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君が消えた明日は、さよならの消失点。  作者: 鷹尾だらり
消え逝く夢、消えないナニカ
13/28

第十二夜 どうか覚えていて(後編)

 虫も鳴かない冬の夜は、遠く通りのエンジン音と、遠雷にも似た雑踏の喧騒を飲み込んで、深々と過ぎていく。


 夢を見るには、まだ早い頃。僕は窓外の町をぼんやりと眺める。

 夜露が濡らす冬の町。磨りガラスを覗いたように朧な町は、夜だと言うのに一向に休む気配はない。

 窓ガラスに触れる。結露の張った窓は予想以上に冷たくて、すぐに手を引っ込めた。


「弟クン、まだ起きてるかい?」


 沈黙が寒さを倍増させたような部屋に、ノック代わりの声が転がる。

 次いで、扉を開ける音。僕はまだ何も言ってない。


「起きてなかったらどうする気だったのさ」

「夜這いだヨっ」

「鍵付けていい?」


 「冗談だよ」と笑って、姉さんは部屋に入ってくる。

 風呂上がりなのか、微かに石鹸が香った。


「隣、いいかな」


 はにかむように笑いながら、姉さんは僕の座ったベッドを指差す。

 やけに静かだな、と思いつつ姉さんの座るスペースを空けた。


「うん、いいよ」


 「失礼しまーす」と一人言ちながら、姉さんは僕の隣に腰を下ろした。

 キィ、と鳴るベッド。姉さんが動く度、揺らぐ石鹸の香り。

 石鹸の匂いは、どうしてこうも頭を甘くさせるのだろうか。

 頭に回る石鹸の香りは、甘ったるいようで、頭を少し重くさせる。

 安心する匂いだった。


「それで、何、姉さん?」

「あっ、そうだった!」


 ぽむと手を合わせて声を上げる姉さんは、やっぱりいつも通り。いつも通り――うるさい。


「特に何もないんだよっ!」

「それそんな大声で言うこと?」


 明日早いから帰ってと言い、あねちゃんもだよと返され。

 最終的に放たれた一言で、僕は沈黙した。


「……一緒にいちゃ、ダメかな?」


 澄んだ黒い瞳は熱をもって潤み、僕を真っ直ぐに見つめていた。

 姉さんの瞳に写る僕の顔は、暗くてよく見えない。 


 いつからだったか、姉さんはほんの少しだけ遠慮の色を見せるようになった。

 彼の粉もの文化圏では、「遠慮の塊」と言われるほどちっぽけで、たまに使い処を間違えているけれど。

 それでも僕の心が、全く揺れなかったといったら、嘘になるのだろう。


「……いいよ、姉弟・・だから・・・ね」


 そう、僕達は姉弟。

 難しい法律の類いには疎いけれど、僕達の関係も三親等に入るのだろう。

 血は繋がっていなくとも、家族。

 そう、家族なら、姉弟なら。ただ何もせずに肩を寄せ合うのも、許される。


「……」

「……」


 家族だから、姉弟だから。

 沈黙だって、堪えられるはずだった。

 なのに僕の袂には焦燥感にも似た気まずさと、胸焼けのような違和感が転がってきて。


 僕は堪らず、口を開いた。


「ねえ、姉さん」

「……ん? なにかな?」


 ゆっくりと、姉さんが僕の肩に首を預ける。

 飾り気のないゆったりとした動作が、無防備なその立ち振舞いが。聞こえてくる、静かな息遣いが。

 不思議と艶やかに見えて、僕は目を剃らした。 


「死んでも伝えたい想いって、ある?」


 夕飯の時に交わす雑談のせいか、はたまた僕が逆上せてしまっているからか。

 苦し紛れに発した言葉は、まるで予めプログラミングされていた言葉のように、二人の男女の話になる。


「あるよ」


 沈黙から逃げて、自分から話を聞いて。そして僕は、何も言えなくなった。

 いつも笑っている姉さんに、そんな身を焦がすほどの想いはないと、勝手に思い込んでいた。


「そう、なんだ……」


 いや、本当は姉さんの強がりも知っていて、それでも目を逸らしていたのかもしれない。

 姉さんへ掛けている苦労を、無性に謝りたくなる自分がいた。


「弟クンは?」


 肩に触れる体温が、すっと離れる。

 見れば姉さんは、僕に向き直っていた。


「死んじゃっても伝えたい想い、ある?」


 微かに傾げ、電球の下に照らし出される白く細い首筋。

 艶かしい曲線を辿れば、シャープな輪郭と栗色の髪に抱かれた双眸が、僕を包んでいた。


「弟クン?」

「ん? ああ、いや。僕は」


 気付かぬ内に見とれてしまっていたのか、姉さんが僕の頬に手を伸ばす。

 「大丈夫だよ」と手を下ろさせた僕は、姉さんの問いへの答えを探して――そして、急に遭遇した魔物・・に殴り倒された。


「僕の、想い……?」


 言葉にした途端、その魔物は、むくむくと姿を変えて僕を締め付ける。

 蛇のように粘着質なそれは、僕を強く締め付ける。

 それはきっと、僕が今まで無視し続けてきた『想い』の塊。

 それはきっと、僕を締め殺すほど強く、そして醜い。


 僕が死んでも伝えたい想いは、一体何なのだろうか?

 自分の事すらも分からないのに、僕は他人の想いを伝えられるのだろうか?


「姉さん、僕……」

「わからない、かな?」


 優しく、姉さんが微笑みかけてくる。

 僕がそれに頷き返すと、小さな手のひらが僕の頭を撫でた。


「いいんだよ、それで。弟クンもまだ若いんだし、大人になるに連れて、ゆっくりわかっていくものなんだよ」


 僕だって、もう大人だよ

 そう言おうとした言葉は、喉に固まって出てこなかった。

 言葉は出ないのに、頭に置かれた手のひらからは優しさばかりが伝わってくる。

 優しさと、温もり。

 いつしか僕は姉さんにもたれ掛かり、視界を暗くさせていた。


「おやすみ、アキくん。はね――」


 消えていく意識の中。僕の頭を撫でる姉さんの手の温もりと、微睡みとは不釣り合いに透明な声を聞く。

 その声がなんだったのか、それも今となってはわからない。

 そのまま僕の意識は、深い水底へと沈んでいった。




 ◇◆◇




 右ポケットに入れっぱなしにしている懐中時計が、じゃらりと鳴った。

 幾度となく触れた夢魔ナイトメアの装飾。

 それをなぞる度、僕は自分が《ユメヒト》であると再認識する。


 そう。僕は、ユメヒト。

 死者の想いを生者へと繋げ、最期の一時を見守る者。

 僕が抱えた想いなんて、ユメヒトには関係ない。

 少なくとも――


『久し振りに会ったってのに、何? いきなり喧嘩売ってんの?』

『別に喧嘩なんて売っていない。だからお前はアホなんだ、と優しく言ってるだけだ』


 再開早々、非常に入り込みづらい喧嘩を展開してくれた二人に対しては、特に。


『げ……。あんた、自分に優しさなんかあると思ってんの? 鏡見てきたら? コモドドラゴンみたいな顔してるよ?』

『僕はヒト亜科ヒト亜族の歴とした人間だ。お前には常識がないのか? だいたいお前だって鳥獣戯画の蛙みたいな顔してるぞ』

『私だけ二次元じゃねぇか!』


 岡崎志穂さんと羽島和樹さんの痴話喧嘩。

 それは二人が再開するとほぼ同時に、岡崎さんが落命した屋上にて展開された。

 お陰で僕と倉敷さんは、屋上隅のベンチに小さく座らされている。


「これ、何が発端だったっけ……」


 熱暴走しそうな頭でぼんやりと考える。

 見上げた空は、鳥獣戯画とコモドドラゴンが透けて見えるようだった。


「ああ、鳥獣戯画にコモドドラゴンが描かれてたんでしたっけ……?」

『落ち着いてください、ユメヒトさん。論点がズレています』


 ユメヒトでもないのに死者と生者の痴話喧嘩に巻き込まれた倉敷さんは、やっぱりと言うかなんと言うか、冷静だった。

 お陰で僕も、少しだけ冷静さを取り戻す。


「えっと、岡崎さんの亡くなった状況を聞いて……でしたっけ?」

『です。羽島さんが「バカが死んでも治らないのは本当だった」と言った所、喧嘩が始まりました』

「ああ、そうでしたね」


 結局のところ、岡崎さんの死因は「事故による転落死」だった。

 自殺ではなかったらしい。

 あまり僕には関係ない話だけれど、ほっと胸を撫で下ろす僕もいる。


『止めなくていいんですか?』


 焦点がぼやけ始めた視界に、倉敷さんの端麗な顔が延びてくる。

 会話が苦手なくせに、一々行動が無防備な人だ。

 僕はそれに「大丈夫ですよ」と答える。


「基本的には、ユメヒトは夢を維持するだけです。規約違反をしない限り、手を出しちゃダメなんですよ」

『その規約、守ってるんですか』

「時と場合に因りますねー」


 倉敷さんのジトッとした視線をかわして、僕はぼんやりと空を見る。

 雨が降る訳でもなく、魚が游ぐ訳でもない。快晴でも、曇りでもない、現実味を帯びた空。

 それは夢としてではなく、さも現実であるかのように僕達を包み込んでいた。


「まさか、ストラップ追い掛けて死ぬなんて、ね……」


 岡崎さんが亡くなった背景は、不謹慎ではあるが、余りにも「締まらない」ものだった。

 ポケットから出て階下に落ちていくストラップを、反射的に追ってしまった岡崎さん。

 屋上の欄干に寄り掛かっていた彼女は、そのままバランスを崩して転落してしまったらしい。


『……まさかお前が、あんなストラップを後生大事に持ってたなんてな』


 ポツリと、羽島さんが言葉を溢す。

 溢れる何かを堪えるように俯いた羽島さんは、複雑な顔をしていた。


『独占欲が強いのよ、私は。あんたみたいな男の貢ぎ物でも、一応大事にしてあげたの』


 対する岡崎さんも、複雑な顔をしていた。

 諦めているようでもあり、罪悪感を感じているようでもあるその顔は、暗い。


 例え架空とも現実とも分からない夢であれ、存在しないフィクションであれ。

 ふとした拍子に、夢の影にちらつく残酷な現実。

 それは痛ましいほどに深く、人の心を抉る。


『流石、今まで「愛が重い」と男にフラれ続けただけはあるな』

『お前ぇマジ死ねよ、コモドドラゴン』

『うっせぇよ、鳥獣人物戯画が』


 それでも二人は、「いつも通り」であり続けた。

 こんな関係を、「仲がいい」と言うのだろう。

 本人たちは頑として認めないが、それもまた一つの信頼の形。

 気軽に「死ね」と言い合えない関係なんて、彼等からすると詰まらないものなのかもしれない。


『で、僕は来月受験だ。その忙しい中を会いに来たんだ。何か理由があったんじゃないのか?』


 囀り合いも一段落ついた頃。羽島さんが溢すように投げ掛けた一言は、やっぱりどこか皮肉げで、どこか寂しげでもあった。

 これが最後の再開になるかもしれないと、分かっているからなのだろう。


『別に。わざわざ理由付けてまで会いに来る仲でもないでしょ?』


 それは岡崎さんもわかっていて、でもその内心の感傷を悟らせまいと、敢えて口調を尖らせる。

 けれどその口調は、暖かかった。


『相変わらず、馬鹿だな。わざわざ僕に会いに来るなんて』

『ほいほい、どーせ私は馬鹿ですよ。学年7位の中途半端な秀才クンには、足元にも及びませんわ』

『徹頭徹尾ムカつく奴だな、鳥獣戯画』

『お互い様よ、コモドドラゴン』


 素直になれない二人の、やっぱり素直じゃない会話。

 その会話には、意味なんてないのかもしれない。

 けれど、果たして会話に意味は必要なのだろうか?

 「死者」と「生者」ではなく、「幼馴染み」として最期の会話を楽しむ。

 彼等にとっては、それだけでいいのかもしれない。


『こんな別れも、あるんですね』


 ポツリと、僕の横で言葉が溢れた。

 見れば、隣に座った倉敷さんが二人を見つめていた。


「ええ。出会いも別れも、十人十色ですから」

『少し、羨ましいです』

「羨ましい?」


 倉敷さんから転がった言葉があまりに以外で、僕は彼女の言葉を舌先で転がす。

 はい、と毛ほども嫉妬を匂わせない声音で、倉敷さんは頷く。


『仮に私がユメヒトさんにご依頼させて頂いたとして、私は誰に逢いたいのでしょうか? そして、その人は彼等のように「いつも通り」接してくれるのでしょうか?』


 珍しく長い台詞を吐いた倉敷さんの目には、ほんの少しだけ、小さな憧憬が見えた。


「人には人の「形」があり、そして「色」があります。

 それは似ているようで、その実全く同じなんて事は有り得ません」


 だから、僕は思う。


「倉敷さんがどんな出会い方、別れ方をしても、それは紛れもなく倉敷さんの想い出です。

 誰かの物と、比べる必要はないと思いますよ」


 僕が語った言葉に、倉敷さんはただ「そうですか」と返した。

 けれどその横顔に、少しだけ安堵の色が挿したように見えたのは、僕の願望だろうか。

 いつか倉敷さんが迎える「さよなら」を、彼女だけの形で迎えさせてやる事が、いつしか僕の目標になっていた。


『都市伝説サン、都市伝説サン』


 ふと、耳慣れない呼び名が僕の耳に入ってきた。

 何事かと声の方に顔を向ければ、岡崎さんがいる。


「ユメヒトです」

『あっそ。別にもう行くから、いいでしょ』


 岡崎さんの素っ気ない言葉に隠された「別れ」に、僕の手は反射的に右ポケットを探っていた。


「……まだ、時間はありますよ」


 じゃらりと掴んだ懐中時計。

 その指針は、制限時刻の一時間前を指している。

 岡崎さんが言った「もう行く」は、つまり彼女が天へと昇ることを指していた。


『いいのよ。どうせ、ろくな会話もしないし』


 溜め息と共に溢した言葉の後ろで、羽島さんの『同感だ』と言う声が転がった。


「あの世の許可にもよりますが、彼岸にはまた現世に戻れます。

 ですが、その時にも夢に入る力が残っているとは限りません」


 年に一度、盆の月には死者達が現世に戻ってくる。

 だが、その時まで生者の夢に侵入できる力を残した者は稀だ。


「それでも、行かれますか・・・・・・?」


 最期に念を押すと、岡崎さんは少し思い悩む素振りを見せた。

 数瞬を沈黙で埋めつくし、やがてクルリと僕に背を向けた。


『一つ、あるわ。心残り』


 独白にも似た声音で呟くと、岡崎さんは音もなく歩き出す。

 すぐに羽島さんの前に着き、立ち止まる。


『……なんだ、さっさと行けよ』


 ぶっきらぼうに言い放った羽島さんは、もう顔を上げていられなかった。

 肩は、震えている。


『ふん、鳥獣戯画やら蛙やらウサギやら言ってくれたお返しよ』


 瞬間、下がっていた羽島さんの頭が上がった。

 岡崎さんの手が、羽島さんの胸ぐらを掴んでいた。


『あっ、ユ、ユメヒトさん、あれ――』

「まだです、見ててください」


 珍しく、倉敷さんが焦燥に駆られる。

 それを抑えて、僕は二人の成り行きを見守った。

 

『さりげに可愛くするな。ウサギは言ってない』

『うるさい、喰らいなさい』


 掴まれていた胸ぐらを引かれ、引き寄せられる羽島さんの顔。

 僅かに触れあう、二人の頬。

 岡崎さんの唇が、微かに波打ち――


 ――有り難う、大好き


 彼女の唇が、確かにそう動く。

 その瞬間は、永遠のように。瞬くほどの一瞬に。

 木霊のように胸を鳴らして、そして消えていく。


 ザアと、風が哭く。声を包んで、消えていく。

 声が消えた時。そこにはもう、岡崎さんの姿はなかった。


『バカが、ちっとも痛くないんだよ……』


 岡崎さんが消えた後。

 遺されたキャラクターのストラップを拾って、羽島さんはポツリと呟いた。

 渇いた屋上に、白雨が深々と降り注ぐ。


 静かに響く嗚咽を白雨が掻き消して、夜明けを前に夢は溶けていった。

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