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第二十一節 思わぬ来訪 ――ノエル・ユーランド



「スイ……大丈夫かな……」



 天井まで届くような、背の高いガラス窓にかけられた、分厚いカーテンの隙間から庭を見下ろす。

 そこには誰も居ないと分かっているのに、スイが顔を覗かせてくれるんじゃないか、という在りもしない希望に縋って。


 あれから、また数日。

 途中、スイが出てこないことを心配しているメイドたちの要望もあり、先輩や爺にも様子を見に行かせたけれど、爺たちの報告ではあまり芳しくないらしい。

 本当に、本当に心配だ。

 スイの事だ、最悪、役に立てるのなら僕に奉仕をするとでもいうかも――。


「旦那様、お着換えのお手伝いに参りましたわ」


 突然、背後からそんな声が聞こえ、ハッとする。

 もしかして、スイが!

 振り返ると、いつの間にかドアを開けられたのか、そこには爺を連れた"先輩"メイドがニコニコした顔で立っていた。

 がっかりしてしまうのと同時に……本当にあり得ない事だけど、スイが僕の部屋に入って来たんじゃないと分かって少しだけほっとする。


「君たちか……ノックはした?」

「はい、旦那様をお邪魔するわけにはいきませんでしたので、しっかりと」

「爺も確認しておりました。旦那様の返事がなかったもので、倒れられたのではないかと」

「そうか、悪いね」

「ふふ、私たちではご不満でしたか?」


 "先輩"は僕の反応に嫌味にそう言われ、少しだけイラっとしてしまう。


「いくら許しているとはいえ、身分不相応なんじゃないかい?」

「あら、それはそれは。大変、申し訳ございません」

「旦那様、部下の無礼をお許しください」


 全く悪いと思っていなさそうな彼女と、後ろで待機していた爺にまで頭を下げられて、余計に不快にさせられてしまう。

 ああもう、こういう態度を取られるって分かってるから言わなきゃよかった。

 思いっきりため息をつきたい衝動に駆られていると、爺が前に出てくる。


「ところで旦那様。城勤めの準備はお済になりましたか?」


 厄介な二人組に襲われ、爺に急かされて重い体がさらに重くなった。

 そうだった、今日は城勤めの貴族として、城で行われる会議に治安担当の貴族として、出席しなければならない日だった。

 正直に自分の気持ちを口にしてしまえば……気が重い。

 ただでさえ、話を聞かない馬鹿が多いのに、不安定なスイの件を抱えたまま屋敷を開けるのが非常に億劫だった。


 乗り気しない気持ちで「……まだだ」と返すと爺は深々と頭を下げ、「ではお手伝いさせてくださいませ」と言われてしまう。

 暗にサボるな、と言っているのだ。


「はあ……。好きにしろ」


 そもそも、今はスイの事が心配で爺の論争に付き合ってる余裕なんてない。

 反論しても分が悪いと判断して素直に爺たちの提案に乗ることにした。

 渋々爺が立てかけた姿見の前に立ち、爺が持ってきた服の中から今日着ていくものを吟味する。

 ……とはいっても、男性貴族用の礼服はそこまで種類があるわけじゃないのでほとんど誤差なんだけど。


「髪を結わせていただきますね、旦那様」

「ああ、お願い。束ねてたらしてくれればいい」

「承りました」


 先輩に髪を結わせる間、やはり頭が考えるのはスイの事ばかりだった。

 僕が守れば良かったとか、身分を明かせばよかったとか、さっさと衛兵に引き渡すだとか、対策は色々あったのに、と。


「はあ……」

「旦那様?」


 心配したような声は爺と先輩のどちらだっただろうか。

 後悔ばかりが募り、またちゃんと会議には出なければと思考が堂々巡りして、気づけば重いため息が零れていたようだ。


「ねえ、本当に僕は城に行かなきゃ駄目かな」

「何をいまさらお言いになっていらっしゃるんですか」

「本来今日の会議は近況報告だったわけで、緊急性が無いのに僕が行く必要はないんじゃないかって」

「旦那様が顔をお出しになることが重要なのです。それと、旦那様。口調が戻っておられますよ」

「爺の言いたいことは分かってるよ。でも、スイが心配だし……」


 とっさに口調は戻らなかったけど、とりあえず今一番心配していることを伝える。

 会議は最悪僕が居なくてもなんとかなる。

 だけど……。


 頬についた傷……スイが、つけてしまったと思い込んでしまっている、痛い傷に触れる。

 スイは……彼女は、きっと落ち込んでしまっている。というか、あの後出てこないのを見れば、馬鹿でも分かる。

 あの手の自己責任が強すぎる子は、立場が上の僕を忙しくしていると勝手に思い込み、相談もせずに一人で決断を急いでしまわないかって、焦りでハラハラしてしょうがない。

 スイが決めた事なら無理強いはしないけれど……今のスイは、不必要に考えこんで、自分が居なくなればいい、とか意味の分からない結論にたどり着きそうで、ハラハラして怖いのだ。

 そんなことばかり考えていると、後ろで髪を結っていたはずの先輩からクスクスと含み笑いが聞こえてくる。


「……なんだ」

「ふふっ、申し訳ありません。ただ、旦那様の秘密を隠さずお話になればいいのに、と思いまして」

「それでスイが戻ってくると思う?」

「はい。凛々しい旦那様を見れば、スイギョクちゃんもいちころで、旦那様の元に居ると決意してくれるかと」


 なるほど、たしかにスイがメイドのノエルに対して好意……それが異性としてなのか、同性として七日は置いておくとして……を持っているのは間違いない。

 本当にスイが僕の事を好ましいと思ってくれているのなら、その手は最上だろう。

 でも……。


「はは、君は本当にうまくいくと思ってる?」

「ふふっ、いいえ? 旦那様の思いに気がつけない規格外の天然さんには難しいかと」

「それはもしかして、綺麗だーとか、可愛いーとか、好きだよ-ーって言ってるのに、翌日には『ノエル、あれは悪い冗談だぞ』と、まるで自分以外に言われたみたいに言う鬼の子の話?」


 あの時のスイは、今思い出しても開いた口が塞がらない程の衝撃を受けた。

 他のメイドたちにも呆れられたり、可哀そうな目で見られたことは忘れられない。

 先輩も思い出したのか、「さあ、だれのことでしょう」とくすくすと笑いを零していた。


「先輩も酷いね……。じゃあ、爺。君はどう思う? どうすれば、スイは出てきて、またあのバラのような笑顔を見せてくれるだろうか」

「そのために旦那様がご自身が用意されたのでは?」


 爺が僕の執務机を見ながらそう言った。

 自然、僕の視線も自分の机に行き……机の上に用意された紙の束の事なんだろうなと察した。


「あれは緊急用だよ。あまりに物分かりが悪い子には、物証と物量で示さないと。それ以外の方法で、だよ」

「はて……では、爺には乙女心は難しい事でございますので」

「よく言うよ、若いころは貴族令嬢にモテて大変だったって聞いてるけど?」

「昔の話でございます故。しかし、旦那様が責任を取ると明言なさればよろしいのでは?」

「あ、それは良いですね、爺様! どうせなら、スイギョクちゃんに逃げられないよう周りも固めてましょう!」

「……なんか、二人とも僕の婚期とスイの件で適当になってない?」

「「そんなことはありません」わ」


 厄介な二人が息をそろえて同じことを宣った。

 僕はともかく、スイが望んでいるとは限らないんだからと二人に訝しむ目を向けると、先輩は「あら」と微笑まれる。


「あのスイギョクちゃんのような子なら、旦那様の秘密を明かして『俺のモノになれ、スイ』と耳元で甘く(ささや)けば、最初は怖がられるかもしれませんけど、その後は上手くいくと思いますけれど」

「……正気?」

「ふふっ、私はいつも本気ですわ」


 まあまあ本気で相談していたんだけど、今日に限っては二人とも僕を弄るのを辞めるつもりはないらしい。

 いつも裏でからかいすぎただろうか。

 部下の処遇とこれからの待遇を考えていると、「終わりました」と先輩が下がる。

 さっさと嫌なことは済ませてしまおうと、仕方なく爺が持ってきた服を適当に選び、爺が広げたジャケットに腕を突っ込んだ。

 黙々と、自分たちがすべきことを遂行する二人に舌を巻きつつ、どうしてこの二人はいつもこうやって人をからかうのだろうと遠い目になった。


(本当にこの二人はなあ……。まあ、その代わりに仕事は出来るし、態度も僕が許してるから何も言えないんだけどさ)


 嘆息しながらジャケットのボタンを留めていると、ふと姿見に映っている自分が映る。

 着られているなあ、似合わないなあと呆れながら見ていると、爺が視界の端に移動した。


「この後は、もう城へ出立されますか?」

「いや、スイが出てこないか出来るだけ待ちたい。会議だって僕以外がいつも遅れるんだ、全員が居なきゃいけないのに始まらないような会議なら待たせて――」


 爺の質問に答え、スイを待てるように指示を出そうとして、





「だ、旦那様は居る……いら、っしゃる、でしょうか」




 

 待ち望んだ、スイの声がドア越しに聞こえてきた。


 久しぶりに聞いた、スイの声。

 いつも元気に「ノエル!」と呼び掛けてくれるだけで心が軽やかになるスイの澄んだ声だ。

 元気は……ない。それでも、彼女の声が屋敷内で聞こえたと言うだけでじわっと目頭が熱くなった。


「っ! スイ!? ようやく出てきてくれたんだ!」

「旦那様、お忘れなきように」

「忘れ、ってなにを……あ……」


 ドアに駆け寄りそうになり、爺に咎められる。

 何のことかと思ったら、自分の姿を思い出し、感動で熱されていた頭が瞬間的に冷たくなる。

 そうだ、今の僕は本来の……貴族男子の礼装で、精神状態が不安定のスイに、正体がバレてしまったことを考え、姉たちに無理難題を押し付けられた時よりもひどい冷や汗が額に流れるのを感じた。


 二人にスイが来ることを知っていたのかと言う意志を含めて目くばせをしたが、二人とも驚いたように目を丸くして首を振られてしまう。

 どうやら、本当にスイの意志で僕の部屋まで来たらしい。

 スイの突然の訪問に驚いていると、ドア越しに「あの……」とスイの小さな声が聞こえる。


「急に来てしまって、その、ごめ……申し訳、ありません。今日は旦那様がいらっしゃると、他のメイドから聞いてて……」

「っ、いや、気にするな」


 とっさに、正体がバレるわけにはいかないと、いつも会議で他帰属を威圧するときに使う声色に変え応対してしまう。

 さすがに気がつかれてしまうかと思ったけれど、さすがはスイというべきか。ただ単に余裕がなかったからか。

 スイが息を呑む音が聞こえ、ドアの前で身動ぎの気配がした。


「あ、あの……。それで、大変不躾だ、と理解しているのですが、旦那様はとてもお優しいと聞いて……。ノエルのために、願いを聞き届けてくれないかとこちらに伺いました」

「願い?」


 嫌な予感がして、つい言葉尻が尖ってしまう。

 スイの願い。その言葉は叶えられるものならかなえてあげたいのだけど、非常に嫌な……ざわざわした言いようのない不安をはらんでいた。

 しかし、ここで聞かないというわけにもいかずしばし考え、ドア越しにだが頷くことにした。


「いいだろう。今は出かける準備中だ、ドア越しでよければ、時間はまだあるから話しなさい」

「っ! ありがとうございます。……その、まずはこのお屋敷においてくださったこと、本当に感謝をしています」

「そうか。屋敷の居心地は? 困っていることは無いか」

「え? はい。屋敷の人にもたくさん助けてもらって、たくさん教えてもらって……。余では返せないほどたくさんの恩をいただきました」

「それは……何よりだ」


 本当に。

 この状況だ、スイが本当のことを言っているかは分からないけど、それでも屋敷内の調査をして、彼女に害するような存在いないと確認している。

 スイの話を聞いた限り、鬼という種族の彼女に恩を頂いたと答えてくれたのなら、安心しても良いと思う。

 ドア越しにだが、思い出すように語るスイの口調はどこか明るくて……。

 これなら安心かもしれないとほっとした。


「その、旦那様が働くことを許可してくれたと聞いて、恩人でもあるノエルと一緒に働けるんだって思ったらすごくすごくうれしくて……そのことも、感謝しかな……ありません」


 一瞬だけ、素の口調が出かけて慌てたようにスイは言い直していた。

 閉じたドアの向こうでスイが僕の事を語ってくれていると思うだけで口元が緩くなってしまいそうになり、万が一でも声が漏れたらいけないと必死になって表情筋を制する。


 まさか、文句のひとつでも言われると思っていたのに感謝するなんて思わなかった。

 横から「旦那様も何故ドア越しでニヤニヤしていらっしゃるんですかね」「ですわねえ」と厄介な二人の声が聞こえたが完全に無視させてもらう。

 それぐらいには嬉しい。

 だが、高揚したのはそこまでだった。


「でも、こんなにたくさん助けてもらったのに、余はたくさん迷惑をかけてしまいました。それが嫌で、余を拾ってくれたノエルに……命の恩人に申し訳が立たなくて……」


「スイ……?」


 僕のつぶやきは、きっと彼女には聞こえていない。

 でも、ドアの向こうから漂って来る気配は、不穏な気配がして、先ほどまで嬉しかったはずの感情に陰りが差した。

 どのような内容でも、今は耳を澄まして聞かなきゃいけない。

 ドクドクと心臓が鼓動を立てる。

 心臓の音があまりにも耳障りで、スイの声に集中賞としてるのに、イライラとした思考ばかりが先に立った。

 そして、





「余を……私を、屋敷から解雇してくれないでしょうか」





 今、一番聞きたくなかった言葉が、閉じたドア越しに聞こえてきてしまった。




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