第90話 「クロムVSセン」
薄い刃が空気を裂き、俺の首を狙う。センの『セナージ』は素早く、真っ直ぐに俺を襲ってきた。
センは剣を振りながら、口を歪めて笑いかけた。
「ほらほらクロムちゃん! 油断してると死んじゃうぜぇ?」
誰が油断などするものか。俺はセンのあらゆる動作を警戒している。
センの動きの精度は俺より劣っていたが、未だに決定的な隙は見えない。その上、先ほどより動作や反射の速度が上昇している。
本気を出した、ということか。
「それとも、クロムちゃんはこの程度だったのかぁ? アイズの隊長さんも、大したことねえなぁ!」
そんな安い挑発に乗るか。
しかし、状況が不利なのは事実だった。俺はセンの攻撃をかわす一方で、なかなか反撃に移れない。避けるのだってギリギリだ。1センチメートル先には、死が待っている。まさに、生と死は紙一重であった。
『何でも斬れる剣』が向こうにあるが故に、攻撃を躊躇ってしまっていた。
俺の脳裏にはあの時の記憶がこびりついたままだ。センに殺されそうになった、あの時の恐怖が。何を怖がっているんだ、俺は。
「ちっ……」
俺はイラつき気味に舌打ちして、足元の小石を蹴った。自分の弱さに腹が立ったが、小石に八つ当たりした訳ではない。
小石はセンの脳天目掛けて飛んでいき、センはそれを回避した。センの体勢が崩れた瞬間を狙って、俺はクロミールでセンの足を斬り付けた。ドラゴンの右足ではなく、人間の左足を。
だがセンは素早く左足を引っ込め、切り傷程度の損傷しか与えられなかった。
「あぶねぇ、スッパリ斬られるところだったぜ」
そう言うセンの表情には、余裕が混じっていた。この殺し合いを楽しんでいるように見えた。
一瞬の油断も許されない戦い。その渦中に、場違いな少年が一人紛れ込んで来た。
高級そうな子供用スーツを着た、小さな男の子だった。貴族の子供だろうか。街を駆け回って避難している人々がいたが、彼らからはぐれたのか。
彼は泣きじゃくって、俺達の近くにふらふらとやって来た。
「ママァ……。どこぉ……?」
母親からはぐれてしまった子供か。こんなところに来ては危ない。
「お前、早く逃げ……」
逃げろ、と警告する間も無く、子供の泣き声は止んだ。
その代わり、物言わぬ二つの肉塊が、ゴトリと残酷な音をたてて道路に落ちた。
刹那の間に両断された、『それ』。切断面からは赤い体液が流れ、右半身と左半身を繋げている。
そして『セナージ』にベットリと付着した、赤。
「アハハハハハハハ! 駄目だろクソガキ! オレとクロムちゃんの邪魔しちゃぁ! 反射的にぶっ殺しちまったぜ!」
返り血に彩られたコートが、センの笑い声に合わせて揺れる。
殺人を喜び、祝うかのように。
「セン……! お前っ……!」
罵る言葉が出てこなかった。高笑いするセンを見ていると……円らな瞳で俺を見る少年を見ていると……頭の中がぐじゃぐじゃになりそうだ。
少年の濡れた瞳に添えられた小さい手は、時が止まったみたいに動かない。
「このガキもついさっきまでは、自分が死ぬなんて微塵も考えちゃいなかったんだろうなぁ……。生きてママに会えるって、そう信じてたんだろうなぁ……」
「セン……お前は人の命を何だと思っている! 命は……重いんだぞ!」
「あぁん? それじゃあまるで、『オレが人の命を軽く見てる』みたいな言い方じゃねぇか。心外だなぁ。この世でオレ程、命の尊さを知ってる人間はいないぜ?」
「ヘラヘラとふざけるのはやめろ」
「ふざけてなんかいねぇよ! オレは命を大切にしている。だからこそ、オレは殺すんだ。生きることは殺すこと。そしてオレにとっちゃ、殺すことは生きることだ」
「理解出来る言葉で喋ってくれ」
「誰だって生きたいよな。死ぬのは怖いよな。だから死の淵に立たされた時、本当の意味で命は輝くんだ。オレが殺してきた生き物達も、死ぬ寸前はいい表情してたぜ……。『生きる』ってのは、必死に生きることだろ? 掛け替えなくて儚い命を殺す瞬間……オレは自分が『生きている』ことを実感出来る! 生きている実感が無く、死んだように生きていたオレが、『生きる』ことが出来る! だからオレは殺すんだ!」
センは必死に、力を込めて、一言一言を放った。
『生きることは殺すこと』……。『殺すことは生きること』……。
それがセンの殺人動機か。
「それにしても、『自分はまだ死なない』と思ってる奴が多すぎるぜ。特にこの中央都市の連中とかな! 安定と保証に囲まれた暮らしをしてるから、死を忘れちまってる! 死んだ人生送りやがって。クロムちゃんは自分が死ぬ瞬間を想像したことがあるか?」
「無いな」
「じゃあ教えてやるぜ。テメェの死因は斬殺。綺麗に切れる剣で真っ二つだ」
そしてセンは意地悪な笑みを浮かべて、付け加えた。
「殺人犯にはピッタリの死に様だろ?」
「なっ……!」
俺は一歩下がり、動揺を隠すように問いかけた。
「何故……お前が知っている……!」
俺の過去を。血塗られた咎を。
「やっぱりそうか。クロムちゃんがあまりにも人殺しの目をしてたから、鎌をかけたんだよ。へぇ……クロムちゃんも人を殺したのかぁ! いつ? 誰を?」
センは俺を煽るように話した。くそっ。動揺が表に出たか。
思い出したくない7年前の記憶が、脳裏に浮かんでくる。
「結局オレもクロムちゃんも同じ穴のムジナだった訳だ。偉そうに怒っちゃってよぉ。偽善者のアイズさん」
「違う……っ! 仕方なかったんだ。自分を守るために……」
人を殺す覚悟はとっくに出来ていたはずなのに、いざ『人殺し』と言われると、心が怯えてしまう。
無意識に自分を弁護する言葉を吐き出してしまう。
結局俺は変わらないままだ。
強くなりたいと決意したのに……。臆病で、弱くて、自分を守ってばかりだ。
アイズに入って強くなれたつもりだった。『アイズ流護身術』を学んで強くなれたつもりだった。誰かを救って強くなれたつもりだった。敵を倒して強くなれたつもりだった。
でも俺の心は弱かったんだ。『警戒する強さ』なんて豪語しても、実際は『怯える弱さ』だ。俺は、クロム隊の皆に支えてもらっている。
本当の俺は、こんなにも弱かったんだ。
センと再会して、気付かされた。
昔からずっと、怖かっただけなのだと。助けを求めていただけなのだと。
「隙だらけだぜ、クロムちゃん!」
気付けば、眼前にセンがいた。高速で突進したセンが、『セナージ』を俺に降り下ろす。
「あ……」
近い。もう回避出来ない距離だ。
極度に鋭い刃が襲いかかり、俺は……。
銃声が聞こえたかと思うと、俺の足元で金属の弾が跳ねた。
センは後方に下がっており、低めの姿勢でセナージを持つ。
俺は、傷一つ付いていなかった。
「誰だぁ?」
センは訝しげに首を傾げた。その先には、銃を構えた男が立っていた。
「油断したな。貴様らしくない」
威圧的な高身長。黒色のオールバック。細く鋭い目付き。端整な顔立ち。
髭とシワが相まって、年齢の深さを感じさせる中年。
この世の悪を凝縮したような、一目で異様と分かる雰囲気を纏った男。
悪党の頂点が、そこにいた。
「久方ぶりだな、クロムよ」
何故、この男がここにいる。
「オーディン・グライト……!」
『イーヴィル・パーティー』のボスは、不敵な笑みを見せた。




