第二十節 もっと、早く決意するべきだった ――翠玉
先輩の笑顔が面映ゆくて顔を背けていたけれど、そっと被った布団の隙間から先輩を覗くと、彼女は懐かしむように目を細めていた。
「そうよ、だって私も新人さんだった時期はあるもの。誰だって支えてもらって、出来るようになって初めて恩返しする物なのよ?」
「……余は支えてもらってばかっかりだから」
「ふふっ、そうねえ。スイギョクちゃんは確かに支えてもらうことは多いかもしれないわ。自分が出来ないことを周りに相談したり、自分の出来る範囲で出来るように工夫してみたり」
「ん、だから、余はもっと早くノエルの役に立ちたい」
「先輩は、すごいな。余は……余はもっと早くノエルの役に立ちたいって思ってしまう」
励ましてくれている先輩に、言葉が素直に滑り出した。
余が弱音を吐くと、先輩はきょとんとした後、またくすくすと笑いだした。
「あら、スイギョクちゃんだって、たっくさんノエルちゃんの役に立とうって頑張ってるじゃない」
「でも、余はこの屋敷でまだ役に立てないからで…」
「そんなことないわ、屋敷のみんなも、お掃除のときは貴重品を壊さないように、誰も来ないところへ一度避けているのを知ってるし、お洗濯の時だって柔らかい素材がどれかを確認して分けてお洗濯をして、自分に無理そうな物は他のランドリーメイドに回したり、濡れて重い洗濯かごを率先していくつも持ってくれてるでしょ?」
「で、でも、それは当たり前の事だし、余が出来ないからやらなきゃいけないだろ? 役になんて……」
たしかに、先輩に指摘されたことはやっているし、自分がやると言いだした事ばかりだ。
でも、自分に出来ることをやるのは当たり前だし、出来ないことは覚えられるようにするのも当たり前だ。
余がそう返すと、先輩は目をぱちくりさせたあとちょっと困ったような顔になられてしまう。
「もう、スイギョクちゃんってば真面目過ぎだわ。たしかに、下の人がやるような仕事といえばそうだけど……」
「だから、一番下っ端でやくただの余が――んぎゅ」
「もう、スイギョクちゃん。めっ、よ?」
勢い余って体を乗り出しそうになっていると、また鼻を突っつかれてしまい、先輩に抵抗するわけにもいかずベッドに尻餅をついてしまう。
人間様に負けてしまったと鼻の頭を撫でていると、先輩は本当に困ったみたいな顔をして頬に手を当てていた。
う、よ、余が先輩を困らせてるんだろうか……。
先輩の反応に委縮してしまっていると、先輩に肩を竦められてしまう。
「スイギョクちゃん。庭をきちんと整備してくれる庭師さんとか、荷運びをしてくれる労働者の方をどう思ってる?」
「え? えっと、すごいなとか、いつもありがとうとか、ご苦労様ですとか?」
「じゃあ、その人たちが居なかったどうかしら。例えば、お屋敷の仕事をしながら、彼らの仕事もしなきゃいけないって言われてるの」
「……ん、忙しい、と思うぞ。今みたいに先輩が余に構ってくれることも難しいと思う」
「そう、それと一緒」
「いっしょ? えっと……」
「スイギョクちゃんのやってることも、その人たちがやってる仕事と一緒ってこと」
「そんな! 余は専門の知識も量がある力仕事も出来てないぞ」
「そりゃあ、大小の差はあるけど、でも、何も出来ないって言ってるスイギョクちゃんが受け持ってくれてる仕事ってそういうことよ? スイギョクちゃんはそう言う人も役に立たないって言っちゃう子なのかしら」
先輩に言われて考え込んでしまう。
たしかに、やや暴論とは感じてしまうが、先輩の言っていることに一理はある。
別に余がやっていることが"縁の下の力持ち"とまではいわないが、庭師も、運搬も、冒険者だって誰かがやらなければ、別の誰かが忙しくなるような仕事はたくさんある。
つまり余が約立てないからとやっていたことは他のメイドが忙しくならないように助力で来ていたかもしれないと言う事で……。
少しだけ胸でもやもやしていた物が解れて、ほっとしたような気がした。
「余は……みなの役に立てているのか?」
「ふふっ、最初からそう言って……なかったかしら?」
「言われてた、とは、思う。でも、余はそうとは思えなくて……」
「なら、これからはそうなのかもしれないって思ってくれればいいわ。こんなに頑張ってるのに、まだ足りない! って頑張ろうとするスイギョクちゃんを見てるから、他のみんなも失敗してないように見えるだけだもの」
「む、むぅ、そうなのか?」
「そうよ? 爺様だってそうなんだもの」
「あの爺様が? 先輩、いくらなんでも信じられないぞ」
「ふふっ、一見すると爺様ってしっかりしてそうだし、実際しっかりしてるんだけど、スイギョクちゃんの前では取り繕ってるけど、ノエルちゃんとスイギョクちゃんを心配してに運びを間違えるし、リストの書き損じが多いのよ?」
「あはっ、届け間違いに書き損じ? あの爺様が?」
「そうなの、あの爺様が」
爺様の噂話に先輩と二人して笑ってしまう。
本当は笑ってはいけないんだろうけど、先輩が教えてくれた爺様の話には余も身に覚えがあることもあって……あの爺様も余と一緒のミスをするんだなって思うと、思わず口の端が笑顔になってしまっていた。
「それに、他のみんなだってそうよ」
「他の?」
「今だって、スイギョクちゃんを心配した子が廊下でサボってるんだもの」
「え? 廊下に人が?」
先輩の指摘に耳を澄ます。
廊下からバタバタと何人かが駆けていく足音が聞こえて、そんな人数に気がつかなかったのかって自分で驚いてしまう。
遅れて、自分がどれだけ油断してたのかと自覚させられてうっとまた胸が痛くなった。
「もう、みんなったら……まあでも、こんなに真面目で頑張り屋な子が落ち込んでるんだもの、気になるわよねー。そりゃノエルちゃんも首ったけになっちゃうわ」
「く、くび?」
先輩の言葉に首をかしげるほど疑問に思ってしまう。
くびったけの意味が分からないわけじゃないが、ノエルは女の子だし、その……夢中になられる程、魅力はない。
ちょっと納得できないでいると、先輩が手を伸ばして、頭の上にぽふっと何かが乗せられ髪を流される。
……なんで、余は撫でられているのだろうか。
不思議に思いながら撫でられた頭に手を当てていると先輩がくすっと笑う。
「元気は出た?」
「え? あ……」
先輩に言われて、胸元に触れる。
指先には自分の薄い胸板が触れるけれど、たしかに胸中にあったもやもやは、また少し軽くなっていた。
「……ん、楽になった。ありがとう、先輩」
「ふふっ、そうそう、私の親ほどじゃないけど、スイギョクちゃんはもっと我がままになってもいいのよ?」
「わがままに?」
「そう、我がまま。ノエルちゃんじゃないけど、スイギョクちゃんが迷惑だって思ってる事も、貴族たちの無理難題に比べたら可愛いものなんだから」
「でも、ノエルに……命の恩人であるノエルに、迷惑はかけたくない……」
「あらあら、ノエルちゃんは良い子ちゃん過ぎるわねえ。それに、本当に迷惑をかけたくないって話なら、スイギョクちゃんは屋敷で雇うのは本当は難しいし……」
「雇うのが難しい? どういうことなんだ、先輩」
「あら、スイギョクちゃんはローゼンカッツェの事情を知らなかったかしら」
うーん、と顎に指先を当てた先輩が悩むように言葉を止める。
何が難しいのだろうか。鬼だからだろうか。それとも余だからだろうか。
色々な考えが頭をよぎって不安になっていると、先輩は「そうね」と頷いた。
「スイギョクちゃんなら大丈夫かしら」
「余なら?」
「スイギョクちゃんは、ローゼンカッツェで亜人の立場が弱いのは知っているかしら」
「? あ、ああ。冒険者としても依頼料が他と比べると低いと、知り合いが。それに町でもあまりいい扱いはされなかった」
「そう、大変だったわね……。この屋敷はそうでもないんだけど、貴族が亜人を雇い入れるーなんて言ったら……。そうね、貴族たちの間でまことしやかに噂が撒かれるなんてよくある事だもの」
「え? 噂ってまさか……」
先輩が言い辛そうに"噂"と口にしたので一気に顔からの血の気が引いてしまう。
いくら余が貴族のアレソレに詳しくないとはいえ、彼らが亜人たちに良い感情を持っていないことくらい、この屋敷に住まわせてもらっていれば分かる。
つまり、ノエルが余を雇ったせいで、まだ見ぬ旦那様へ迷惑をかけたことになって……。
(もしかして、余はこの屋敷に居るだけで迷惑をかける……?)
ノエルだけじゃない。貴族として余を雇うことを許可してくれたであろう屋敷の主人にすら余が居るだけで迷惑になると、先輩は言外に教えてくれていたのだ。
余が黙ってしまうと、先輩はくすくすと笑っていた。
「ふふっ、あまり深く考えないで頂戴、スイギョクちゃん。今の旦那様だったらある程度黙らせられるでしょうから」
「そう、か……」
「そうなのよ。あ、でも、スイギョクちゃんが本当に迷惑をかけたくないって言うなら、旦那様に新しい仕事を紹介してもらうとか、それか――」
先輩が色々と提案してくれているのを横で聞きながら先ほどのの言葉を考える。
余がこの屋敷で世話になっている限り、どう頑張ってもノエルに迷惑をかける。
やっぱり、ノエルに迷惑をかけないためには、今先輩が言った通り、新しい仕事を探すか、言う通りこの屋敷の仕事を辞めて、故郷に……。
「……ちゃん。スイギョクちゃん?」
「ん、え?」
「本当に大丈夫? なんだかそっぽを向いてしまっているみたいだけれど……」
「ん、ありがとう、先輩。余は大丈夫だ」
「……そう。なにかあったら、だん……ノエルちゃんに必ず相談してね? あの子ならどんなスイギョクちゃんの答えでも受け止めてくれるはずだから」
「ん、分かった」
「それじゃあ、スイギョクちゃん。私はお仕事に行くけど、あんまり悩まないでね?」
手を振って部屋を去る先輩を見送りながら、また考えてしまう。
どんな答えでも、ノエルなら受け止めてくれる。
余もそうだと思っているし、ノエルならきっと別の解決策を一緒に模索してくれる。
だから、余は……。
「もう、甘えちゃ駄目だよな、ノエル」
ここまで余に良くしてくれた人たちのために、決断しなけらばと思いながら、先輩が出ていったドアの先に……ノエルも居るはずの屋敷に目を向けるのだった。




