第12話 試験
そんなこんなで、何も解決しないまま試験当日になってしまった。
試験当日は朝から校舎全体に重たい空気が漂っていた。
普段なら緊張や期待でざわつくはずの教室も、今日は不自然なほど静まり返っている。
「始めなさい」
教師が淡々と告げ、答案用紙が一斉に配られた。
――誰一人口を開かない。
ただ、ペン先が紙を引っかく音、ため息まじりの息遣いだけが響く。
だが、静寂の下で全員が思っていることは同じはずだった。
(……張り出されていた“あの問題”のこと)
三日前。
中庭の掲示板に、試験問題が堂々と晒されていた。
事件のような出来事。
けれど教師たちは――一言も触れなかった。
説明もなければ、調査の気配すらない。
まるで最初から何もなかったかのように。
だが、確かにあれを見た生徒は多い。
「問題を写した」「実際に確認した」という声は、休み時間ごとに囁かれていた。
(なのに、先生方は完全に無視している……どうして?)
そして何より不可解だったのは――。
いざ試験が始まってみると、配られた問題は張り出されていたものと全く違っていたのだ。
「じゃあ、あれは何だったの?」
「誰かがわざと混乱させるために?」
「それとも、本物を隠そうとした?」
答えは誰にも分からない。
分からないまま、生徒たちの間で噂は膨れ上がっていく。
そして、その矛先は一人に集中した。
(マルセリーヌ……)
侯爵令嬢で、明るく目立つ存在。
しかも、あの件のあと二日間登校していなかった。
その事実は、彼女が“怪しい”という疑いに拍車をかけた。
「侯爵令嬢だから許されると思ってるんじゃない?」
「権力で揉み消すつもりかも」
そんな囁きが、試験中ですら耳に届いてくる。
私はペンを持つ手をぎゅっと握りしめた。
(違う……マルセリーヌはそんな人じゃない。誰よりも真っ直ぐで、正しい人なのに……!)
けれど、私が声をあげても誰も信じないだろう。
五年間“性悪令嬢”として振る舞ってきたのは、他でもない私なのだから。
胸の奥がずきずきと痛み、答案用紙の文字が霞んで見えた。
――二科目が終わり、短い休み時間。
私は水を飲もうと廊下に出て、ふと足を止めた。
校舎の影、人通りの少ない場所。
そこに、マルセリーヌの姿があった。
彼女は険しい表情で、背の高い男性と向かい合っていた。
「だから、私は関係ないって言ってるでしょう!」
怒りを帯びた声が響く。
「……なら、どうして休んでいた?」
男の声は低く冷たい。
「試験問題が張り出された翌日から二日も。偶然だと思うか?」
「っ……!」
マルセリーヌは唇を噛みしめ、悔しげに睨み返した。
私は壁際に身を寄せ、息を殺して耳を澄ます。
心臓がどくどくと早鐘のように鳴り、膝が震える。
「俺はお前を庇ってやっているんだ」
男の声が低く響いた。
「黙っていれば、疑いはもっと濃くなる。侯爵令嬢だからこそ、皆は余計に疑っているんだ」
「そんな言い方……!」
マルセリーヌの声がかすれる。
「私はやってない! 本当に、やってないのに!」
その目に涙がにじむのが見えた。
私は思わず一歩踏み出しかける。
(マルセリーヌ……!)
――その時。
――カン、カン、カン……。
廊下中に響き渡る、次の試験の開始を告げる鐘の音。
「……っ!」
私ははっと我に返った。
(戻らなきゃ……! 試験が始まってしまう!)
視線を影に戻す。
マルセリーヌはまだ必死に訴え、男は低い声で何かを言っている。
だが、その言葉は鐘の音にかき消され、私にはもう聞き取れなかった。
心臓をつかまれるような焦燥の中、私は踵を返して駆け出した。
廊下を走りながら、胸の奥でざらりとした不安が広がり続ける。
(マルセリーヌ……あの人は誰なの? どうして、あなたを追い詰めているの……?)
教室の扉が見えてきても、鼓動の速さは少しも収まらなかった。
ーー
最後の科目が終わり、解答用紙が回収される。
「終わった……」という安堵の声があちこちから漏れる中、私は机に突っ伏すようにして深く息を吐いた。
けれど、解放感なんて少しもなかった。
胸に残っているのは、試験問題ではなく――あの光景。
(……マルセリーヌ)
校舎の影で、背の高い男性と口論していた姿。
「私はやってない!」と必死に叫ぶ彼女の顔が、頭から離れない。
(あれは誰だったんだろう……? 先生? 上級生? でも、どうしてマルセリーヌとあんな場所で……)
額に手を当てる。
試験中、彼女は一度も姿を見せなかった。
それなのに、休み時間だけ、誰かとこっそり話していたなんて。
(庇ってやっている――って、言っていた……)
ぞくり、と背筋が冷える。
庇う、という言葉の裏には、何かを知っている者の響きがあった。
もしかして彼は、真犯人なのだろうか?
それとも、本当に彼女を守ろうとしているのか。
「……分からない」
小さく呟いた声は、自分でも驚くほどかすれていた。
証拠もなく、ただ疑念だけが胸に積もっていく。
それがマルセリーヌに向かうのではなく、彼女を追い詰める相手に向かっていることだけは、はっきりしているのに。
(このままじゃ……彼女が本当に犯人にされてしまう)
ぐっと拳を握る。
今の私にできることは限られている。
けれど、一人ではどうにもできない。
(……レオン。それに、アドリアンにも……話さなきゃ)
きっと二人なら、冷静に考えてくれる。
レオンは姉の私を信じてくれるし、アドリアンは妹を守ろうと動いている。
目的は同じ――マルセリーヌを救うこと。
私は深く息を吸い、机から顔を上げた。
沈みゆく夕陽が差し込む教室で、決意を胸に刻む。
(今度こそ……私が彼女を守るんだ)




