エピローグ ブラックスワン
翌日。
波川市民病院6階の個室病室で、僕はベッドに横たわっていた。
肩腱板断裂。鬼札夜道に肩を掴まれたのが原因で、僕は全治二ヶ月の大怪我を負った。あんな化物を相手にしておいてコレで済んだのは奇跡だろう。負傷時にアドレナリン全開で痛覚が鈍っていたのも幸いだった。夜毎と屋上少女の切った張ったで気を張っていなければ、夜道に掴まれた瞬間気絶していたかもしれないのだから。
外転装具に違和感を覚えつつ、なるべく肩を動かさないよう、ちょろちょろ指先でスマホをいじっていると、ドアがノックされた。
「や、泡沫くん」
返答を聞かずに病室に入ってきたのは、すらりと背の高いシゴデキ風の女性だった。
「元気してる?」
「元気してないです」
「そっかよかったね!!」
「こんな警察が許されていいのか。この国、おしまいかもしれない」
「ははは、ごめんごめん。なんとなく、キミにペースは握らせたくない気分だったんだ。私がペースメーカー! どっくんどくんどくどくどっくんちょ! やっべ、不静脈!」
登場して早々、ウザさが留まることを知らない。
まあ、様子を見に来てくれたのは本当らしい。とりあえず座るよう促すと、雑破刑事はニコニコしながら、どかっと丸椅子に腰かけた。
「私が来たのは、顛末を話すためだよ。まず私がした『根本治療』について解説しておこう。私が鬼札夜道に投擲したダーツ、あれは笹針みたいなものだ」
「ささばり?」
「キミ競馬は……、あ、そもそも年齢的にやっちゃダメだった。えーと、笹針というのは、かつて競走馬に用いられていた治療法の一種だよ。笹の形をした針を血液循環が悪い部分に突き刺して、老廃物の溜まった血を抜く。そうして新陳代謝を高め、回復を早めるものだ。今回は、鬼札夜道の心臓を刺して、派手に失血させる。そのプロセスが必要だった」
ふむ。回復とか言う割に、鬼札夜道は出血多量で瀕死になっていた。そこまでするべきだったのか。
「そこまでしなきゃ駄目だったんだ。吸血鬼は血肉が凝縮した存在だ。大量に失血しないと、本当の危機には陥らない」
夜毎のことを思い出す。あの子は一週間ほど絶食していたが、確かに行き倒れるほどの危機には陥っていなかった。
腹を満たす──血肉を得る──にしても吸血ではなく、お金を盗んで再びレストランへ、あるいはコンビニ飯でも買うつもりだったかもしれないが。人間と融和しようとした夜毎だからこそ、吸血行為は避けたのだろう。
噛まれなくて良かった。僕は夜毎のノブレス・オブリージュに感謝する。
「大量に血液を失えば、何としてでも血液を得る必要があるわけだけれど、吸血鬼は普通、辺りの人間を喰らって即座に補充を試みる。しかし、今回はできなかった。銀の矢で射抜かれて、身動きが取れなくなっていたんだ」
銀。吸血鬼の最たる弱点だ。
「あまり知られていないけれど、蹄鉄も弱点だよ」
「……また競馬の話ですか?」
「な、なにさ。馬鹿にしちゃいけないよ。いつどういう知識が役立つかは分からないものであって、故に沢山の物事に触れるというのは人生の勉強として尊いものであって、つまり競馬も立派な勉学であって……」
「……」
ジト目を向けると、雑破刑事は大きく咳払いをした。誤魔化し下手かよ。
「ともあれ、失血して動けず、血液補充もままならない。そういう時、吸血鬼は最終手段として、自分を喰うのさ」
「え、えぇ? 出来るんですかそんなこと?」
「うん。奴らは出来ちゃう。出来るからこそ化物ともいえる。で、リソースは当然、長年成長を続けて来た自身の身体だ。損傷を補うには程度に見合った自己消化が必要な訳で」
雑破刑事は丸椅子で一回転して、言った。
「本件において、鬼札夜道は大量の肉組織を分解し、現在は20歳──人間でいうところの2歳児まで、精神が衰退してしまった」
幼児退行。
ストレスで起きる心理反応ではなく、構造的に若返った。
鬼札夜道は夜毎よりも幼くなった。お姉ちゃんじゃなくなった。
子供からやり直させるってのはかなりの荒療治だが、これも一つの治療法なんだろう。鬼札夜道が言っていた『作り変える』という言葉が、今になって思い出される。
「年月と共に蓄積された血肉は、拘りであり凝りだ。濃度が下がれば精神年齢も下がる。無茶を強いることができる。……イチから倫理を身につけてもらうというのは、結構な要求だ。けど、必要だった。必要だったんだよ」
雑破刑事は、自分を納得させるように言う。
表情はいつになく真剣で、凄みがある。
怪異を語って、戦って。
それでも救いを残そうとする雑破刑事を、強い人だと思った。
……所々でふざけ散らかしていなければ、もっと尊敬できたかもしれないが。
僕は確かな敬意を胸にしまう。
「身体能力の弱体化もかなりのもので、しばらくは家族のサポートが必要だ。夜毎には、世話してもらうよう頼んであるよ」
「唯一の家族、ですもんね。しかし、戦っちゃいけないとか言っていたのに、銀の矢で一撃……、効果覿面でしたけど、どうやって準備したんですか?」
「今話したプランBのために、元々持ち込んでたんだよ。搦手がうまく行かなかった時の最終手段としてね。銀の武器は吸血鬼に効果抜群。泡沫くんも知ってるだろ? 一投で仕留められてよかった。レクチャーしてくれた森島はるかに感謝だな」
ここにもアマガミファンがいた。あなたは世代かもしれませんね。
……というか。
「ちゃんとした武器を持っていたんなら、殺人鬼にも使えば良かったんじゃないですか?」
「いやあ、アレ特別製でさ。べらぼうに高額だし、産まれたての弱い吸血鬼には効き過ぎて爆発四散させちゃうんだよ。血は雨で流れるけれど、肉は無理だ。後片付けが面倒臭すぎる。あと、死体っていう分かりやすい物証を残したかったのも理由の一つだよ」
雑破刑事は軽い感じを出しているが、冗談ではなさそうだ。
針が刺さって爆発四散か。
……あまり想像したくない。仮に理科室でガラス器具破壊ボウリングをしても、掃除機をきちんとかければ大丈夫かもしれない。が、屋上全体に飛び散った肉片を掃除するのは、色々と厳しいものがある。
それは分かる。
分かるけども。
「あの時、うっかり殺人鬼に殴られていたら、僕普通に死んでたと思うんですが、そこんところどうなんですか」
「うん、えっとー、まあ、そうだね。夜毎なら負けないと確信してのことだよ。理解してちょうだいな。捜査にご協力いただきありがとうございます。よし、次!」
めちゃめちゃ雑に誤魔化された!
……まあ、過ぎたことか。僕は大人にスルーして、続きを聞く。
「殺人鬼の身元について。実を言うと、わかっちゃった。私、シゴデキ!」
「え──それは、本当にシゴデキです」
「お。なになに、急に素直じゃん? ツンデレかい? いやあ嬉しいね! 死体から学生証を見つけただけでこんなに賞賛されるなんて!」
「前言撤回。さっさと教えてください」
「ちぇ」
雑破刑事は文句を言いつつも、話を再開した。
「殺人鬼と化した屋上少女の名前は、黒葛絵莉。茗花高校三年五組だった女の子だ。色々なバレエコンクールに出場し、何個も賞を取っていたらしい。記憶改竄の影響がまだ完全ではなかったのだろうね、ネットに名前が残っていたよ。珍しい名前は検索しやすくて助かるねえ、“泡沫”くん?」
「そうですね。で?」
「つめた! ……はぁ。バレエ大会の結果と所感を書いている個人ブログに、黒葛絵莉の評が書いてあった。『数多の有名大会に出場するも惜しくも優勝を逃して来た、無冠の天才』だってさ」
無冠の天才。
最優にはなれなかった、選ばれなかったバレリーナ。
「オディール……」
「ん、独り言かい泡沫くん。オディールってなんだっけ?」
「? 『白鳥の湖』の登場人物ですよ。ヒロインのオデットとそっくりな見た目で、愛を騙り王子を騙す悪女です」
「あー、そうだそうだ。人間の姿をした黒い白鳥とかいう、矛盾塊みたいなヤツね。衣装も黒でめっちゃカラスっぽいし。そんで普段と振る舞いとファッションが違いすぎるのに気づかない王子、鈍感超えてアホじゃない? とか思った記憶。それがどうかしたの?」
「……いえ。特に何かあるわけではないんです。見たのも数年前なのに、なんか頭に浮かんできて」
「ふうん。黒が名前に入ってて、バレリーナってんで、よぎったのかもね。しかしオディールかあ。言い得て妙だな」
雑破刑事は腕組みをして、首を捻る。
「ブラックスワン理論って言葉があってね。金融市場で使われる用語で、確率論とか経験則とか、そんなものでは予測できない極端な事象が発生し、人々に多大な影響を与えるという意味がある。今回、泡沫くんは彼女の落下に立ち会ったせいで、吸血鬼に立ち向かう羽目になってしまった。まさしく、彼女はオディールだったよ」
キャットウォークから呆気なく落下した黒葛絵莉という少女の苦悩を、僕は想像することしかできない。
バレリーナとしての苦悩、家庭の不和、痴情のもつれ、何が原因で彼女が自殺を試みるに至ったのか、今となっては知りようもない。
不吉の黒猫。
不敵の黒鳥。
不明の黒葛絵莉という少女。
静久を傷つけたことは許すべくもないけれど、遣る瀬無い気持ちは彼女と共に荼毘に伏して、これからの事を考えるほうが、よっぽど良い。
「雑破さん。鬼札妹姉は、今どこへ?」
「あー、それなんだけど。やらなきゃいけないことがあるらしくて、もう既に、この街を出たよ」
「……そうですか」
寂しいが、吸血鬼とはそういう存在だった。
きちんとお別れできなかった後悔ごと、僕は夜毎を忘れるのだ。
今の僕に出来るのは、ただ身を案じることだけだった。
「だーいじょうぶ、また会えるって! あの子、何度だって友達になりにくるって言ってたでしょ。信じてあげなよ」
「はい。友達ですから」
「泡沫くん、お見舞いに来ま──誰よその女!」
突然に、幼馴染が乱入してきた。
僕と比べて身体が丈夫すぎるつよつよ幼馴染の静久は、結局当日に意識を取り戻し、退院。こうしてお見舞いに来てくれているのだった。
とてもありがたいが、病院で諍いを起こさないでほしい。“その女”はお前を救護してくれた恩人だよ。
「おっと、ヤンデレ来ちゃった。それじゃ私は退散しようかな。……あ、そうそう。コレ渡しとくよ」
雑破刑事が鞄から取り出したのは、見覚えしかない茶色の長方形だった。
「僕の財布!」
「紛失届出したでしょ? 拾ってくれた人がいて、交番に届いたよ。重傷人を出頭させるのもアレだから、警察官の私が持ってきてあげました! やっさし〜〜!」
簡単な話である。
静久から逃げる道中、夜毎は僕の財布を道端に落とした。
人通りの少ない場所に落としたから、すぐには届かなかっただけ。
消失ではなく、紛失。
一周回って怪奇現象では無かったのだ。
中身を確認すると、現金から他のものまで全部そのまま。
今更チュートリアルクリアの報酬を受け取る、僕だった。
「お礼はいらないってさ。いい世の中だね。じゃ、今度こそ失礼するよ。あばよ! ……違うね! あでぃおす!」
「さあ邪魔者はいなくなりました! れっつ、ぎゅー!」
「待て待て待て」
飛んできたハグを怪我を理由に断る。まあ約束を反故にしてしまって申し訳ないので、何かできることがないか聞くと、静久はふにゃけた顔で、僕の頭を撫ではじめる。
「なっでなっで〜、なっでなっで〜♡」
降りやめば、跡だに見えぬ、うたかたの。
消えてはかなき、世を頼むかな。
そんな熱いラブコールを受けて、僕は笑う。
牙を抜かれた様子の幼馴染と、ラブコメを繰り広げつつ。
血が通った日常に回帰した僕の、リハビリ生活は続く。
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