①⑨②
「圭介には悪いがあの子は処理させて貰ったよ」
父親からそのような連絡を受けた時、圭介はさほど驚きもせず深い悲しみに襲われる事もなかった。
マリヤが死んだ時、自分はどのような感情に襲われるだろうかとそんな風に思った事は幾度かあった。
何度かそのような立場に置かれた自分を想像してみたが、上手くイメージする事が出来なかった。そんな風だったと記憶している。
所詮、想像は想像に過ぎず妄想は妄想でしかなかった。
漫画家や映画監督、はたまたSF作家のように未来へ想いを馳せ、自ら作り上げる想像の中へ身も心も没入させる事が出来なかったのだろう。
やはり自分は現実的な人間なのだ。明日を思い、何かをするという事は性に合わないようだとその時思ったくらいだ。
だが、いざ現実に起きたら自分はマリヤを偲んで哀しみにくれる事もある筈だ。
頭の何処かでそのような気持ちがこびりついていたが、どうやら、それすら自分の思い違いだったようだ。
圭介は
「そう。殺される理由がマリヤにあったという事だから、まぁ仕方ないね」
と父親へ伝えた。
「悲しくはないのか?」
「どうだろ。好きという気持ちはあったけど、マリヤは生きてはいたけどある意味、死人のような存在だったからね。それにこの先生きていくとしても、かなり制限された生活を送るしかなかったし、けどマリヤはそれが我慢出来る歳でもないし、そんな性格はしていなかったからさ」
「そうか。圭介がそのような気持ちで良かった。マリヤちゃんの事は母さんには上手く話しておく」
「ありがとう父さん、そうして貰えると俺も助かるよ」
「ま、母さんの気が向いたら帰るさ」
「わかった」
圭介が言うと父親は電話を切った。
スマホを机の上に置き、ベッドへ飛び込んだ。今からこのベッドは圭介だけのベッドへと戻った。
元々、マリヤという女は存在していなかった。
何かを失う度、圭介は最初から何も手にしてはいなかったと思うようにしていた。マリヤもその気持ちに処理されるだけの事。
圭介は身体を仰向け筋トレをしようと思った。
ベッドの上で全裸になり、衣服はそのままでベッドから降りた。その時、スマホが鳴った。
一瞬、マリヤの顔が脳裏を掠めたが、鼻で笑いスマホを手に取った。
画面には見知らぬ番号が表示されていた。
訝し乍ら出ると、向こうの荒い鼻息が聞こえて来た。
相手を間違えてエロ電をかけて来たのか?
「悪いがこっちは男なんだよ」
圭介はいい、電話を切ろうとした。
「そんな事はわかってますよ。仲野部圭介くん」
「誰だ」
「知りたいですか?」
「お前、めんどくせぇ野朗だな」
「圭介さん、そんな言い方するなんてつれないなぁ」
「いいから名乗れ」
「良いでしょう。ですが私の名前を聞いてびっくりしないでくださいよ?あまりに驚き過ぎて心筋梗塞で死なれては困りますからね」
「俺がどのように死のうがあんたには関係ない」
「関係ありますよ。だって圭介さん、あんたは私が死んだと思ってるでしょうから」
「何を言ってんのか、よくわからないな」
「うひゃひゃひゃ。まぁ。そうなりますか。うん。だろうな」
電話の主はそう言って、一旦、言葉を止めた。数回咳き込んだ後、再び口を開いた。
「圭介さん、あなたはつい最近、私を殺したでしょう?いえ、正確な事を言えば、ハゲでデブな私に似た人間をですよ。ここまで言ってわからないは無いでしょう?」
「まさか、、、はなぶさ、、、か」
「ご名答」
英永剛はいい、再び下品な笑い声をあげた。
「圭介さん、あなたが殺した2人はラピッドの人間だというのは今更言う必要はないでしょう。そしてもう1人、つまりハゲてデブな方を圭介さん、あなたは私だと思った。いや、まんまとそう思ってしまうよう仕向けられたんですがね。というか今更ですが、計画ではあなたを襲い拉致する筈だったのが、いともあっさりと2人はやられてしまったから、私が助太刀に行く暇すらなかったのですよ。デブが走って駆けつけるのは無理ってもんですから」
「それが何だというんだ?あんたはラピッドを裏切った2人に手をかし、俺を殺そうとした。つまり英、お前はこの瞬間からラピッド全員から命を狙われる立場に躍り出たんだよ」
「そんな証拠は何処にもないでしょう。2人はとっくに鰐の餌になったのでしょうから」
英永剛は再び下品な笑い声をあげた。
「そもそも私は圭介さんに何の恨みも憎しみもありません。ただ、圭介さんを襲った2人はどうだったかは知りませんが」
「お前みたいなイカれた奴の言い分なんか誰が信じる?」
「失敬ですねぇ。私はイカれてなんかおりません。もし私がイカれているなら、圭介さん、あなたも充分イカれてますよ。今まで何人殺したか知りませんが、人を1人殺して心身が狂わないのは、元々イカれてるって証ですから」
「とにかく、俺は今日の事は取締役の佐江さんに伝えるらな」
「佐江さん?どうぞどうぞ。私は高校生の頃からこの歳になるまでずっとお世話になってますよ。佐江さんはそんな私の話を信じるか、圭介さんの話を信じるか。どちらであっても興味深くはあるなぁ。その返答次第ではどちらかがラピッドに命を狙われるかも知れません。ですがそれはそれで面白いと思いませんか?」
圭介は返事をしなかった。英永剛は佐江取締役と血の繋がった親子だ。育ての親は違うとはいえ、自らお腹を痛めて産んだのだ。英を信じる方だってあり得るのでないか。
「まぁ。とにかくこれだけは信じて下さい。私は圭介さん、貴方の命を狙ったりはしません。私は私が行う殺人が好きなんですよ。シェフ同士が殺しあうなんてのは、やはり、お互い殺される確率が高くなるのだから、損得でいえば損しかないでしょう。私の言葉なんてとても信じられないでしょうが」
英永剛はいい、長々と申し訳なかったと付け足し電話を切った。
圭介はしばらくの間、スマホを握り思案していた。
佐江取締役に英永剛から電話が来た事を伝えておくべきか。かなり長い時間悩んだが、結局、止めて、改めて筋トレを始めた。
腕立ての体勢に入った瞬間、階下の玄関の方から物音がした気がした。
圭介は腕立てを止め、自室の窓へと近寄った。身を屈めカーテンの隙間から外を見た。
暮れた外には、少し離れたご近所の家の明かりがつき始めている。その先に車が、止まっていた。
あの家は確か……林さん宅か。
確か林さんは高齢の為、免許は返納したのでは無かったか。その後に車も売った筈だ。
圭介は身を屈めたまま机へと這って言った。引き出しから手斧を取り出し耳を澄ました。
微かだがミシッミシッという音が部屋の外から聞こえた気がした。何者かが階段を登って来る、そんなイメージが脳裏に浮かぶ前に圭介はスマホを操作し音楽をかけた。
そして手斧を振り抜く体勢で構え戸口の側で待った。息を潜めていると、部屋の戸が静かに開かれていった。その隙間から肌が荒れた色黒の手が現れた。その手からはキラッと光る鋭利な刃先が見えた。
英永剛に間違いないと圭介は思った。圭介は息を殺し足を広げた。腰を落とした。恐らく英永剛は林さん宅の側に路駐している車の中から電話をかけて来たのだ。
つまり奴は最初から俺を殺すつもりだったという事か。
圭介は再び息を呑んだ。自然、手斧を掴む両手に力が入った。その時だった。
スマホから流れる音楽を遮るように再び電話がかかって来た。圭介は後退りしながら、そっちを見た。
長谷からだった。圭介は素早くスマホを手にし通話を押し、スピーカーにし肩と頬に挟んだ。そして改めて手斧を握りしめ階段に意識を向けた。軋む音が遠ざかっているようだった。
「もしもし?」
圭介は息を吐きながらそう言った。
「仲野部?私だけど」
「長谷か。どうした?」
言いながら窓へと近寄った。再びカーテンの隙間から目を凝らす。全身黒づくめの服を着込んだ数名の人間が圭介の家から駆け足で離れて行く。林さん宅の側へ路駐していた車へと素早く乗り込み、あっという間にその場から離れて行った。
「明日って暇?」
「まぁ。暇ではあるかな。でもどうして?」
「又、例の居酒屋で皆んなで集まらない?」
「別に構わないが、斉藤は、ほら妊婦だろ?そんな状態で大丈夫なのか?」
「大丈夫だよー!今夜だってゆづきと呑んでんだから」
斉藤が横から割り込んで来た。だが声を聞く限りとても元気そうで良かったと思った。
「仲野部、絶対明日は来てよね。なんせ赤津の快気祝いなんだから」
「あいつ、もう大丈夫なのか?」
「うん。だから誘った。酷い目に遭ったもんね。だからさ。せめて何かしてあげられないかと思ったんだ」
「というか、斉藤。高校の頃、赤津の事嫌ってただろ?」
「それは昔の話。今は子を持つ母として、赤津は私の先輩なんだから」
「確かにそうだな」
「そ。だからさ。色々赤津に聞きたい事もあるし。だから誘ってみたんだ。ちなみ明日は子供も一緒だけど来てくれるって。だから仲野部も来てよね」
「そうか。なら行かないとだな」
圭介がいうと斉藤から長谷に代わりいつもの時間、いつもの場所でと言い、その後で、
「最近読んで面白かった小説があって、その話、明日するから嫌でも聞いてね?」
「わかったよ」
「やったぁ。小説の話出来るの仲野部くんくらいしかいないから」
長谷はいい電話を切った。
こっちの方は良い。社会に馴染んでいる同級生達と一時的にしろ楽しめる。
だがさっきのはマズい。奴等は明らかにラピッドの人間で間違いない。英永剛に先手をうたれたか?と圭介は思った。
圭介は英永剛に電話をかけようとして、その手を止めた。自分より先に英永剛から再びかかって来たからだった。
「圭介さん、私です」
「さっきかけて来たばかりだろ?」
圭介はつい英永剛に苛ついた口調で答えてしまった。
「やけに荒れた口調ですね。それってつまり、圭介さん宅にも今し方ラピッドの人間が現れましたか?」
「どうしてわかった?ま、まさか、あんたの家にも来たのか?」
「ええ。1人は殺しました。ですが、残り2人には逃げられました」
「あんたは無事なのか?」
「多少の怪我はしましたがね。これでも一応は、少しは動けるハゲデブジジイですから」
「俺は対峙する寸前で奴等から逃げて行った」
圭介は言いながらひょっとしたら、英永剛の殺害をミスした事が報告され、その情報が家に現れた奴等の耳に入り、急遽、計画が中止されたのかも知れない。
蛇の道は蛇ではないが、同時刻、千葉と静岡に住むそれぞれの漂白者が襲われたとなるとそれは只事では済まされない。
静岡の処理班や千葉の処理班へ、俺か英が、話を通せば
大問題になる。ましてはこちらは漂白者だ。
真っ先に疑うのはラピッドだ。他の組織の人間だとは絶対に考えられない。
何故なら俺達は言ってしまえば、素人の殺し屋の集団だからだ。
そんな2人がほぼ同時刻に、別々の場所で襲われたとなれば、やはり真相を突き止めようとするのは当然の成り行きだった。
だからだろうか。急遽ラピッドは俺を狙うのは中止にしたのかも知れない。
「圭介さん、ちょっとご相談があるんですがね」
「何だ」
「私と一緒に、組みませんか?」
「組んでどうする?」
「そんなのは1つしかありませんよ。現ラピッドの人間を殺すんです」
「何だって?」
「幸い、圭介さんに殺された処理班の奴は優秀でしてね。ラピッドに席を置くシェフや処理班の顔写真や住所を調べあげてまして。そのデータが私の手元にあるんです。さっき私が殺した奴をそれに照らし合わせたら、
千葉県警の現役の警察官でしたよ。ま、交通課でしたがね」
「少し考えさせてくれないか」
「それは構いませんが、ですが私はもう1人殺しちゃいましたからねぇ。だから向こうも引くに引けなくなり、おいそれと尻尾を巻いて引き下がるとは思えません」
「返事は明後日までする」
「わかりました。ではそれまで私はこの若い警察官の死体処理を堪能しながら、圭介さんからの連絡を待ってます」
英永剛はいい、静かに電話を切った。
英永剛と仲間になれば、あのペースト状の死体作りを見ることが出来る。あの異常さに惹かれていたのは嘘ではない。
そんな異常者から直々のお誘いだ。断る理由はなかった。だだそうなると父親の事が気がかりだった。
引退しているとはいえ、仮にも元ラピッドの人間だ。
俺を殺すよう命令されるかも知れない。もしくは反対に両親共々、命を狙われる可能性だって低くない。
悩ましくはあったが、圭介の答えは既に出ていた。
ただ今はそれ以上に大事な事がある。それが明日に控えていた。今は無事にその飲み会に参加する為に生きなければならなかった。何故なら自分の子供の可能性が高い赤津の娘の事を、赤津奈々とじっくりと話したいからだった。
高校生の時の自分の気持ちは果たして愛と呼べるものだったのか。大人になった赤津と話す事で、圭介は色々と気付き思い出せるかも知れないと思った。
何故なら愛するという事が、圭介にはいまいち理解出来なかったからだった。
圭介はやり始めようとしていた筋トレを放棄して階下へ降りた。
TVをつけた後、お湯を沸かしコーヒーを淹れた。
頭の中をフラットにしながら画面を見ていると、地方局のニュース番組に速報が、入った。
そこには男子トイレで暴漢にナイフで刺された千葉県警の現職の刑事、泡沢三四郎さんが意識を取り戻したというものだった。泡沢三四郎……か。ひょっとしてマリヤが勝手に襲ったのはよりによって刑事だっていうのか?
「尚、泡沢三四郎さんは、半年以上も前、今回と同じように倉庫街の一角で何者かに刺され瀕死の状態で発見された事があり、千葉県警は泡沢さんに個人的な恨みを持つ者の犯行とみて捜査をしている模様です」
圭介はマジか、と思った。この泡沢という刑事はスナック天使にいた2人の女が拉致した男に間違いない。俺が助け出した時は目隠しされていた為に顔は見ていなかった。その男をマリヤが殺そうとしたのか。
だが、この泡沢三四郎という刑事はその2回とも死の淵から蘇って来たという。
その時、圭介の記憶が爆ぜた。スナック天使の店内で格闘した刑事の顔が頭の中で一気に膨らんで行った。
まさかあの刑事がこの泡沢って奴じゃないよな?
もしそうだとしたら……いやあり得ない。マリヤが俺と格闘した刑事の面を知っている筈がなかった。
だが、もし何かしらの方法で泡沢の顔を知っていたとするなら、マリヤは俺の為に泡沢の隙をみつけ、刺し殺そうとした事になる。
それが、真実なら俺は全くもってろくでなしな男だ。
マリヤは俺が刑事に目をつけられたと感じていた事を見抜いていたのだ。そのせいで俺のアリゲーターマンとしての制裁が滞っていたのは事実だった。その事についてはマリヤ自身も不満を持っていた程だ。
だが幸いな事か、それとも悲しむべきかはわからないが、つい最近まで圭介は自分自身の感情を上手くコントロールする事が出来ていなかった。そのせいで自分がすべき目的も見失いかけていた。マリヤはそんな俺の感情を邪魔するものを排除しようと、刑事を襲うという手に
打って出たのかも知れない。それが出来たなら圭介の不安も解消され、再びアリゲーターマンとなりターゲットを殺すようになるとマリヤは考えたのだろう。
そうなればマリヤが望む死体も手に入るし、マリヤ自身が漂白者となり、手を下す役割を圭介が与えてくれるかも知れない。恐らくマリヤはそう考え勝手に動いたに違いなかった。
だが、マリヤが考え行動に出た結果、マリヤが手にする筈だったものは生きてその手に納める事は出来なかった。マリヤにとって最悪な事は、それは2度と、未来永劫、永遠に手にする事が出来なくなった事だった。
どういう気持ちでマリヤがあのような行動に出たのか、その真実を語れる者は父親の手にかかり2度と口を開けなくなってしまった。
だがそう思ったと同時に、突然、肋骨の裏側がチクリと痛んだ。
そこにはいつどのような状況で止まるかもわからない自分だけの心臓が鼓動を打ち続けていた。
そこから噴き出すように全身へと巡らされていく圭介の血液は、今まで自らの手で下した人間達が流した血の雨と同じく、圭介の血管の中で激しくうねっていた。
その血が止まるのがいつなのか、知っているのは
こいつだけだ。
圭介は自分の心臓へ向けてその硬く握られた拳を叩きつけた。
了




