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 カモメバスの車内には乗客二十人全員が乗っている。運転席の横にセイラが立ち、その背後には楠警部と桐生がいる。楠警部の指示で、バスは次の目的地へは行かず、セイラの話を聞くことになった。乗客の中には動揺している者もいたが、みな素直に座席に座っている。

 セイラがいつになく真剣な表情で話を始めた。

「まず、六日前にここで起きた殺人事件から話すね。ホロームーンのメンバーの二人は、六日前に宝石店で盗んできたダイヤを持って、ここにやってきたの。理由はそのダイヤをこの動物園のどこかに一時隠しておくため。なんでこんな場所に隠そうと思ったのか。それはたぶん、三人のメンバーが仲間割れをして、もう一人のメンバーの知らないところに隠そうと考えた結果、ここに決めたんだと思う。園内で隠し場所を探して歩いていると、彼らはアニマリンガルを持っていることを思い出した。話し合った末、動物に預かってもらおうとしたんだよ。そこで彼らはチンパンジーに目をつけた。アニマリンガルを使って、チンパンジーのロンに話しかけて、ダイヤを一時預かってほしいと頼んだの。ロンはその要求を受け入れた。ロンにダイヤを預けて立ち去ろうとした時、仲間割れが起きて、一人が殺されてしまった。それが六日前の事件。事件を受けて動物園は閉鎖されてたけど、今日、再開されると、ロンにダイヤを預けておいたメンバーがやってきて、ロンにダイヤを返すように求めた。でも、ロンは返そうとしなかった。たぶん、なにかの交換条件をつけたんだよ。それでトラブルになって、ロンは殺されてしまった。そのとき、ロンはダイヤの隠し場所を教えなかったから、その人物はダイヤを手に入れることができなかったわけ」

「まさか、口の中に入れてるとは、そいつも思わなかっただろうな」楠警部がつぶやく。

「で、もう一人のホロームーンのメンバーが今日、ここにやってきたの。その人物はここで事件が起きたことを知って、自分を裏切った二人がここのどこかにダイヤを隠したに違いないと考えたんだよ。その人物はこのバスに乗ってきたの。そしてその人物が今日の事件の犯人なの」

 セイラの言葉にバスの中がざわつく。

「ホロームーンのメンバーがこのバスに乗ってたっていう根拠はなに?」磯崎が座席からたずねる。

「根拠はホロームーンが犯行現場に残していくカードがこのバスの中で見つかったから。カードはいたずらとか偽装とかで置かれたんじゃないと思う。だってそんなことをして犯人にメリットがあるとは思えないもん」

「殺人犯がホロームーンのメンバーっていう断言はどうしてできるの?」奥の座席からおっさんがたずねる。

「犯行現場近くにアニマリンガルっていうものが落ちてたから。アニマリンガルはあるメーカーの試作品で、ふたつしかなくて、ふたつともホロームーンが持ってたんだけど、そのうちのひとつは六日前に警察に回収されてるから、もうひとつを持ってるのはホロームーンしかいないわけ」

 楠警部はここでアニマリンガルについて乗客にその機能を説明した。

「このアニマリンガルが事件を解く手がかりになったの。アニマリンガルには全く指紋がついていなかった。これはなにを意味すると思う?」

「手袋をしてたとか」上原が控えめな口調で言う。

「まっさきに手袋をしてたっていう可能性が浮かぶよね。でも、ここの乗客の手荷物検査の結果、誰も手袋は持っていなかった。だから手袋の可能性はないの」

「犯人がハンカチかなにかで拭き取ったんだろ」これは楠警部の発言。

「それはないの」

「どうして?」

「それに答えるには、犯人にいつ殺意が芽生えたかを知る必要があるんだ」

「殺意?」

 セイラの意外な言葉に、楠警部だけでなく、乗客たちもオウム返しにその言葉を発した。

「うん。犯行現場は公衆トイレだったんだけど、あのトイレは外からも中の様子が覗けるし、被害者が倒れていた場所は個室の中じゃなくて、洗面所の床だったの。人目につきやすいし、被害者に騒がれたら、誰かに聞かれる危険が多い場所だよ。あんなところで犯行に及んだっていうことは、犯人は事前に計画を立てていたんじゃなくて、あそこで偶然、被害者を見つけたから衝動的にやったんだよ。それにデッキブラシを凶器として使ってるのも、衝動的っていうのを示してると思う。つまり犯人は凶器を準備してなかったんだよ」

 これには楠警部が異を唱える。

「ナイフみたいな凶器を持ってきたけれども、使えなくなったのかもしれんぞ」

「犯人はこのバスの乗客だったんだよ。乗客はみんな手荷物検査をしたでしょ」

「そうだった」

「それに犯人がここに来る前から殺意を持っていたとしたら、アニマリンガルを使って動物たちに話を聞いて回った時、犯人はダイヤについて聞くだけじゃなくて、今日、自分を裏切ったメンバーを見なかったかとか、そういうことも聞いたはずだよ。でも、犯人は全然そんなことは聞いていなかった。そもそも被害者がここに来たのは、お昼を過ぎた十二時三分ごろ。犯人がアニマリンガルを使ってたのは十一時四十分から正午の間。犯人がアニマリンガルを使ってたとき、被害者を見てはいなかった。したがって、犯人にはその時、殺意はなかったわけ」

「分かった。それでアニマリンガルを使ってたときに殺意がないとすると、どうなる?」楠警部が聞く。

「アニマリンガルを使ってたときに、犯人に殺意がないとしたら、犯人は偽装工作とか証拠隠滅工作をすることも思いつかないはずだよ。殺意があってはじめて、そういう工作を考えるでしょ。つまり、アニマリンガルに指紋がないのは、犯人が証拠隠滅のために拭き取ったんじゃないってことが分かるの」

「そういうことか」

 乗客の中から、

「たとえば、もともと犯人には指紋がなかったっていうのはどうですか?指紋がない人がいるって聞いたことあるけど」

「そういう人がいるのはセイラも聞いたことがあるよ。でも、そういう人だって、全部の指の指紋がないなんていうのは考えられないよ。それに、手のひらって、指紋だけじゃなくて、掌紋だってあるんだよ。その全部がない人なんていないよ」

「そうすると、指紋がないのはどう説明するんだ?」楠警部が身を乗り出して聞く。

「今言ってきたことがあり得ないとすると、残る可能性はひとつしかないの。それは犯人がアニマリンガルを使ってたとき、着ぐるみを着てたんだよ。たぶん犯人は、着ぐるみを着た後で、アニマリンガルの包装を開けたんだよ。だから、指紋が全然付かなかったの」

「着ぐるみかあ。でもちょっと待って。着ぐるみって、たしか二種類あったと思うけど」磯崎が疑問を口にする。

「猿の着ぐるみの方だよ。理由は、パンダの着ぐるみは手の部分が丸まっていて、ものをつかむことができないけど、猿の着ぐるみはものをつかめるようになってたから。そうじゃないと、アニマリンガルとかデッキブラシをつかめないもん」

「犯人は着ぐるみを着てたのか」楠警部がつぶやくように言った。

「犯人が猿の着ぐるみを着ることができたのは、午前十一時半から十二時半の一時間。この時間に着ぐるみといっしょに防犯カメラに映ってる人は、着ぐるみの中にいる人ではありえないでしょ。それで、防犯カメラの映像をチェックしてみたの。そしたら、その時間帯にここにいるカモメバスの乗客が猿の着ぐるみといっしょに映ってたんだけど、三人だけ映っていなかった。それは磯崎さん、上原さん、虎太郎くん。犯人はあなたたちの中にいるの」

 名指しされた三人は顔が強張った。ただ小学生の虎太郎は犯人扱いされたからというより、単に自分の名前が発せられたことに驚いているようだ。

「体格を考えると、虎太郎くんは除外できるね。驚かせちゃってごめんね」

 セイラが小学生に謝ったが、虎太郎本人はなぜ謝られたのか分かっていない様子だ。

「で、残るのは磯崎さんと上原さん。あなたたちのどちらかが犯人だよ。実はさっきここに来て二人を見るまで、どっちが犯人か分からなかったの。でも、二人を見て、どっちか分かったよ」

「どっちなんだ、セイラ」存在感の薄いセイラの兄がバスに乗ってはじめて口を開いた。

「お兄ちゃんも、ちゃんと観察すればわかったのに。犯人は着ぐるみを着てたっていうのは言ったでしょ。じゃあ質問。今日みたいな炎天下で着ぐるみを着たら、どうなる?」

 桐生が口を開く前に、楠警部が反応した。

「汗をびっしょりかくな。そうか、犯人は汗臭いやつか」楠警部は前に出て乗客の匂いを嗅ごうとした。

 セイラは楠警部の襟元をつかんで、

「ストーップ。たしかに炎天下で着ぐるみ着たら、汗臭くなると思うけど、セイラが言いたいのは匂いじゃないの。メイクをしている女性が着ぐるみを着たら、汗をかいてメイクがくずれるでしょ。いくらウォータープルーフの化粧品でも、この暑さじゃメイクはくずれたはず。そうなったら、そのままくずれたメイクでいるよりもメイクを落としたはずだよ。つまり、動物園に入る時にはメイクをしてたのに、出てくる時にはメイクを落とした人こそ、炎天下で着ぐるみを着た人物で、殺人事件の犯人、磯崎さんあなたなのね」

 名指しされた磯崎は座席でビクッと身体を震わせた。

「しょ、証拠はあるわけ?」

「あの猿の着ぐるみの中を調べれば、髪の毛とかメイクの一部とか見つかるんじゃないかな」

 それを聞くと、磯崎の顔が豹変した。奇妙に引きつった表情で座席から立ち上がると、隣に座っていた女性の腕をつかんで立たせた。磯崎の右手にはナイフが握られている。そのナイフを女性の首元に近づける。

「ちょっとでも近づいたら、この人の命はないよ」

「磯崎おまえだったのか」楠警部はホルスターに手を伸ばす。

 磯崎は中央の通路を後退しながら、

「運転手さん、後ろの非常扉を開けてくれるかな。言うこと聞かないと、この人、刺しちゃうよ」

 運転手は楠警部に目で、どうするかたずねる。楠警部は仕方なく首を縦に振った。

 扉が開く音がした。それを横目で確認した磯崎は、女性を人質にとったまま、後退していく。

 磯崎が非常扉まであと二、三歩というところで、車内に動きがあった。通路際の座席から一人の男性が立ち上がり、磯崎の身体に何かを押しつけた。その直後、磯崎は通路に倒れ込んだ。それを見た楠警部はすかさず磯崎のもとに駆け寄り、手錠をかけたのだった。

 パトカーの運転席には楠警部、後部座席には磯崎を挟むように両側に警察官が座っている。磯崎が倒れたのは、乗客がスタンガンを彼女の身体に押し当てたからだった。その乗客は隣の市の警察官だったのだ。たまたま、バスツアーに参加していたという。

 セイラが運転席に近づいていく。

「いやー、今回もセイラちゃんには助けられたよ。こんなに早く事件を解決できるとは思っていなかった」

「ま、この程度の事件なんてセイラの手にかかれば、ちょろいもんよ。で、早くちょうだい」セイラは右手を前に出す。

「ああ、そうだった」

 楠警部はスーツの内ポケットに手を入れてダイヤを取り出し、それをセイラの手のひらに載せた。手のひらのダイヤはキラキラと輝いている。

「やったー、ダイヤモンドだー。おじさん、ありがと。またセイラの力が必要になったら、いつでも言ってね」小さな名探偵はスキップをしながら公園の方に去っていった。

「いいんですか、セイラに盗品なんかくれちゃって」桐生が助手席からセイラの後ろ姿を見ながら言う。

 楠警部はもう一度、ポケットに手を入れて、

「本物はここにある。セイラに渡したのはイミテーションだよ。さっき、近くのおもちゃ屋で千円で買ってきたんだ」

「偽物ですか。大丈夫ですかね。セイラは疑り深いから、鑑定してもらうかもしれませんよ」

「そのときはまた考えるよ」

 二人の会話が聞こえるはずはないのだが、セイラはくるりと向きを変えると、走って戻ってきた。窓越しに疑いの眼差しで、

「これってまさか偽物じゃないよね?」

「い、いやそんなことはないよ。本物だよ」

「もし偽物だったら、おじさんが残業と称して夜な夜なキャバクラ通いをしてたこと、奥さんにばらすからね」

「だ、大丈夫、本物だから」

「そこまで言うなら信用するよ」セイラはまたスキップをしながら去っていった。

 楠警部はやっぱりこれを偽物とすり替えようかどうか思案しながら、ちょっと生意気な名探偵の後ろ姿を見つめていた。


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