【書籍発売記念SS】悪役令嬢の母は英才教育を施す
ローズの母視点、幼ローズと幼パトリックです。
──アディール侯爵邸は今日も幸せに満ちていた。
社交界の華と呼ばれた娘は、王族の覚えも目出度く生き馬の目を抜くほどの快進撃をとげる若き侯爵と結ばれた。
彼女は玉のように愛らしい二人の子どもたちにも恵まれ、カミーリア・アディールは貴族女性の人生として”アガリ”の位置に立った。
順風満帆、誰の目にも正しく清い道は光で照らされ、足元は花びらで舗装されている──そんな道を歩んできた女性。それがカミーリア・アディールだった。
と、人は無責任にも言うのだ。
彼女を愛してやまない、アディール侯爵は『妻の魅力はそんなものではない』と惚気るが、詳細は語られたことがない。愛に対しては貪欲なタチなのだ。
そんな幸せいっぱいなアディール侯爵邸では、毎晩の就寝前に家族水入らずの団らんをとることにしている──
「お母さま! 今日もお話を聞かせて?」
「あらあら。夜ふかしさんね」
アディール侯爵家に誕生した長女、ローズは第三王子の婚約者になり、王宮へ顔を出すために一足早くマナーのレッスンを始めているのだが、この時間には少しだけ幼くなる。
その様子がとても可愛いのでついつい許してしまうのが常だ。
「ローズ、お父さんもお話できるよ」
「今日は治水の歴史のお話ではなく、ドキドキするお話がいいの!」
父親であるアディール侯爵の話は、今日はお気に召さないらしい。
カミーリアは夫の歴史や地理に関する博識な面を見ることを好んでいるので、少しだけ残念だった。
「お兄ちゃんが騎士の話でもしようか」
「お兄さまの騎士の話は、戦いではなく弱味を握ってばかりだわ」
「剣を振るうだけが戦いではないんだよ」
父親を押しのけるように前に出たのは、長男のパトリック。
パトリックは王太子殿下と順調に親交を深め、よき理解者になれるよう励んでいる。
ローズは兄好みの知力での戦いに物足りなさを感じているらしい。
先日、王太子殿下がわざわざ我が家に来て剣術の訓練をローズに見せていたことで、ローズの好みに変化があったのかもしれない。
「パトリックは剣術にも時間をとったほうがいいな。卓上ばかりでは想像力も培われない」
「そう! ローズはそうぞうりょくをつちかいたいの!」
大人の口調を真似るローズの愛らしさに、三人とも肩の力を抜いて微笑んだ。
「まあ。ふふ。では、今日は灰かぶり姫の話にしましょうか」
灰かぶり姫とは、父親を亡くした不遇な少女が継母と義理の姉妹から受ける虐待にも腐らず幸せを夢見る話である。最終的に心優しい少女は周囲に助けられ、王子と結ばれるのだ。
だが、ローズの顔はムスッと不満げだ。膨れた頬が柔らかくて、代わる代わる触れているとローズが枕の下に隠れてしまった。
「わたくし、このお話キライだわ」
「あらどうして?」
「だって、可哀想なのだもの…大好きなお母様もおらず、大好きなお父様もお空に行ってしまうなんて」
徐々にローズの声は涙が混じり、皆の眉も下がった。
「しかも……新しい家族となるお義母様もお姉さまも家族と認めてはくれないのでしょう? わたくしだったら、そのような環境で優しい心を持っていられるでしょうかと……」
「ローズは心配になってしまったのね」
枕の中から顔をあげたローズは目元を赤くし、涙を堪えるように唇を引き結んだ。
すぐ泣いていたローズが涙を堪える顔には、カミーリアだけではなく父も兄も耐えられず、今度は代わる代わるローズを抱き上げた。
ついこの間まで腕の中に納まっていたはずのローズは、こんなにも大きくなったのか。
慰めるように輝く銀糸の髪を撫でつけた。
「そんな弱い心では、きっとわたくしは最後に処刑されてしまうのだわ!」
「あらまあ」
これには少しカミーリアはクスリと小さく笑ってしまった。
ローズの想像の中では、孤独になってどんな大罪を犯したのだろう。
一人で成せる行いは善いことも悪いことも小さく収まるのが常だが、ローズならなんだかんだと事を大きくしてしまいそうだと想像してしまった。
「大丈夫だよ、ローズ!処刑されそうになったらお兄ちゃんが戦うよ!」
ほら、言ったそばから。
カミーリアは、おっとりと「あらまあ」と口元を押さえた。
「ではなおさら剣術にも時間を割かなければね」
「……人には向き不向きがあるから、そうなる前に処刑を回避させよう。法律は緩いんだ。時代によって都合よく解釈できるようにね」
「お兄さま……!」
ローズは感激しているけれど、カミーリアは少しだけ遠い目になった。
息子のパトリックは夫に似て優秀だとは思っていたが、邪悪な方にも優秀になるとは。
「こらこら。それは私の仕事だぞ」
「あなたが手を出すのは職権乱用よ」
「そのための権力だろう?」
「そうだったかしら?」
本当にそうだっただろうか。
カミーリアの傾げた頭は角度を深くした。
「ローズ、このお話の教訓はなんだと思う?」
まあいい。カミーリアは夫の陰の部分も素敵だなと思っていたので、些事である。
今はローズのことに集中しようと意識を切り替えた。
カミーリアは、ローズが将来生きていく──いや、牛耳る社交界について教育せねばならないのだから。
きょとんと小さな頭を傾げたローズは幼く可愛い仕草で、カミーリアを見上げた。
「どんな逆境でも腐らず、幸せを諦めなければ報われるというお話ではないの?」
「そうね。でも、実はそれ以外にも見えてくるものがあるわ……」
一旦、言葉を区切ってみれば。
ローズもパトリックも、夫までカミーリアの次の言葉をじっと待った。
こうして空気の主導権を持つのも、社交界で必要な手腕なのよ。と、ローズのまだ丸い頬をゆるりと撫でた。
「では、このお話の主人公はだれ?」
「不遇な少女……ではないの? だって、立身出世して最終的に王子と結ばれて…幸せに暮らしましたと。少女の人生の物語だもの」
そう。この話は少女の目線で進行する物語だ。
義理の家族からの仕打ちに心を痛める少女。
王子に見初められ胸を高鳴らせる少女。
「では、このお話は誰が作ったのかしら」
ローズの子猫のように丸い目が、少しだけ細められた。
「最終的にお姫様になった少女の人生に感銘を受けた作家がいたとして。作家は主に平民だし、パトロン……作家を後援する貴族が必ずいるものよ」
もちろんアディール侯爵家も作家や記者を抱えているが、それは今度にしよう。
この『灰かぶり』に自分を投影して悲しみ、大罪を犯す計画を立てている娘に母からのレッスンの時間である。
「人は自分だけの真実を持っているの。だけれど、少女は王族の妃となった──少女に関する情報は王室管理となるわね。何を好んで、何を厭うかも、何が真実かも。全て管理される」
王族の婚約者となったローズも他人事ではない。
こうして家族団欒の時間をとれるのも今のうちだ。
「つまり王室が王室の都合の良い情報を物語として広めたということ。この話のなかで醜悪な存在となっている義母、義姉たちの真実は闇の中」
「つまり」と、わざと声色を沈めてみれば、ローズはつられて肩に力を入れて拳を握った。
「正義は最後まで立っていた方が”作る”のよ」
「つくる……!」
ローズは雷に打たれたかのように、小さな口をポカンと開けて固まっている。
「最後まで立ち続けるのは善性だけではないの。逆境という強風に固い枝では折れてしまう。しなやかに風に煽られても受け流す力。自分の進む道を見失わず戻る力。あとは──」
「あとは……!」
ゴクリと息を呑む音が、寄り添うカミーリアの耳にはハッキリ聞こえた。
なんだかそれがとても愛しく感じて、また肩の力が抜ける。
人脈と情報収集に、情報を扱う力──社交界を渡り歩くだけではなく、ローズの立場は社交界の雰囲気を操ることだ。
だけれど、それは追々覚えて身に付ければいい。
今はまだ小さな愛しい娘の頭に頬を寄せて、うーんと考えたふりをして。「やっぱり幸せを諦めないことね」と告げた。
どうして社交界を掌握するのか──目的を忘れて手段をこなすだけでは、心が消えてしまう。
「幸せになりたいと願わなければ、周りの人もどうやって助けたらいいか困ってしまうもの」
「うん、わたくし、諦めません!」
ローズは元気よく、えへんと腰に手をあてて胸をはった。
とても愛らしく自慢の娘だが、カミーリアは少しだけ心配になってしまう。
「あとローズには大切なことを覚えておいてほしいわ」
「自分のことだけではなく、周囲もまとめて幸せにする心も忘れずに」
小さな注意がとまらないのは母心だろうか。
「ローズはたくさんの人に助けてもらうだろうし、多くのものを持っているでしょう? だから、ローズの力は自分のことだけではなく周りにも幸せを運ぶともっと幸せになれるわ」
「……はい!」
母の心をどこまで理解しているのか、なんとなくわかっているような、わかっていないような顔でローズはコクリと頷いた。
「一人だけ幸せになると、ひがまれるしね」
「ローズだけが頑張る必要はないんだぞ!」
うんうんと大人しくしていた男二人はローズを甘やかすような声をかける。
父も兄もこの調子なのだから、母として心配が膨れてしまうのだ。
とくに実際に権力を持っている父親の方に釘を刺しておくことも忘れない。
「あら、王族の妃となるには大切な心構えでしょう。利を運ぶ存在は協力を得やすいわ。ふふふ。お口をあけて利を待ってるだけの雛鳥には、……どんな利か、こちらで決めてしまえばいいのよ」
「お、お母様……?」
「ろ、ローズ、母上のおっしゃってることは、その」
おっといけない。カミーリアのこの顔は、夫の前でだけ見せるものなのに。
パトリックが動揺して震えるローズを気遣うように声をかけるが、娘の目に宿るのは怯えではなかった。
「お母様……かっこいいですわ!シャキーン!キラーン!ですわ!」
「ロ、ローズ……?」
どうやらローズも大人の陰の部分に惹かれるらしい。
血は争えない。
「さすが私の女神だね」
「やだもう。ふふふ」
カミーリアの上辺だけしか知らない有象無象は、カミーリアの光の部分を褒めそやす。
何も知らない、夜会を楽しみ、中心でいることに腐心する令嬢と侮られたこともある。
アディール侯爵だけだった。カミーリアの社交界での暗躍に気付いたのは。
彼女の秘すべき部分が愛しいのだと言われて、おかしな人だと惹かれたのもしょうがない。
家族団欒の後は夫婦の時間だ。だけど。
「……みんなの幸せを諦めない。お姫様ってやっぱりすごいわ!」
ローズの目はキラキラしてしまって、まだまだ眠れなさそうだった。
やっと書籍SS書けました!!スコチャン視点は完成しませんでした!
2026.09.16 書籍発売!
https://www.kadokawa.co.jp/product/322604001321/
書き下ろし短編→悪役令嬢の道標(リチャードの悪役仕草指導の一幕)
《各限定書き下ろし》
*コミックシーモア様→ローズが1日騎士団長になるため、騎士団長と役割を交代します。4巻発売記念SS その2の続きです。
*ゲーマーズ様→ローズの偏った思想の話。ここから軌道修正した(?)リチャードの苦労が伺えます。
*Renta! 様→リヒトとソーニャの出会い初公開。ローズのリアクション、泣きました(書きながら)
【 コミカライズ 】
発行:マンガボックス様
WEB未公開エピソード【悪役令嬢の求婚者】が読めます。




