第87話 「ヴィルカートスVSブラッドドラゴン」
お待たせしました。
連載再開です。
かつてクロム達が護衛した小さい竜は、見上げる程の大きな脅威となってハルバート家の屋敷に現れた。
キューと名付けられたそのドラゴンは、人間に対する殺意のみを持って大地に降り立ったのだ。
「ギュオオオオオオオオオオン!」
低い鳴き声が轟き、空気を揺らす。
ブラッドドラゴンの太い尻尾が鞭のように撓り、ヴィルカートスの頭を狙った。
ヴィルカートスは無言で右手を振るい、尻尾を弾く。
ヴィルカートスは腕の力が優れている。筋骨隆々の両腕は、重火器にも劣らない破壊力を秘めていた。
「ギュウウウウウウウン!」
キューは鋭い爪を伸ばし、横方向に振った。重々しく、ノロマな攻撃だった。
「遅いぞ化け物」
ヴィルカートスは余裕ぶった動きで攻撃を避けた。キューの爪が空を裂く。
そして、柔らかい肉を貫いた。
血が吹き出し、残酷な匂いが溢れ出す。骨を砕く音が響き、死が眼前を過った。
腹を抉られた彼女は力無く倒れ、ヴィルカートスはその様子を脳裏に焼き付けられた。
血溜まりに倒れる、妻の姿を。
「メイリー!」
ヴィルカートスはすぐさまメイリーの元へ駆け寄った。カインズの母であり、ヴィルカートスの妻であるメイリーは、虚ろな目でヴィルカートスを見た。
「あ……なた……」
震える唇で、掠れた声を発した。
「喋るな。今助ける」
逃げ遅れてしまったのか。他の貴族が逃げ終えたから、メイリーも避難していたのだと思っていた。
ヴィルカートスはメイリーを抱き抱えて持ち上げた。今すぐ病院に連れていけば、一命を取り留めるかもしれない。ヴィルカートスの足の速さを以てすれば、何とか……。
「カインズ……レイティア……ノーラ……愛してる……」
メイリーはそう呟いて、目を閉じた。
メイリーの体から力が無くなり、暖かみが抜けていく感覚。
ヴィルカートスの腕の中で、メイリーは息絶えてしまった。
ヴィルカートスは妻の死体を見て、言葉を失っていた。
愛する妻は、目の前で死んだ。
儚く、呆気なく。
「メイリー……」
傷痕から血が漏れて、止まらない。
「母上!」
血の匂いを感じて、レイティアがヴィルカートスの元へ走って来た。
精気を失った母親を見て、レイティアは口元を手で覆った。
「そんな……母上……」
ポロポロと涙が零れ、その場に崩れ落ちたレイティア。
ヴィルカートスはメイリーの死体を優しく地面に置き、レイティアの目を見た。
「メイリーを運んで離れろ。仇は私が討つ」
ヴィルカートスは立ち上がり、キューを睨んだ。
敵意でも警戒心でも軽蔑でもなく、殺意を持って。
ヴィルカートスは凄まじい速度でキューに近付き、キューの顎にアッパーを打ち込んだ。激しい衝突音が鳴り、キューの目が上空を見る。
止めどない拳の一撃が何度も何度もキューを襲う。岩をも穿つ連続攻撃。
しかし、相手はドラゴンだった。人知を超えた生物だ。いくらヴィルカートスのパンチが重くて強かろうと、ブラッドドラゴンの強靭な皮膚と筋肉には通じなかった。
かつてはカインズの本気の蹴りさえ耐え抜いた防御力。ましてや、今のキューは強化されているのだ。『観察者』の技術によって。
「ギュウン」
キューは鈍く吠え、ヴィルカートスに体当たりした。ヴィルカートスは勢いよく吹き飛ばされ、地面に何度も衝突しながら転がった。
「がっ……!」
呻きながら立ち上がるヴィルカートスと、ダメージを感じさせないキュー。
両者の力量の差は、種族の差を意味していた。
「私は……守らねばならないのだ。当主として、一族を守らねばならないのだ!」
そして、家族も守らないといけなかった。
息子を、娘を、妻を。守ってみせると誓ったはずなのに。
「貴様のようなケダモノに……踏みにじられる訳にはいかないのだ!」
突如現れたドラゴンなんかに、敗北を喫する訳にはいかない。
これ以上、大切なものを奪われたくない。
「貴様は、奪ってはならない命を奪った」
怒りを込めて、殴る。
キューの鼻が歪み、血が滴った。
「私の名はヴィルカートス・ハルバート。ハルバート家の……『元』当主だ。その意味を、その憤怒を、貴様の下劣な魂に刻んでやる」
ヴィルカートスは殴った。殴った。殴った。
縄張りを守る猛獣の長のように。
侵入者を排除するために牙を剥いた。
カインズ、戻ってこい。貴様はハルバート家の当主だろう。一族を守るのが宿命だろう。だから戻ってこい。
血と瓦礫にまみれた喧騒の屋敷で、ヴィルカートスは戦っていた。
直後、ヴィルカートスは炎に包まれた。
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