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君が消えた明日は、さよならの消失点。  作者: 鷹尾だらり
消え逝く夢、消えないナニカ
15/28

第十四夜 桜の微笑(中編)

 凍てつく冬も暮れの日。

 過ぎ行く冬が、名残の雪を降らせた日の夜。

 僕と倉敷さんは、河岸さんと向かい合っていた。

 辺りには葉を落とした桜の木が連なり、桜並木の土手から見下ろす川は、柔らかなせせらぎを奏でている。


「昨日ぶりですね。ユメヒトさん、お姉さん」


 川を見下ろす桜並木から離れた、垂れ桜の孤樹。

 その根本に腰を下ろして、河岸さんは僕らに微笑みかけた。


「ええ、昨日ぶりです」

「昨日ぶりです」


 現実はまだ冬盛りなのに、この河川敷だけが晩冬の仄かな哀愁と、近づく春の匂いを漂わせている。

 ここは、夢の中だ。

 けれど河岸さんの隣に、若松さんの姿はない。


「良かったんですか? 若松さんより早く来て。まだ、若松さんが呼び掛けに応じるかも分からないのに……」


 ここは、それぞれが思い描く夢の世界。

 だが厳密には、まだ若松さんの夢ではない。

 若松さんが河岸さんに「会いたい」と願う気持ちが、まだこの夢と繋がっていないからだ。

 それでも河岸さんは「いいんです」と言った。


「ここ、ね……」


 ポツリポツリと、恋人が現れるまでの不安を押し殺すように、河岸さんは言葉を繋いだ。


「初めて翔と出会った場所なんだよ。

 多分、座標軸的にも全く同じなんじゃないかな」


 少しズレたことを言いながらも、河岸さんの肩は震えている。

 倉敷さんは、昨晩から一言も喋ろうとしない。

 僕は何と言っていいのか分からず、ただ「はい」とだけ返した。


「出会ったのは、今よりもうちょっと暖かいくらいの時期。

 まだ寒かったけど、暖かいお茶を飲むには暑すぎ。でも、アイスを食べる程でもない。

 そんな、ちょっと捻くれた季節だったの」


 「思えば、私や翔と同じくらい捻くれてたかも」と河岸さんは笑った。

 弱く、今にも消えてしまいそうな笑みだ。


「翔は咲く前の桜が好きなクセに、この垂れ桜は満開が好きならしいの。どこまでも生意気だよね~。

 でも私も、人のこと言えない。桜どころか、木は冬の寒々しい姿の方が好きだから。

 『桜』って名前なのに、ヘンでしょ?」


 そう言って、河岸さんは僕達に笑いかける。

 その笑顔が、不安を隠すための仮面だってことは知っていた。

 でも「笑え」と言って笑えるほど、「人間」は器用じゃない。

 僕は、どうしていいか分からなくなっていた。


「多分『桜』って名前を付けられたから、私にはしょーもない反発心があったのかもね。

 だから、髪もブロンドに染めちゃったー」

「綺麗ですよ、その髪色。僕は」


 「好きです」と言いそうになって、僕は言葉を呑み込んだ。

 その様子を倉敷さんは、僕の横で何やら感慨深げに僕を見つめている。


「おや? 口説いてるのかな?」


 イタズラっぽい笑みで、倉敷が僕に笑いかける。

 僕は内心の焦りを隠して「違いますよ」と首を振った。

 妙な誤解を生む邪推は、ユメヒトNGである。


「さて、じゃあ待ってる間に、注意事項を教えてくれないかな?」

「あ、はい。分かりました」


 すっかり忘れていた、と注意事項をそらんじる。


 【一、時間制限タイムリミットは二時間~二時間半】

 これは、人間が見る夢の時間を七時間とした場合だ。

 現実での時間が三時間経てば、夢の中では一時間進む。

 そのため、大抵の人は二時間。ただし、例外あり。


 【二、生者への不干渉】

 生者の人生を直接変えてしまうような『行動』は禁じられている。

 この世界に留まる死者は、あくまで輪廻から外れた存在。

 この世から解離した存在は、この世の住民に干渉すべきではないと言う掟だ。


 【三、人を恨まず、世を恨まず、生を恨むことなかれ】

 成り行きで生を謳歌する生者も恨まず、この世の一切を恨まず。

 ましてや、自らの人生を恨まないこと。


 例え道半ばで死んでしまったとして、未練があったとして。

 その人生は決して辛いことばかりではなかったはずだから。

 どんなに小さくても、心の底から喜べた瞬間が、必ずあったはずだから。

 人を、世を、人生を。決して憎まず、必ず成仏すること。


「――以上の三点ですね。何か質問とかはありますか?」

「案外簡単なんだね~。私は何も恨んでないし、時間は結構守れるタイプなんだよ?

 ……でも、生者の人生を変えてしまわないかは不安だな」


 それは僕も不安だった。

 今まで一度もこの禁を犯されたことがないがために、僕はこの禁について余りにも無知すぎる。

 このユメヒトと言う謎の仕事には、僕と言う個人はあまりにも小さくありすぎたのかもしれない。


「私、翔を変えたいんだ。

 前を向いてほしいって言うのは、恋人として当然でしょ?

 死んでしまった人をいつまで想ってても、仕方ないじゃん。

 だって私、もう、死んでるんだもの……」


 ザア、と風が吹いた。

 冬枯れの乾いた桜並木を、冷たい風が撫でてゆく。

 木枯らしに微かに春が薫る夢は、もう冬も暮れ。


 この雪も降らない冬が明け、春が麗らかな陽射しを注ぐ頃。

 河岸さんは、若松さんは、少しは笑えているのだろうか。

 もう一度、滝のように流れ咲く垂れ桜の下で、二人は……。


(ああ、やっぱ、ダメだな)


 生と死のカップリングを考えると、僕の胸は柄にもなく痛んだ。

 他でもない彼女たち自身の事に一喜一憂する僕は、多分おかしいのだろう。

 これは仕事だ、と割り切れない僕は、多分おかしいのだろう。

 だけど、変わりたくない。変わることが怖いと思う僕も、確かに存在した。


「私、イヤホンが好きなんだ。

 翔と出会ったのもイヤホン繋がりだし、最期の会話も、やっぱりイヤホンだった。

 この白いイヤホンは、私と翔を繋いでくれる……。

 だから、私はイヤホンが好き」


 囁くように溢した河岸さんの独白は、何かを確認するように細く、儚い。

 風に巻かれた桜の花が、降りる地を探してさ迷い漂うように。

 今の河岸さんは、ゆらゆらと揺れているように見えた。


「大丈夫ですか?」


 ずっと黙っていた倉敷さんが、河岸さんに歩み寄る。

 そっと肩に置かれた倉敷さんの手を握って、河岸さんは小さく「有り難う御座います」と笑った。


「うん、大丈夫ですよ、私は。

 ただ……やっぱり好きだなー、翔のこと。

 やっぱり、会いたい、な……」


 高まりすぎた緊張は、往々にして不安へと変化する。

 そして人は、その不安にいとも簡単に叩き潰される。

 僕は今までに、何度もそう言った死者と接してきた。

 彼等の多くは――地縛霊となった。


(これ以上、目の前で苦しまれるのは御免だ……)


 僕は急いで、若松さんの夢に意識を繋げた。

 腕の時計は三時二十八分を指し、懐中の『夢時計』は既に明け方を指している。

 ユメヒトの手帳は使わない。時間は、もう残されていなかった。


『若松さん、若松翔さん。若松翔さん……若松さん? 若松さん!』


 何度呼び掛けても、若松さんとの波長は合わない。

 変わりに伝わってくる、負の感情。

 それは、僕の心まで蝕まん勢いで侵入してくる――


《桜・なんで・独り・嫌だ・嘘だ・辛い・寒い・痛い・痛い》


 悲しみに溺れていた。

 死んでしまった恋人の名前を呼んでは、ありもしない理由を考えて呆然としている。

 そうでもしなければ、生きていけないとでも言うかのように。

 考えること、思い出すことを止めてしまえば、もう何も残らない。


 恋人は死んでしまって、それでもまだ《好き》と言う感情は、悲しく燻っている

 そんなことは考えなくても分かっていて、でも考えたくない。


 虚無感と、拒絶と、孤独と、悪夢とも疑うような現実。

 それらは、《痛み》となって若松さんの心を蝕んでいた。


「……っ!!」


 リンクした感情が、ピシリと音を立てる。

 若松さんの胸を抉る苦痛は、リンクした僕の胸をも抉った。


 堪えられない。若松さんが味わった痛みの、半分にも満たない痛みが、僕には堪えられない。

 それほどまでに、若松さんの胸は傷は大きくなっていた。


「……っ、ゲホッ……」


 言葉を失い、胸の痛みに噎せかえりながら、僕はポケットに左手を突っ込んだ。

 乱雑に突っ込んだ手が、カチャと固いものに触れた。

 すがるように掴み、引きずり出す。

 動悸に眩む意識を何とか保ちつつ、握りしめた左手を開いた。


 掴んだものが何か。

 そんなことは確かめるまでもなく分かっていて、それでも確かめない訳にはいかなくて。

 開いた左手に目線を落とす。


(夢、時計……)


 ユメヒトの証。夢魔ナイトメアの紋章が、僕の左手嗤っていた。

 夢魔が嗤う懐中時計を握り締める。

 厭らしい夢魔の角が、僕を嘲笑うかのように掌を刺す。

 僕は夢時計を振りかぶり、また思い止まって、左のポケットに時計を納めた。


「河岸さん……」

「わかってますよ。大丈夫です」


 僕の声を遮って頷く河岸さんの声は、思いがけず大きかった。


 大丈夫じゃ、ない。

 僕の声を遮ったのは、具現化した不安を言葉として聞きたくなかったからだろう。

 それ程までに河岸さんは傷付いていて、他でもない本人が、「大丈夫じゃない」と叫んでいる。


「……あーあ! 会いたかったなー! 八ヶ月も想ってやったのに、恩知らずやなー!」


 言葉に出来ない悲鳴を紛らわせるために、河岸さんは大声で叫ぶ。

 向こう岸まで消えた河岸さんの声は、嫌味のように反響して返ってくる。

 その山彦は、河岸さんに「虚勢だ」と事実を突き付けているようで、僕まで叫び出したい気持ちになった。


「わ――わぁぁぁぁぁぁあ!!」


 叫べない僕の中に渦巻いていた感情が、爆発した。

 けれど、それは僕の言葉じゃない。

 ――倉敷さんが、対岸を睨んで叫んでいた。


「え、く、倉敷さん……?」

「お姉、さん……?」


 僕と河岸さんが目を丸める前で、倉敷さんは憤然と胸を張る。


「……すみません、やりきれない思いがあったので、つい。

 でも私、《ユメヒト》さんじゃないので、ノーカウントでお願いします」


 フンッ、と鼻息も粗く宣言する倉敷さん。

 何がどう僕と違って、何を何にカウントするのかしないのか。

 全く理解できない言動に、しかし僕らは笑っていた。


「アッハハハハ! お姉さん……っ、やっぱ、おっかしー!」

「く、倉敷さん……っ」


 言葉にすらならないほどの激情は、確かに僕の中にあった。

 そしてそれは、倉敷さんも同じだろう。

 でも、「わぁぁぁぁぁぁあ!!」はないと思いますよ、倉敷さん。


「ハーッ、ヒーッ……アハハハ……」


 完全に破壊されたシリアスモードも忘れて、僕達は笑い合った。

 それでもまだ、倉敷さんが「フンッ! フンッ!」と鼻息も粗く胸を張るのは、一種のファンサービスなのだろうか?


「アッハハ……ひっく……ハハハ……」


 倉敷さんのファンサービスが効を奏したのか、河岸さんも笑いっぱなしだ。

 けれど、時折混じる嗚咽は、目尻に溜まった大粒の涙は。

 決して、倉敷さんが面白いからだけではないのだろう。


「やだなぁ、生きたいよ……ッ! まだ、笑っていたいよ……ッ!」


 哄笑こうしょうに混じった嗚咽はやがて歔欷の声へと変わり、溜め込んだ感情が、堰を切ったように溢れだす。


「死にたく、なかったよぉ……ッ! もっと色んな事、したかったのに……。辛いよぉ!」


 僕を――ユメヒトを訪れるお客様は、皆死んでいて。

 それでも彼等は、決して悲観もせず、ただあっけらかんと笑っている。


 姿がある。思考も、欲もある。

 「痛み」を感じる、《心》がある。

 「もっと生き続けたい」と言う《願う》がある。

 生と死は計り知れないほど遠くて、有り得ないほど近い。


 けれど、生と死の現実に隔たれた恋人達の距離は、遠退いていく。

 それは、夢の対岸に接吻する斜陽の様に情熱的で、しかしビードロのように脆く、儚い。


 ――僕は、無力だ


 突き付けられた事実が、僕の胸を貫く。

 夢時計の針が、カチリと『Ⅵ』を指した。

 旭日の放つ陽に、冬枯れの桜並木が溶けていく――

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