♯7 もしある日突然、生成AIが機能しなくなったら
### 1. 朝の「違和感」
アラームの音で目を覚ました一ノ瀬(26歳)は、いつものようにスマートフォンを手に取った。
まずは寝癖混じりの顔で、なんとなく自撮りアプリを起動する。……が、画面に映った自分を見て、一ノ瀬は思わず眉をひそめた。
「なんだこれ……肌がガサガサだし、部屋の背景もボケてない。っていうか、めちゃくちゃ写りが悪いな」
いつもなら、内蔵されたAIが瞬時に光を補正し、毛穴を消し去り、絶妙なポートレート風に仕上げてくれるはずだった。バグかと思い、OSの「要約アシスタント」に原因を聞こうとしたが、画面には【サーバーに接続できません】という無機質なエラーが出るだけだった。
通勤電車に乗り、SNSを開いてさらに驚いた。
毎朝タイムラインを埋め尽くしていた美麗なAIイラストや、毎日何百本も自動生成されて投稿されていたWeb小説・マンガの更新が、ピタリと止まっている。ネットは静まり返り、トレンドには「#AI全滅」「#サーバーダウン」の文字が躍っていた。
「おいおい、調べ物くらい自力でやるか……」
一ノ瀬はブラウザを開き、検索窓に「AI 障害 いつ直る」と打ち込んだ。
しかし、いつもならトップに表示される「AIによる親切な要約」が出ない。出てくるのは、無数のニュースサイトや個人のブログのリンクだけ。
「ええっと、どこを見ればいいんだ? この記事は広告だし、こっちは2年前の記事だし……」
いつもAIに答えを1行で教えてもらっていた一ノ瀬は、情報の荒波を前に、ブラウザの画面を行ったり来たりしてまごまごするしかなかった。世界から「要約」という知恵の輪が消えた瞬間だった。
### 2. ひっくり返る世界
一ノ瀬が通うオフィスのあるビルの下には、なぜか隣の大学の学生たちが血相を変えて走っていく姿があった。手にはスマホではなく、ノートとペン。
「やべえ! 明日までのレポート、AIに丸投げする予定だったのに!」「おい、図書館に急げ! 本から探すしかない!」
数年ぶりに学生が殺到した大学図書館は、すでに地獄絵図と化していた。検索機はパンクし、学生たちは本の「目次」や「索引」の引き方すら分からず、右往左往している。
一方で、クリエイター界隈では別の嵐が吹き荒れていた。
AIによる背景自動生成や着色に頼っていたデザイン事務所の機能がストップした結果、出版社やゲーム会社はパニックに陥った。
「頼む、手描きで今すぐ仕上げられるイラストレーターを探してくれ!」
「アナログで背景描ける先生、スケジュール空いてませんか!?」
これまで「AIの量産スピードには勝てない」と隅に追いやられていた、本物の手描きイラストレーターやプロの作家たちのもとへ、文字通りひっくり返ったような発注が殺到した。彼らは「徹夜かぁ!」と愚痴をこぼしながらも、どこか嬉しそうな悲鳴を上げてペンを握り直していた。
### 3. 「神」の降臨
一ノ瀬の勤めるIT企画会社もまた、お通夜のような騒ぎになっていた。
「AIに作らせたマーケティングデータ、どこに保存されてるんだ!?」
「取引先への『お詫び状』の文面、AIに作らせてたから誰もテンプレ持ってません!」
若手社員たちは頭を抱え、オフィスは完全に行き詰まっていた。
そんな喧騒の中、フロアの片隅で、ただ一人、いつも通りマイペースに新聞を広げている男がいた。
定年を間近に控えた、窓際族のベテラン社員・佐藤さん(61歳)だ。
佐藤さんは、デジタル化の波についていけず、AIはおろか最新の社内ツールの使い方もおぼつかないため、普段は若手から「過去の人」扱いされていた。
「……あの、佐藤さん」
一ノ瀬は藁にもすがる思いで、佐藤さんのデスクへ駆け寄った。
「10年前の、あの地方自治体とのトラブルの件なんですけど……どうやって解決したか、データがどこにあるか分かりませんか? AIの検索が効かなくて」
佐藤さんは新聞から目を離し、眼鏡をずらしてフッと笑った。
「ああ、あれね。データはサーバーの『共有フォルダ』の奥じゃなくて、そこのキャビネットの3番目の茶色いファイルに、当時の報告書が紙で閉じてあるよ。僕が書いたやつだ」
「えっ!?」
若手たちが一斉にキャビネットへ群がる。本当にあった。
「佐藤さん! 取引先へのメール、失礼のないように怒りを静める文章ってどう書けばいいですか!?」
「佐藤さん、エクセルの関数が消えたんですけど、これ手計算で合わせるコツありますか!?」
気づけば、佐藤さんのデスクの周りには、質問攻めにする若手社員の長蛇の列ができていた。
「しょうがないなぁ、みんな」
佐藤さんは苦笑しながら、おもむろにキーボードを叩き始めた。タッチタイピングではない。力強い「人差し指打法」だ。しかし、彼の頭の中に叩き込まれた「昭和・平成を生き抜いた生身のデータベース」は本物だった。
相手の心情を汲み取った洗練されたビジネス文章をスラスラと紡ぎ、電卓をパチパチと叩いてデータの矛盾を鋭く指摘する。その姿は、まるで失われた超古代文明のテクノロジーを操る「神」のように、若手たちの目に輝いて見えた。
「すごい……AIより的確だ……」
一ノ瀬は、感動のあまり呆然と呟いた。
### 4. 新しい(古い)日常
数日経っても、生成AIの機能は復旧しなかった。
しかし、世界は滅びるどころか、どこか奇妙な活気を取り戻しつつあった。
学生たちは苦労して辞書をめくる楽しさに気づき始め、街の書店には人が戻った。ネットの投稿は減ったけれど、その分、誰かが時間をかけて紡いだ1つの物語や、丁寧に描かれた1枚の絵が、じっくりと読まれるようになった。
オフィスでは、若手たちが佐藤さんに「仕事のいろは」を直接教わり、フロアには以前よりも会話と笑い声が増えていた。不便にはなったが、人間味のある温かさが、そこかしこに満ちていた。
夕方、一ノ瀬は佐藤さんを誘って、オフィスの窓際に向かった。
「佐藤さん、ちょっと写真撮らせてください。記念に」
スマホを向け、シャッターを切る。
相変わらずAIの補正は効かない。画質は少しザラついていて、逆光で影も入っている。
「うわ、やっぱり写り悪いな」
「ははは、昔の写真なんてみんなこんなもんだったよ」
佐藤さんは豪快に笑った。
画面に映る二人の笑顔は、少しボケていたけれど。
昨日までのどんなAIが生成した画像よりも、ずっと、生き生きとした本物の光を放っていた。




