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誠と愛と慈しみと。

誠と愛と慈しみと

2015年11月6日 安息日の入り日に


友を慈しむことは、隣人を大切に考え、その誠をもって接して、愛を注ぐことである。


安息日の入り日、いつものように主を祝う酒宴を一人で行い、眠くなり夢の中にいたときのことである。


その夢の中で、一本の針を必要としている女性とわたしが、刺繍のようなものを作る勝負をして、わたしが勝つのだが、その刺繍に作られたすべての権利を、その後に彼女に譲って与えたという物語。


見ている夢の中で、彼女はその生活の糧がないと生きてゆけないと悟ったからである。


夢を見ているときに神の御言葉が聞こえてきた。


その時に脳裏に響いたヨブ記の言葉。


6:14その友に対するいつくしみをさし控える者は、

全能者を恐れることをすてる。


人類もこれと同じ立場に置かれているのではないかと、ふと寝ながら考えた。

教えるのは簡単である。

この言葉を聞いて、隣人にその価値を伝えることから、誠と愛と慈しみにつながるのである。


今ある難民の問題、もしくは世にあるいじめ等の問題なども、これの欠乏から起きている。


隣人に対する心の在り方を忘れているために、大きな過ちが起きるのである。


人は誰でも、隣人の価値を忘れてはおるまいか。


我ひとり、勝手に生きるのはいい、されど隣人に対する誠と愛と慈しみ、これを捨てて生きているのではなかろうか。


その隣人を慈しむ心を忘れているから、人間という隣人の意味さえ、逸脱し、真の人間の在り方を忘れかけている。


それを見て、神はどう考えるか。


その友に対するいつくしみをさし控える者は、

全能者を恐れることをすてる。と感じているのである。


そのように神が意識なされれば、そのさばきは避けきれない。


今考えて、その慈しみの心をもち、隣人の幸せを考える。


隣人の幸せを考えるということは、ごく自然に一度目に起きる神のさばきが回避できることになぜ気がつかない。


誠と愛と慈しみと、これがヨーロッパに流れ込む人々と、それを迎える人々の命運を変え、神がほほ笑むことをいざ、知るべきであり、人間が犯してきた隣人への心の中に愚かな罪、ねたみや憎しみの心をシラ書にある通りに消し去り、隣人を慈しむ。


そうなれば、世の人々は隣人という価値を再認識し、神のもたらす救いの意味の真価を悟るのではなかろうか。


すべての言葉が現実になる今、少しでも生きる価値を見出す人々を作り上げなばならない。


人の意識というもの、悪の心を、己の中に作り上げたのでは、己の意味さえ見えなくなる。そうではなく、悪の心を浄化して、心を清らかな意識に保ち、善なる生き方を志す。


そうすれば、世は変わると思うのである。


ひとりひとりが意識を改革して、隣人を大切に思い、与えることであると。


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