後日談。結婚の前祝い
レオ×レンティシアの姉弟の会話
シュトレリッツ王国を震撼させたあの日から、三か月がたった日。
ヴェントス領の、西の町、つまり、炎の一夜の舞台となった場所で、二人の姉弟が再会を果たしていた。
道行く人が二人を見ては、何かしらの声をかけていく。
トレリでは珍しい黒髪と、そのたぐいまれなる美貌を持ち合わせている女性と男性が一緒にいれば、それが誰であるか、簡単に認識できるのだ。
「久しぶりね。あの日以来かな」
レンティは、弟レオに向かって話しかける。
「そうだな。姉さんは、仕事、大丈夫なのか?」
レオは、あの日以降、姉と呼ぶことに決めたらしい。ずっと呼び捨てにされてきたので、なんだか少し恥ずかしいが、嬉しくもあるため、レンティはそのままにしていた。
「そうね……ミオ・ヴェントスって呼ぶ方も呼ばれる方も混乱して、大変よ」
あの日、トレリの主要人物を一気に集め、ルミエハ家の爵位剥奪と、ルフレ・レンティシア・ルミエハの戸籍を抹消し、代わりにミオ・レンティシア・ヴェントスという戸籍を作ることが決定した。
ルミエハの完全崩壊を望んだレンティの要望に応え、ルフレ・ルミエハの存在をなかったことにすることに決めたようだったが、それに対応して、軍の登録票などもすべて書き直しが決まり、一時大混乱に陥った。
昨日までルフレ隊長と呼んでいた人間を、次の日からは、ミオ隊長と呼ばなければならない。
呼ばれる方も、ミオなど呼ばれたことのない名のため、どうしても反応が鈍くなる。
「ルフレ・レンティシア・ルミエハの存在は消えた。姉さんのもくろんだ、ルミエハ完全崩壊ってのは、成功しているわけか」
「そうね……。でも、問題は山積みよ。ルミエハ公爵家は、オブスキィトと同じく、王家と同等ぐらいに法律で優遇されてる面があるから、そう簡単に処刑したりはできないし」
多くの命を奪ってきた二人の処罰がどうなろうと、なんら心が動くことはないだろうと思っていたのに、いざ、二人の処刑という罰が決定することになりそうであると、レンティの心は波だった。
どれだけ愛されていなかったとしても、そばにいるというのは、やはりそれなりに情を移す対象となってしまうものなのだろうか。
「……暗い話はここまでにしよう。今日来たのは、何かもっと別の用があるんだと思ってたけど」
レオに言われて、ルフレはようやくここに来た理由を思い出す。
「これ……あなたたちの結婚の前祝いに」
レンティが取り出したのは、二通の手紙。
レンティは、レオを見て、そうして、優雅に微笑んだ。
レオはそれを受け取って、そしてその宛名を見て、ふっと微笑んだ。
「さすがだな。リエーソン伯爵はともかく、まさかシュバル・リエーソン殿までしっかりと捕まえてくるなんて」
一通は、現リエーソン伯爵、つまり、シェリア・ヴェントスの弟からである。そして、もう一通は、失踪したといわれていたシュバル・リエーソン、つまりシェリアの父からであった。
叔父と祖父からの手紙を、迷いなく開け、そうして、その内容に驚く。
「結婚式……出てくれるのか」
そこには、結婚式に出席する意思があるから、そちら側が望むのならば、招待状をくれというもの。
そして叔父も祖父も、どちらともが、シェリアとレンの代わりに、保護者として出席し、式の手配や、金銭的な負担を受け持つことが書かれていた。
実は、結婚式に関しては、レオの頭を悩ませていた要因の一つだった。
レオが爵位を継ぐと決めたため、レオとファリーナは早々に結婚することになったのだが、商人の娘と宿屋の息子が結婚するのとはわけが違う。
ヴェントス家当主が、結婚するという形になるため、どうしても式はそれなりの規模のものをあげる必要があった。
レオはこれからヴェントス家を立ちなおしていこうと思っているが、それを賛同してくれるのは、基本的にオブスキィト派だけである。
ルミエハ家が没落したからといって、ルミエハ派であった家が、即座にオブスキィト家を支持するわけではない。
もちろん、オブスキィト側に寝返る家も多くあったが、いまだにルミエハ派として、オブスキィトに対抗する勢力はある。
いままでであれば、ルフレ・ルミエハという抑制剤もあったが、今もなおルミエハ派を掲げる家にとって、ルフレ・ルミエハは、もはや尊敬の対象ではなく、血を裏切る悪人である。
実際には、ミオ・ヴェントスであるため、そもそもルミエハ派ではなかったのだが、ルミエハ派としては、長く次期後継者だといわれてきたルフレが、ルミエハ家をつぶそうとしたことを、そう簡単に受け入れられるはずがない。
ルミエハが没落したことで、トレリはゆるやかにその二極対立を崩していくのだろうが、それでも、それが崩壊することによって、また違う争いを生むことはあり得る。
その時に、できれば、ヴェントス家はあまりオブスキィト家によりかかっていたくなかった。
レンとシェリアが築いたヴェントス家の信頼を、レオはどうしても維持し、あるいは、それ以上にして、そうすることで、姉であるレンティシアを、だれにも文句を言わせずに、オブスキィト家に嫁がせたかった。
しかしそうなると、結婚式を、あまりオブスキィト家に支援してもらうのは、まずい。
だからといって、貴族としての暮らしをしてこなかったレオに、何の支援もなく、すべての準備を整えられる自信もなかったのだ。
「言ったでしょう? 結婚の前祝いだって」
レオの心の中の葛藤を見抜いたのか、レンティシアは優しくそういって微笑んだ。
きっと彼女は分かっていたのだ。レオがオブスキィト家に必要以上に世話になりたくないと思っていることを。
「リエーソンは身内よ。いっぱい甘えればいいわ」
「……そう、だな。できれば直接頼みたいんだけど、これって伯爵家に行けば?」
「日程を伝えてくれれば、私が向こうとかけあって、おじい様も一緒にその場にいてもらえるように手配しとくわ」
レンティシアはやはり姉だった。
そしてレオはやはり頼ってしまう。
しかし彼女は今、何を頼りに生きているのだろうか。
自分を育てたアンナを失い、自ら崩壊させたとはいえ、自分の育ってきた家を失い、彼女に残されたものは、いったい何なのだろう。
「ごめん」
だからこそ、漏れてきたのは、感謝ではなくて、謝罪の言葉だった。
そんなレオに、レンティシアは、やはりというべきか、意味がわからないというような表情をしてこちらを見た。
まっすぐにレオを見つめるその視線は、母であるティナと同じ。
しかしながら、ティナは自分も人も幸せになるように考えているように見えたが、レンティシアは、少し他人本位でありすぎるきらいがある。
「頼ってばっかりで。俺は……何もしてやれないのに」
深い緑色の瞳が、輝いたような気がした。
優しく愛を見せるその瞳は、ティナと同じ。
「今まで姉として何もしてこなかったから、いいの。このくらいで、ちょうどよいのよ」
「でも――」
「――合わせる顔なんて、ないと思ってたわ」
「え?」
ふいと視線をそらして、レンティシアは本音を吐露する。
「いまさら、姉だなんて、どうして言えたと思う? 私はあなたに何もしていないのに。私はね、望めばなんだって手に入れられる立場だったわ。働く必要すらないくらい、私は恵まれていた。ルミエハの後継者というのはね、王女とおなじくらい、下手したら、それ以上に、恵まれた存在なのよ。物質的には、だけど。父親がいないあなたは、苦労したでしょう? 学校に通うのだって、あなたは国の奨学金をもらっていたと聞いたわ。私なんて、何をするにも、お金なんて気にしたことはなかったわ」
それまで、つながらなかった糸が、つながった気がした。
きっとそうだったのだ。
彼女には負い目があった。
それは、自分だけが恵まれた環境で育ったこと。
そして、レオにも同じ負い目があった。
レオは、自分こそ恵まれて育ったと思っていた。
二人は決して本音を打ち明けなかったが、だからこそ、姉弟というには、二人の距離はどこか、相手を気遣いすぎる関係なのだ。
「物質的な面ではそうかもしれない。でも、俺は同じ風に思ってた。俺は恵まれてたよ。父さんはいなくても、母さんは、ティナはいたんだ。クロエもいたし。俺は恵まれてた。人に恵まれて、愛を受けて育った。姉さんに注がれるはずだった愛情も、全部、俺が引き受けてたんだ」
レンティシアは、わからないといった表情を見せた。
俺の懸念が通じていない。それは、きっと、彼女が本当に一度もそんな風に思ったことがなかったからだ。
そうして、きっと、レンティシアはそういう人間だから、自分ごとルミエハを崩壊させようと思ったのだろう。
むしろ恨まれていたのは自分の方だろうと思ったレオの懸念を、全く理解しない彼女は、それほどまでに無垢だった。
ルミエハの後継者として、自分に寄せられるさまざまな悪意を抱いていた彼女だったが、きっと、彼女は羨望や嫉妬から、人に負の感情を抱くことはないのだ。
彼女が負の感情を抱くのは、いつだって大切な誰かを傷つけられた時だけ。
「お互い様ってことだよ」
そういって笑えば、戸惑ったように、それでも、うん、とレンティシアはうなずいた。
「ありがとう」
今度こそ、さきほど口にできなかった礼を言う。
美しく整った顔が、くしゃっとゆがめられて、それは、レオの心を幸せで満たしたのだった。