第九十五話 覚山の、朝餉
朝の光の中、荒法師山の本堂跡には、粥の炊ける匂いが漂っていた。
「あら、これは……」紡樹が覗き込むと、崩れた竈の前で、覚山が鍋をかき混ぜていた。
「客人を、腹も減らさせたままにはできぬ。……とはいえ、この有様だ。粗末なものしか出せぬがな」覚山は、包帯だらけの手で、椀を配っていく。
「わあ、覚山さんの手料理じゃ!」稲荷が目を輝かせた。「ファミチキじゃないのは残念じゃが、これはこれで……美味いのじゃ!」
「妾は褒めておるのじゃぞ」稲荷が付け加えると、覚山は珍しく、口元を緩めた。
「儂も一杯もらうぞ」将門が、ぐいと椀を差し出した。「――しかし、無銘とやら、逃げ足だけは一人前だったわい」
「追わなくて、よかったんでしょうか」紡樹が問うと、覚山は、静かに首を振った。
「今の奴には、もう大した力は残っておらぬ。……いずれ、機構が動くだろう。今は、傷を癒すのが先だ」
結樹が、椀を手にしたまま、覚山の隣に腰を下ろした。
「覚山さん。……ひとつ、聞きたいことがあったんです」
「なんだ」
「あなたの家が代々退けてきた『輩』の中に、昔……語り部衆の、先達がいたと聞きました」結樹は、静かに続けた。「力ずくで欠片を我がものにしようとして、失敗して、追い返された者が」
覚山は、しばらく黙って粥をすすってから、頷いた。
「ああ。……三代前の話だ。名も、詳しい経緯も、儂は知らぬ。ただ、祖父が言っておった。『あの者にも、譲れぬ理由があったのだろう』とな」
「……そうですか」結樹は、目を伏せた。「僕らが、対紋を得て、正しく紡げたのは……本当に、運が良かっただけかもしれません」
「運ではない」覚山は、結樹をまっすぐ見た。「独りで抱え込まず、誰かと手を組んだ。……それが、違いだ」
密迹は、少し離れた場所――崩れた厨子の前に立っていた。中を覗くと、那羅延の欠片が、静かな光をたたえたまま、そこに残っていた。
「……まだ、ここにおるのだな」密迹は、そっと手を伸ばし、欠片に触れた。何も応えは返らなかったが、それでも、確かな温もりがあった。
「無理に、持ち帰らないのですか」紡樹が、隣に来て尋ねた。
「うむ。……ここは、覚山殿の家系が、百五十年守り続けてきた場所だ。那羅延も、ここで眠るのが、一番、落ち着くのかもしれぬ」密迹は、静かに笑った。「我の懐にも、繋がりは残っておる。……それで、十分だ」
――《密迹さん、優しい顔してる……》
――《無理に急がないの、良いなあ》
阿形が、椀のおかわりを求めて駆け寄ってきた。
「覚山さん、粥、もう一杯いいでありますか!」
「いくらでも、食え」覚山は、笑いながら鍋を差し出した。
崩れた本堂の跡に、久しぶりの、穏やかな笑い声が響いていた。長い戦いの後には、こうして、傷を労い合う朝があった。




