第14話 「クロムさんを襲いたい」
朝が来た。
俺はベッドから起き上がり、キッチンに向かう。このアジトの管理人である俺は、料理や掃除などの家事が主な仕事だ。俺は朝食を手早く作り、ユリーナを起こしに行った。
「起きろユリーナ。朝だ」
「ふにゃぁ……。おはよいございますぅ……」
ユリーナはまだ寝ぼけてるようで、呂律が回っていない。
ユリーナが寝ぼけ眼でダイニングルームにたどり着き、俺と2人で朝食を摂った。
「んん-っ! クロムさんの淹れたコーヒー、美味しいです! すっかり目が覚めました!」
「そうか、よかったな」
俺の淹れたインスタントコーヒーのおかげで、ユリーナの眠気は吹っ飛んだようだ。
朝食は終了。俺とユリーナは訓練場に集まり、向かい合って立った。さて、今日の本題に入ろう。
「アイズの本部にお前の情報を送った。数日後には入隊書が届いて、正式に隊員になれる。そこで、だ。お前には護身術の特訓をしてもらう。アイズの仕事において、必要不可欠だからな」
「はい! 手取り足取り教えていただきます! まずは何をするべきでしょうか!」
「そうだな……。じゃあ、今日一日、隙あらば俺に襲いかかれ。俺に一撃でも食らわせたら、合格だ」
「え!? いいんですか!?」
ユリーナは顔をニヤけさせながら俺の胸に向かって突進。俺はユリーナの頭を人差し指で受け止め、ツンと押し出した。ユリーナの体が後ろへ傾き、尻餅をつく。
「痛たた……」
「隙あらば、って言っただろ? 闇雲に襲ったって意味はない。隙の突き方と、奇襲の対策を学んでもらうぞ」
俺は笑った。恐らく、意地悪そうに。
* * *
私は千載一遇のチャンスを目の当たりにしている。
クロムさんに襲いかかって、あんなことやこんなことをするチャンスを!
でも、私じゃ、クロムさんみたいな強い人には指一本触れられない。訓練場を出てからも、何度も何度もクロムさん(の胸)に飛び込んだけど、その度にかわされたり受け流されたりする。これが奇襲の対策なんだろうか。
ああ、それにしてもクロムさんの動きはカッコいいなあ。受け流すにしても、かわすにしても、優雅で無駄が無くて美しい。動きに合わせて靡く黒い長髪も綺麗だ。このままクロムさんにかわされ続けるのも悪くない。でも、それじゃあクロムさんは私を認めてくれない。
いいとこ、見せなくちゃ。
今はクロムさんと畑仕事をしている。アジトでの食生活は原則、自給自足。働かざる者食うべからずだ。畑でクロムさんに飛びかかったら、畑に被害が及びそうなので、やめておいた。そもそもクロムさんに隙が無い。
アジトを取り囲むように存在する、これらの畑の所有者は、ミミさんという人だ。
ミミさんはクロム隊のメンバーで、クロムさんの後輩にあたるらしい。
ミミさんは私やクロムさんに畑仕事を教えている。
「その種はここに蒔いて下さい。……あ、その種は違います」
ミミさんは、茶色のポニーテールが可愛い、小さな女の子だ。15才だって聞いたけど、年の割りにしっかりしてるなあ。こんな広い畑の所有者だなんて凄いことだよ。
そういえば、まだフルネームを聞いてないなあ。
「ねえ、ミミさん。ミミさんの名字って何て言うの?」
「……っ! 言いたくありません……!」
ミミさんはそっぽを向いて、どこかへ行った。ただ聞いただけなのに、強く拒まれてしまった。
うーん。まだ仲良くはできないか。
畑仕事が終わって、次は洗濯だ。
洗濯物を洗濯機に投げ込んだ。これはエリックさんの発明品で、洗濯と乾燥をボタン一つでやってくれる便利製品らしい。今まで手作業で洗濯してきた私にとっては、驚きの一品だ。楽々すぎる。エリックさんの工場ではこんな凄い商品ばかり作ってるのかな。
と思ったら、違うらしい。エリックさんの工場の主な仕事は、ネジなどの、機械の部品制作で、大きな機械を作ることは無いのだとか。つまり、この洗濯機はエリックさんが趣味で作った物だ。手作りだ。わーお。
忙しく稼働する洗濯機を見つめていると、カインズさんがアジトにやってきた。
「クロム隊長ー。今日は任務はありますか?」
カインズさんはクロムさんを探しているようだ。クロムさんがカインズさんの元にやってきた。
「いや、今日は任務は無い。本業に励め」
「了解です、隊長」
そう言ってカインズさんは鞄を持って玄関に向かった。本業って何だろう。貴族のお仕事かな? 何をするんだろう。
「カインズさん。何しに行くんですか?」
「ああ。バイトだよ。ボク、サーカスでピエロやってるんだ」
バイト!? ピエロ!?
「えっ? カインズさんって貴族なんですよね? お金持ちなんですよね? 何でバイトを?」
「貴族と言っても、ボクは5年前に家出した身だからね。親からお小遣いは貰えないさ。だから社会経験の意味も込めて、バイトで生活費を稼いでるんだよ」
5年前から家出!?
「親御さんは心配しないんですか?」
「うん、してるよ。だから血眼になってボクを探してる」
帰った方がいいんじゃ……。
いや、きっと私には分からないような都合があるに違いない。関わらない方がいいかな。
「ピエロはボクにとっては天職だよ。ボクは小細工無しで大ジャンプや猛ダッシュができるからね」
カインズさんは楽しそうに語った。
「おっと、急がなきゃ。それでは、失礼します!」
カインズさんは物凄いスピードで走っていった。
「ピー! ピー!」という音がして、洗濯機が動きを止めた。洗濯と乾燥が完了したのだ。私は洗濯物を取り出して、あることに気づく。
「あっ! クロムさんの下着の匂い嗅ぐの忘れてたぁ!」
私の手には、綺麗に洗濯され、匂いの無くなった、クロムさんの下着があった。
その後も家事と訓練は続いた。だが結局一度もクロムさんに飛び付けないまま、夜になった。ミミさんは帰宅し、アジトには私とクロムさんのみが残った。
そして今、クロムさんは自室のベッドでグッスリ寝ている。
私はクロムさんの部屋のドアをゆっくり開き、中に侵入した。流石のクロムさんでも、睡眠中は無防備のはず。日付が変わる前に、クロムさんにアタックするのだ。
名付けて! 夜這い大作戦!
私はクロムさんにのそのそと近づいた。
そしてクロムさんの顔に私の顔を近づけ……。
目が合った。
「え?」
気づいたときには遅かった。クロムさんは突然に起き上がり、私をベッドに投げ飛ばした。
甘かった。クロムさんは寝てる時でさえ警戒を怠らないのだと知った。
凄すぎる。強すぎる。格好よすぎる。
「いいアイデアだが……詰めが甘いな、ユリーナ」
私はクロムさんのベッドに顔をうずめて、ピクリとも動かなかった。
静寂が、訪れる。
「お、おい……ユリーナ。大丈夫か?」
クロムさんが心配して声をかけてくれた。大丈夫ですよ。何ともありません。ただ、幸せに包まれているだけです。
「ふわあああああ!! このベッド、クロムさんの匂いがっ……クロムさんの匂いがするううううううううう!!」
私はベッドで体をくねらせた。
部屋から追い出された。
* * *




