第68話 「ユリーナは迷わずに絶望に迷った」
研究所からの帰り道、ユリーナがぽつりと呟いた。
「ここ、さっき通った所ですね」
そうなのか?
周りの風景を見渡してみたが、同じような形状のビルが建ち並ぶばかりで、既に通ったかどうかは分からない。
というより、中央都市の風景はどこも変わらないように思える。人と、ロボットと、ビルがあるのみだ。カインズの案内が無ければ迷子になるかもしれない。
カインズもビル群を見渡し、頭を傾けた。
「そうだっけ。よく分からないや」
不安になるようなこと言わないでくれ。お前が迷子になったら俺達はこの異世界に置いてけぼりにされるんだぞ。
「中央都市の道は複雑に交差してるからね。『マインド』が無いと迷子になるかも」
しっかりしろカインズ。お前の地元だろうが。
「任せて下さい! お屋敷までのルートは全部覚えてますから!」
ユリーナは自分の胸をドンと叩いた。
「ユリーナ、本当か?」
別にユリーナを疑っている訳では無いが、この入り組んだ街で帰り道を把握しているとは驚きだ。しかも、ユリーナは中央都市に初めて来たはずなのに。
「本当ですよ。私の育った山に比べたら、この街なんて迷路にもなりませんよ」
山で育ったユリーナは、地形把握能力に長けているということか。
「こっちです」
ユリーナが指示する方向に向かうと、王宮が見えた。確かに、ここはさっき通った場所だ。
ユリーナの後をついて行き、俺達はハルバート家の屋敷に辿り着いた。
「ほら、戻って来ましたよ!」
ユリーナは自慢気に俺を見つめた。
「ありがとう、ユリーナ」
意外な長所があるものだな、と思い知らされた。
時刻は既に夕方になっていた。
「とりあえず、この部屋を使って下さい」
客人用の寝室だという。ディナーが始まるまでやや時間が空いているので、俺達はこの部屋で待機することになった。一人一部屋で、シャワー室やトイレも完備してある。しかも、そこそこ広かった。
「何か困ったことが会ったら、メイドに聞いて下さい」
カインズが部屋に入ろうとすると、礼服姿の男性が止めた。短い茶髪から若々しい印象を受ける。この人も貴族なのだろうか。
「カインズ。少し頼みがある。来てくれないか。一人で」
カインズは一瞬怪訝そうな顔をしながらも「いいよ、ヘンリーさん」と言って、男と一緒にどこかへ行ってしまった。
「クロムさぁん……。一人で寂しいなら一緒に寝てあげてもいいですよ……」
ユリーナが流し目を使いながら俺に寄り添ってきた。
「ディナーまでもうすぐだ。一人で待機していろ」
俺はユリーナから離れ、自分に用意された部屋へと入り込んだ。
* * *
「ディナーまでもうすぐだ。一人で待機していろ」
そう言ってクロムさんは部屋に逃げてしまいました。
うーん……。つれないなぁ。
私がどんなにアピールしても、クロムさんはなかなか私に靡いてくれない。
私はもっとクロムさんとイチャイチャしたいのにー!
一人でベッドに倒れこんでも、静かで退屈で面白くない。
用意された部屋はとても綺麗で、ベッドもふかふかで温かいけど、私の心は冷え込んだままだ。
「クロムさんにもっと近付きたい……」
今日は帰りに褒めてもらえたし、それでいっか。
カタン、と小さな音がした。
「何だろー」と思って音の方向を向いたら、ドアの手紙入れから手紙が落ちたようだった。誰かが私に手紙を……?
急いで中身を確認すると……やったぁ! クロムさんからだ!
「クロムさんったら恥ずかしがっちゃって! 私に言いたいことがあるなら直接言えばいいのに!」
早々に部屋に潜ったのは照れ隠しだったんですね! そんなクロムさんも可愛いです!
『ユリーナ。部屋を出た先の曲がり角を右に行って、真っ直ぐ進んだ所にある、黒い扉の部屋に行ってくれ。そこにカインズの大事なものがあるから、探してくれないか。クロムより』
手紙の内容は、クロムさんからのお願いだった。
クロムさんが私に頼むってことは、私を信頼してるってことですよね! いいですとも! 貴女のユリーナにお任せ下さい!
でも、クロムさんの筆跡ってこんなんでしたっけ?
……まぁ、いっか。
私は躊躇わずに部屋を出て、指示された場所に向かった。
「黒い扉の部屋……あ、ここだ」
私が辿り着いた扉は、荘厳で恐ろしい彫刻が施された大きな扉だった。きっとこの部屋の持ち主は厳しくて怖い人に違いない。
勝手に入っていいのかな? でもクロムさんが行けって言ったんだし、大丈夫でしょう。
「失礼しまーす……」
扉をゆっくり開くと、室内には誰もいなかった。机と椅子と本とタンスがあるだけの、殺風景な部屋だった。仕事部屋って感じ。
カインズさんの大事なものがあるのは、多分タンスの中だよね。
よし、そうと決まればレッツ物色!
私はタンスを開け、中身をガサゴソと探った。
「うーん、どれだろう」
見つからないなぁ。って言うか、そもそも『カインズさんの大事なもの』って具体的には何? クロムがそこを指示し忘れるなんて、そんなことあり得るんだろうか……。
「貴様……そこで何をしている!」
体を揺さぶるような怒声に振り向くと、そこには怒った顔の男が立っていた。
確か、ヴィルカートスとかいう人だ。カインズさんのお父さん。
ヴィルカートスさんはゴミを見るような目で私を睨み、眉間にシワを寄せていた。
床にしゃがむ私を見下し、目力で私を貫いていた。
「あ……あの……えっと……」
ここでとんでもないことに気が付いた。
端から見れば私、泥棒じゃん!
「答えろ。私の仕事部屋で一体何をしているのかと聞いている」
ヴィルカートスさんは目付きを変えないまま、一歩前に踏み出した。
「誤解です!」と言おうとしても、恐怖で体が動かない。
ど、どうしよう私。このままじゃ泥棒の濡れ衣を着せられて捕まっちゃう! いや、殺されるかも!
無断で物を拝借しようとしたから泥棒かもしれないけど、今はそんなこと考えてる場合じゃないよ!
「あっ……あああっ……」
喘ぎ声のような音を口から発し、私はその場に固まっていた。恐怖と緊張が一気に高ぶり、下腹部の締まりが緩くなる。
為す術も無く、私の下半身からうす黄色の液体が溢れ出した。私の足元に恥ずかしい水溜まりが広がっていく。
もう、駄目だ……。ごめんなさい、クロムさん。私は終わりです。
「この愚民め……」
ヴィルカートスさんの手が、ゆっくりと私に近付いていくのが見えた。
* * *




