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絶え損ないの人類共  作者: くまけん
第一章 チェルド大陸編
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第34話 「レイティア・ハルバート」

 カインズとレイティアは立ち上がり、お互いを見つめていた。見つめ合う美男美女兄妹。絵になるな。

「兄上。お屋敷に帰りましょう。父上や母上も心配なさってます」

「ボクは帰る気は無いよ。ここでの生活を手放したくない」

「間もなく即位式が迫っている……と言ってもですか」

 レイティアの言葉を聞いたカインズが、凍りついたように止まった。驚いているような、困っているような、そんな表情をしていた。

「もう、そんな時期なんだね」

「ハルバート家の次期当主になり得るのは、兄上しかいません! カインズ・ハルバートとして、正当なご決断を」

 カインズは悔しそうに顔をしかめていた。

 話が見えない。

「すまないが、俺に説明してもらっていいか?」

 レイティアは俺の顔を見ると、怪訝な顔をした。

「兄上。こちらの方は?」

「ボクの上司のクロム隊長だ」

 カインズの説明を聞いて、レイティアは驚きを露にした。そしてすぐさま、俺に頭を下げた。

「そうでしたか。兄がお世話になっています」

 レイティアの仕草はなめらかで美しく、平民とは違う貴族の雰囲気が滲み出ていた。

「ところで、『上司』とはどういうことでしょうか」

 レイティアは顔を上げ、俺の目を見つめた。少し、不愉快そうな感じだった。

「そうだね……。じゃあ、可愛い妹に近況報告をしようか」


 カインズは家出してから今に至るまでの出来事をかいつまんで説明した。5年前に中央都市を出たこと。その後近辺をさまよっていたら、ラトニアのサーカス団に拾われたこと。アイズに入団したこと。数々の任務をこなしてきたこと。

 レイティアはカインズの話を、頷きながら聞いていた。

「では、兄上はこき使われたということですね」

 そう言うレイティアは、やっぱり不機嫌そうだ。

「兄上は人の下で働くような人間ではないと思います」

 自慢のお兄さんがどこの馬の骨とも知れない奴の部下なのが、気に食わないようだ。中央都市の上級貴族を従えるなんて、確かに恐れ多いことだが。

「ボクなんて人の上に立つ器じゃないよ。それに、クロム隊長の方がボクより強いしね」

 それを聞いたレイティアの顔は、あり得ない現象を見たかのように驚いていた。この世の常識を否定されたらこんな顔をするんだろうか……という程の驚きようだった。

「兄上、過度なご謙遜はお止め下さい。クロムさんに失礼ですよ」

「謙遜じゃないってば」

 カインズは後頭部をポリポリと指で掻いた。

 レイティアは俺の体を頭から足まで観察して、結論を出した。

「そんなに強そうには見えませんが」

 お前の方が失礼な発言しているぞ。しかも、直球なタイプ。

「レイティアの話も聞きたいな。その制服、衛生団のものだよね」

 カインズはレイティアの服装を見た。

 そうか、思い出した。これは、衛生団の制服だったか。

 衛生団(正式名称『国際医療・衛生機関』)は、世界中の衛生管理や医療補助を行っている国際機関だ。不衛生な場所を掃除したり、衛生教育を行ったりしている。白色が目立つ制服が特徴だ。国家公務員に近い存在である。給料の出る、立派な職業だ。レイティアは衛生団として、このビーチのゴミ拾いをしていたのか。

「はい! 去年から衛生団で働き始めました。社会経験を積ませるべきだという、家の意向ですね」

「ある意味天職だけど……。大丈夫? つらくない?」

「問題ありません。兄上の妹である私が、この程度で弱音を吐く訳にはいきませんから」

 立派な妹さんじゃないか。しかし、何故『天職』なのか。

「レイティアは嗅覚が優れてるんですよ。ゴミの臭いも察知できますし、汚れた場所の発見も早いです」

 俺の思考を読み取ったように、カインズ説明した。なるほど。確かに衛生団にぴったりな能力だ。ハルバート家の嗅覚となれば、凡人のそれとは桁違いだろう。カインズに飛び付く前、レイティアは鼻をピクピクと動かしていた。あれは兄の匂いを嗅いでいたのか。優秀な嗅覚は行方不明の兄探しにも役立つという訳だ。

 しかし、レイティアは兄を探しにここに来たのか? それともゴミ拾いのために来たのか? 疑問だ。

 優れた嗅覚故に、苦労も多そうだな。普通の人では気付かない悪臭に気付き、強烈な臭いを食らうことになるのだから。だからこそ、カインズは「つらくない?」と尋ねたのだろう。

「そうそう。クロム隊長に説明するんでしたね。簡単に言いますとですね。チェルダード国王の即位式とほぼ同時期に、ハルバート家の次期当主を決めるんですよ。その場には、ボクも居合わせないといけません」

「兄上は次期当主の第一候補ですから」

 レイティアが自慢気に追加説明した。

「まだ帰りたくはないのですが……。一族の責任を放棄することも出来ません」

 カインズは寂しそうにうつむいた。


「何だ何だ?」

 エリックが俺たちの様子を窺いに来た。ファティオも一緒だ。

「わー! すっごくかわいい子がいるー」

 海から上がったユリーナが、ミミと共にやって来た。ロマノ以外全員集合した形だ。

「ユリーナ。ロマノはどこ行った?」

「ロマノ団長なら街の方に行きましたよ。食べ物買ってくるそうです」

 食べ物なら、すぐそこの海の家でも売っているだろうが。しかも、あいつ水着のままで街に繰り出したのか。俺たちの団長は少し抜けているところがあるな。

「……何の話をしていたんですか?」

 ミミが不思議そうに聞いた。

「ああ、実はな……」

 俺が説明しようとすると、海の家から怒号が聞こえてきた。

「困るよお客さん!」

 見ると、海の家から男が一人出てくるところだった。海の家の店主が、その後を追いかけている。

「料金払ってくれないと! こっちも商売なんだから!」

 店主の男は、怒り心頭に発していた。

 食い逃げか。それにしては男の様子は落ち着いているな。慌てて逃げ出すような様子はない。

 男は黒いスーツを華麗に着こなした、ダンディーな中年だった。40代から50代に見える。長身でがっしりとした体型で、多くの女性のモテそうなタイプだ。適度な長さの髭を蓄えていて、眉目秀麗である。綺麗な黒髪も、また男らしさを醸し出している。

 しかし、大層な外面の内部に潜む、どす黒くて醜い何かがハッキリと感じられた。見た目の雰囲気とは裏腹な、おぞましい本性が顔を出していた。

 コイツは危険だ。目の前の男の恐怖を本能的に理解した時、既に事態は進行していた。

「黙れ」

 男はそう吐き捨てて、店主の顔面に裏拳を当てた。店主がよろめき、砂の上に倒れる。

 そして男は、腰に差してある大きな刀を、5センチメートル程抜いた。


 空気が震撼したように感じたのは、気のせいじゃないはずだ。


 鼻の奥に、針を刺されたような刺激が走る。初めて体感する猛烈な刺激臭が、脳に危険信号を送っていた。

 店主は目を見開きながら、一目散に逃げ出した。すぐそこに迫る狂気から避難するように。

「うっ……あああっ!」

 レイティアが苦痛の表情を浮かべながら、ゆっくりとその場に倒れた。辺りに立ち込める臭いに、耐えきれなかったのだろう。嗅覚がいいのなら、この悪臭も何倍もの強さになって襲ったはずだ。

 レイティアは動かない。気絶したのか?

「レイティア!」

 カインズが素早くレイティアに駆け寄った。


「今日は客人が多いようだな」

 男が刀を鞘に戻して、呟いた。

「良い顔が見れそうではないか」

 低く、強く、そして恐ろしい声だった。

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