難民にしかならない。

 国外で安定した生活を送れるものが増えれば、難民となった同胞に対する支援がそれだけ厚くなる。

 もちろん今の段階では非公開の情報だ。

 サンソン商会の店舗は営業しているし、シャルル会長の聖女様好きは有名だから本人がいなくても「聖女様を探しているのだろう」で済まされてしまう。

 普通ならば気付かないはずの情報なのだが、女将はしっかりと認識していた。

 問題はどの程度の範囲まで知られているかだな。

 女将は優秀だが、他にも気付いた者がいないとは限らない。

 自力で他国に移住できる者が気付いてこっそり出国する分には問題ないが、そうでない者に対して必要以上に不安を煽るのはまだ早い。

 話の広がり具合によっては要注意だ。


「後は貴族様関係も随分王都を離れたみたいだねぇ。使用人も引き上げてしまって、帰ってくる気が無いと言っているようなものだよ。」

「へー、そうなのかい。」


 おいおい、それは本当に機密事項だぞ。

 俺は興味のなさそうな生返事をしつつ、内心冷や汗ものだった。

 一部の貴族の家族や関係者は、既に国外への脱出を始めている。

 一見民を見捨てて逃げたように見えるが、避難民を受け入れるためのロビー活動を行う使命を帯びている。

 家財を持ち出しているのも、現地での活動に使用するためだ。滅びる国に財産を残してもなんの意味もない。

 誤解を受けやすく不安を煽るので極秘扱いだったのだが、何処で漏れたのだろう?

 声を潜めて言ったということは、女将もこの話のヤバさを理解しているのだろう。

 まったく、この女将は敵に回したくないものだ。

 おそらく、女将は俺が一般人でないことを見抜いている。

 詳細は知らなくても、国の関係者であることくらいは気付いているのだろう。

 諜報部以外にも、民間人のふりをして仕事をしている政府関係者は存在している。

 そんな政府関係者の一人である俺に、わざわざこんな話をしたのは、協力する意思があるということだろう。


「女将は王都を離れないのか?」

「あたしは客がいる限りここを続けるさ。まあ、客がいなくなったら、息子夫婦がアウセム王国で宿をやっているからそっちに世話になるとするかね。」


 国外に伝手もあるようだ。

 王都だけでなく、国全体が危ないことまで知っているのかもしれない。

 正直、放置するのは危険だ。

 一般大衆の情報が集まる銀竜亭ならば、逆に情報を広めることも可能だろう。

 女将の持つ情報を安易にばら蒔かれても困る。

 重要な情報には流す順番とタイミングがあるのだ。

 不確定な噂が多少流れる程度なら問題ないのだが、もっともらしい話が広範囲位に流布されればそれは真実として受け入れられ民衆の行動に影響を与えてしまう。

 銀竜亭にはそれだけの影響力があった。

 このままにはしておけない。

 どうにか手を打たなければ。


 世間では諜報部と言うと、邪魔者は消す! とか、秘密を知ったものは拉致監禁! とか言った物騒なイメージがあるらしい。

 確かに荒っぽいことをやっている部署もある。他国の間諜との争いでは実力行使に出ることも珍しくないそうだ。

 だがそれは本来最後の手段だ。

 諜報部の本分は情報収集、防諜、情報操作だ。荒事は軍の領分になる。

 特に一般人を巻き込むような目立ったことは極力避ける。

 間諜同士ならば互いに下手な痕跡を残さないように気を付けているからまだ良いのだが、一般人を巻き込むとその後の隠蔽工作等が大変なことになるのだ。

 一般大衆と一括りにされる人々も、それぞれの事情を抱え、様々な繋がりを持っている。

 実は名もない一般人を手にかけて、不自然でないように隠蔽することは、実は非常に困難なのだ。

 これが軍の防諜活動ならば証拠さえ残さなければ問題ないらしいが、諜報部基準、特に民衆に関する情報を扱うシープドックスではそんな雑なやり方は認められない。

 まあ、それ以前に俺は自衛用の戦闘訓練しか受けていないし、暗殺の技能などは持っていない。

 俺の役割は荒事ではないのだ。


 つまり、俺が銀竜亭の女将に対して行ったことは、交渉だった。


 女将も最初からそのつもりで話を振ったのだろう。

 足元を見られ、主導権を握られてしまったが、どうにか協力を取り付けることができた。

 敵に回せば、あるいは勝手に動かれるだけで厄介な相手だが、味方にすればこれほど頼もしい者もいない。

 随分とふんだくられたが、それだけの価値はあるはずだ。


◇◇◇


「国民の予測生存率、作戦の成功確率、ともに九割を超えました!」


 室内に歓声が沸いた。

 これまで計画の節目毎に幾度も行われてきた再演算。

 それが、これまでで最高の数値をたたき出した。

 ラプラスの神具による未来予測は、近い将来ほど精度が高くなる。

 これで作戦は成功したも同然、と思うのは早計にしても、希望が見えたことに違いはない。


「この結果を持って、計画の最終段階への移行を具申する。」


 この一言で、浮ついた空気が一気に引き締まった。

 計画の最終段階とは、国民に国の危機を公表し、避難を促すことだ。

 失敗すれば今までの苦労が全て水の泡、やり直しの効かない一発勝負だった。


「これ以降、シープドックスは段階的に規模を縮小して行くことになる。」


 裏方の仕事はここまでだった。

 情報操作で大衆をコントロールするのは、全国民の避難と言う一大事を受け入れるように誘導するところまでだ。

 そこから先、避難民となった国民を誘導するのは軍の役割になる。


「諸君はこれからそれぞれ別の部署に異動することになる。だが、何処に移って何をするにしても我々の目標は変わらない。全国民が生き延びること。その目標に一歩でも近づくよう、全力で当たって欲しい。」


 全員が無言で頷く。

 仮初の平和は、間もなく終わる。

 三百年間隠されてきたこの国の闇は暴かれ、人々は間近に迫る滅びに気が付くだろう。

 そのことで動揺して自暴自棄にならないように、冷静に国外避難を受け入れるように、可能な限りの手は打った。

 だが、それで終わりではない。

 この国の人々の苦難はここから始まるのだ。

 せめてその第一歩で躓かないように。

 そのために、彼らは全力を尽くすのだ。


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