第83話 「クロムとセン」
お待たせしました。
連載再開です。
8年前……まだクロムが8歳だった頃の話だ。まだクロムは幼く、弱い少女だった。精神的にも、肉体的にも。
クロムは人知れぬ集落で育った。チェルド大陸の端にある、小さな森林の中にある集落だ。竪穴式住居で暮らし、小規模な畑を耕し、川の水を飲んで生活していた。
クロムは親の顔を知らない。両親に捨てられたクロムは、この集落に引き取られ、「クロム」と名付けられて育った。物心ついた頃には、この集落で細々と生活していた。
この集落では名字という文化が無いため、クロムは名字を持たない。何故名字の文化が無いのか、と集落の大人に聞いても「そういう決まりだから」としか返ってこなかった。
両親の顔も、本当の生まれ故郷も、自分の本当のフルネームも、興味は無かった。クロムにとっては、この集落だけが生きる世界だった。
集落には大人が数十人と、子供が二人いた。一人はクロム。そしてもう一人は、センという少年だった。
センもクロムと同じく、孤児だった。集落に拾われ、ずっと生きてきた。
センの髪は右側は白く、左側が黒い。元々は白一色の髪だったが、昔に投与された薬の影響で、半分だけ黒髪になった。
センは痩せていたが、活発的な少年だった。
「クロムちゃん。遊ぼうぜぇ」
クロムが薪を集めている時とかに、センはよく声をかけてきた。大人だらけの集落で、センの遊び相手はクロムだけだった。
「うん、いいよ」
クロムにとっても、遊び相手はセンだけだ。幼い二人は仲良く遊んでいた。
「今日は何する?」
「そうだなぁ……。虫取りでもするか」
クロムは虫が怖くない女の子だった。センとクロムは、森を散歩して虫を集めた。
クロムは滅多に森に行かないが、センはよく森で木の実や虫を集めていた。なので、クロムが森で迷子にならないように、センがクロムをリードする。そして、次々を虫を集めた。革で出来た袋の中で、小さな虫達がうじゃうじゃと動いている。
「いっぱい集まったね」
クロムは満足げに、袋の中を見つめた。
「ああ、大猟だな」
虫は食用にならないので、捕まえた後は逃がす。クロムは袋を逆さにして、虫を地面に落とした。
「楽しかったね。俺、疲れちゃった。帰ろうか」
クロムが自宅に帰ろうと歩き始めても、センはじっと地面を見つめていた。
「……どうしたの? 帰らないの?」
クロムが不思議そうにセンを見る。センは虫を見ながらニヤリと笑った。
「クロムちゃんは先に帰っていいぜ。俺は後で帰る」
クロムは「うん、分かった」と言って、育ての親が待つ竪穴式住居に戻っていった。
センは足元の石を拾って、残酷な眼差しで虫達を睨んだ。
「テメェ等みたいな虫けらも……死ぬのが怖いか?」
ドス、ドスと地面を叩く音。石が激しく上下に動き、何度も地面に突き刺さった。やがて地面に体液の染みが出来た頃に、センは満足げな笑みを浮かべて帰路についた。
ある日、センがクロムに尋ねた。
「なぁ。クロムちゃんって生きてるか?」
「生きてるよ。当たり前だけど」
「そういう意味じゃねぇ。『生きてる』のか、それとも『生命活動をしているだけ』かって聞いてんだよ」
意味が分からなかった。センは時々、物思いにふけて、変なことを話したりする。
「どういうこと?」
「オレが見た感じだと、クロムちゃんは後者だな。生きてねぇ」
「生きてない」なんて言われるのは心外だが、反論しても意味不明な返答が返ってきそうなので、「そうだね」と答えた。
その時、センは何故か悲しそうな目でクロムを見ていた。
「必死に『生きてる』はずの人間が、ここでは『生命活動をしているだけ』だ。毎日を死んだように生きている。オレだってそうだ。だからオレは、生きている実感を得る方法を見つけたんだぜ」
そう言うセンの目は、何だか不気味だった。
この集落に一つの事件が起こった。集落長が飼っていた犬が、何者かに惨殺されたのだ。内臓がはみ出て、眼球が潰され、体中に石が刺さっている。どう見ても人間の仕業だった。
血だまりの上で横たわる犬を見て、人々は驚愕……しなかった。
大人達は犬の死体を見ても、我関せずといった感じで過ぎ去っていった。
集落長でさえも、黙って犬の墓を作った。
クロムは子供心に、強烈な違和感を抱いた。こんな無惨に殺された死体を見て、何も思わないのか。
「ねぇ、セン……」
クロムはセンに同意を求めた。一つ年上とは言え、同年代の友達ならばクロムの気持ちが分かると思ったからだ。
だが、センの回答は思いもよらぬものだった。
「この犬は死ぬ瞬間まで必死だったぜぇ……。もがいて、もがいて、死ぬ気で抵抗した。生きたかったんだろうなぁ……」
何を言っているのか、理解が追い付かなかった。
「この集落の人間は『生きて』いるようには見えないぜ……。意識も無く、覇気も無く、欲も無く、ただ毎日を消費しているだけだ。この犬の方が、よっぽど『生きて』いるぜ」
「セン……。何を言っているの……?」
センは答えずに、その場を去っていった。
次の日も、動物が死んだ。兎、鳥、猫、魚、馬、牛、猪……。ついには巨大な熊までもが切り刻まれて殺された。
集落に死体が増えていっても、誰も関心を持たなかった。センだけは、狂気的な笑みを外さなかった。
クロムの心の中には、次第に恐怖が芽生えていった。
この集落はおかしい。
自分の世界に、初めて疑問を持った。
動物を殺したのはセンで間違いないだろう。動物が死んでいく度、センの体の血にの匂いが濃くなっていた。猪や熊を殺せるなんて恐ろしいことだが、センにとっては容易いことだった。この頃から、センの『殺しの才能』は開花していった。
動物を殺すだけなら、まだいいだろう。だが、ついにセンは一線を越えてしまった。
最初の犠牲者はクロムの育ての親だった。40代の男女が、並んで地面に倒れていた。体中に刺し傷があり、骨と内臓が露出している。
人が死んでも、集落の住人は淡々としていた。まるで道端の石ころを見るような目付きで、二人の死体を見ていた。「何とかしてくれるだろう」なんて言いながら。
クロムは思った。
センが殺したんだ。あいつは人間だって殺すんだ。
いつ自分に殺意の刃が向けられるか分からない。クロムは、この集落から逃げることを決意した。
その日の夜、クロムは誰にも見つからないように家を出た。こっそり森に入り、外へ向かう。この森を抜ければ、町があるはずだ。集落の外に出て、センの魔の手から逃げよう。
「どこに行くのかなぁ? クロムちゃぁぁぁぁぁああああん!」
背後から聞き慣れた声がした。誰かなんて確認するまでもない。
殺意の少年が、クロムの後を追いかけてきた。
「親友に黙って出ていくなんて……寂しいじゃねぇか。別れの挨拶くらいさせてくれよ」
そう言うセンの右手には、ナイフが握られていた。
「やめてっ! 来ないで! 人殺し!」
クロムは足がすくみながらも、必死に駆け出した。暗い森の道を進み、逃げ出した。
「おいおい待てよ!」
センはクロムを追いかける。闇夜に光るナイフを持って。
「まだお前の死に様を見てねぇんだよ! オレに殺させてくれよ! なぁ、友達だろ?」
絶対に殺すという執念を以て、センはクロムを追跡した。
クロムは息を乱しながら、ひたすらに逃げた。
嫌だ、怖い。恐い。死にたくない。
毎日を無気力に生きていれば、それでいいと思っていた。死なんて遠い未来のお話だと思っていた。生きている実感なんて、無かった。
クロムは、生まれて初めて死の恐怖を痛感した。自分の命が理不尽に奪われるのが怖かった。
恐れる……故に生きていた。
「いいねぇ! その表情! 今のクロムちゃんは『生きて』いるよ! 生命活動をしているだけじゃない! 生きたいと望んでいる! だからこそ、オレはテメェを殺したい!」
センは恍惚の表情を浮かべ、目を見開いていた。森に響く狂喜的な叫び声。
殺意の少年は、クロムの近くまで迫っていた。あと少しで手が届く距離だ。
殺される……っ!
クロムが死を感じ取った時、急にセンが体勢を崩した。センは地面に倒れ、短い唸り声をあげた。
「ぐっ……痛ぇ……」
その隙に、クロムはセンとの距離を離した。暗黒の森の中に、消えていくクロム。
「チクショウ……見失っちまったじゃねぇか……」
センはよろよろと立ち上がり、上空に向かって叫んだ。
「オレは諦めねぇぞ! いつか再会した時、絶対にテメェを殺す! 待ってろよ! クロムちゃぁぁあああああん!」
森に叫びが反響する。クロムは足を止めることなく、走り続けた。
そして森を抜け、集落の外で生きていった。
クロムは強くなりたかった。センに殺されない強さを。センを恐れない強さを。
後にクロムはアイズに入団し、ラトニアに住み、自分を鍛えた。
しかし、クロムはセンを忘れたことは無かった。もう二度と会いたくない。あんな殺人鬼と顔を会わせたくない。そう願っていた。
だが、運命は二人を引き合わせた。
動乱の中央都市にて、クロムとセンは再会したのだ。
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