第71話 「負けられない戦い」
屋敷の中庭で対峙する男が二人。
一人はカインズ・ハルバート。次期当主の第一候補で、現当主の息子。
もう一人はヘンリー・ハルバート。次期当主の第三候補で、カインズの親戚。
そして彼らの決闘を陰で見守るのは、同じくカインズの親戚である、イミリ・ハルバート。
「どこからでもかかって来ていいよ」
カインズは真っ直ぐヘンリーを睨みながらも、その目には余裕が宿っていた。
ヘンリーがわざと負けようとしているとも知らずに。
馬鹿め……。お前のその余裕は今日で終わるんだよ!
内心でほくそ笑むヘンリーは地面を蹴り、勢いよく突進した。
カインズに劣るスピードだ。見切るのは容易い。
さぁ! 反撃してみろよ!
ヘンリーは『反撃により大ダメージを受ける自分』を頭に浮かべた。
しかし、ヘンリーの眼前にカインズはいない。
「…………なっ!?」
どこへ行った!? さっきまで目の前に立っていたのに!
「攻撃までのモーションが遅いよ、ヘンリーさん」
カインズはヘンリーの右側に立っていた。ヘンリーが気付かないうちに、横に移動していたのだ。
予想通り、速い。そう、『予想通り』だ。
このスピードならば、間違ってヘンリーの攻撃が当たったりはしない。
『負け』という名の勝利へのビジョンが、より鮮明になっただけだ。
ヘンリーは手刀を繰り出す。ヘンリーの右手はカインズの首を狙ったが、空振り。
カインズは一歩後退して回避していた。
ほら、反撃しろよ!
しかしカインズは攻撃に移らない。
ヘンリーはカインズを蹴ろうとする。ヘンリーの左足はカインズの腰を狙ったが、外れた。カインズは体をずらして避けていた。
俺は隙だらけだぞ! 反撃したらどうだ!
しかしカインズに反撃の気配は無い。
ヘンリーはカインズを殴ろうとする。ヘンリーの右手がカインズの顔面を襲うが、当たらない。カインズは体を反らしてかわしていた。
いいから反撃しろよ! 早く!
しかしカインズは防戦一方。
何度も。何度も。何度も。
何度もヘンリーは攻め続けた。
しかし、カインズは回避行動をとるのみで、ヘンリーに攻撃を加えなかった。
しかも、カインズは笑顔だ。
反撃が出来ないんじゃない。しないんだ。
くそっ、くそっ、くそっ!
何故反撃しない! 攻撃を受けないと、自然に負けることが出来ないじゃないか!
作戦が次の段階に進まない焦りから、ヘンリーの動きはだんだん鈍くなっていく。
息は乱れ、体のバランスは傾き、汗が流れ始める。
こうなってしまえば、格闘技の心得が無い一般人でも、ヘンリーを叩きのめせるだろう。
しかし、それでもカインズは攻撃しない。
汗一つ流していないカインズが、涼やかに言った。
「ヘンリーさんの動きには無駄が多すぎるよ。反撃する気にもなれないね」
この作戦の前提が、崩れた瞬間だった。
ヘンリーとカインズの間には、力の差があった。『負けることすら許されない』程の、圧倒的な実力差が。
決着のつかない勝負に敗者はいない。故に、ヘンリーは『わざと負ける』ことが出来なかった。負けられないのだ。
カインズに悪評をもたらす作戦は、失敗だ。
「俺の計算が……狂っただと……っ!?」
ヘンリーはかつて無い屈辱を味わった。
彼はカインズと同じく、生まれた時から天才と呼ばれた。高い知能と記憶力を持ち、幼くして中央都市の大学で学業を修めた。
革新的な研究を行い、科学の発展に大いに貢献した。
身体能力は大したことは無くても、頭脳の質は他の追随を許さなかった。
その実績と才能により、第三候補に選ばれたのだ。ヘンリーを支持する貴族も多い。
そんなヘンリーが、耐え難い屈辱に敗北した。
中央都市での教育を受けずに田舎で暮らしていたカインズに、手も足も出ずに負けた。『反撃を受ける』という前提条件を覆されながら。
天才の作戦は、失敗した。
「もう! 何やってんの! 意味分かんない!」
隠れていたはずのイミリが、中庭に飛び出して来た。
「アタシもやるから! 覚悟しなさい、カインズ!」
馬鹿が! でしゃばるな!
ヘンリーは心の中でイミリを罵倒し、イミリを睨んだ。
「二対一? いいよ」
カインズはイミリとヘンリーの両方に注意を向けながら、構えをとった。
「もういい。決闘は終わり。俺の負けだ」
ヘンリーは両手を上げ、降参のポーズをした。
どうせ攻撃を与える気は無いんだろ。
そう判断したからだ。
イミリはヘンリーを睨んで言った。
「何でよ! 意味分かんない!」
「黙れ。作戦は失敗だ。これ以上俺の顔に泥を塗るな」
イミリのような箱入り娘が参入したところで、状況は変わらない。イミリはヘンリーよりも弱い。この圧倒的実力差は埋まらないだろう。
作戦が失敗した以上、カインズが失脚するように画策したことをバレないようにしなければならない。
二人がかりでカインズと決闘したとなれば、ヘンリー達に疑いの目が向くかもしれない。
「行くぞ、イミリ」
後はホルクの方が上手くいくのを期待するしかない。ユリーナが泥棒と勘違いされれば、今回の失敗を気にしなくても済む。
「決闘を受けてくれて感謝するぞ。カインズ」
ヘンリーはイミリを連れてその場を去ろうとした。
「待て、貴様等」
ヘンリーの行く先に、あの男が立っていた。
ハルバート家の現当主にして、カインズの父親である男。
「ヴィルカートス……さん……っ!」
ヴィルカートスは血塗れのホルクを掴んでいた。ホルクの顔は膨れ上がり、内出血で肌がくすんでいる。口元から血が滴り、服を赤く染めていた。
ヴィルカートスは、ダラリと力が抜けているホルクを、中庭の花畑の上に投げ捨てた。
ドサッ、と重々しい音がする。
「話は全てホルクから聞き出した。あれ程までに口が軽いと、拷問のしがいが無かったがな」
ヴィルカートスはヘンリーとイミリを強く睨み、大地を揺らすような怒声を発した。
「上昇志向は結構なことだが……貴様等のやったことはハルバート家を愚弄する行為! 断じて許されないことだ! 卑怯な手段で当主になろうなど……恥を知れ!」
ヴィルカートスは屋敷の壁を思いっきり叩いた。激しい破壊音と共に、壁に大きな穴が空く。
ヘンリーとイミリは蛇に睨まれた蛙のように動かなくなっていた。
「貴様等の処分は追って下す。それまでに己の咎を噛み締めておけ」
そう言ってヴィルカートスはその場を去った。
「うっ……ううううっ……」
イミリは泣きながら地面に膝をついた。
「ヘンリーを当主にしたかっただけなのに……何でアタシが怒られなきゃいけないのよ……い、意味分かんない…………うえええええええん! 怖かったよおおおお!」
ヘンリーは深いため息を吐き、空を見上げた。
「因果応報、か。俺が間違っていた」
ヘンリーはカインズの方を見て、頭を下げた。
「すまない、カインズ。嫉妬と焦りが生んだ過ちだ。主犯の俺は許さなくてもいいが、イミリとホルクは許してやってくれ。あいつらは俺に協力しただけなんだ」
一方カインズは、周りをキョロキョロしながら顔を傾げた。
「えっと……。これは一体どういうこと?」
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