幕間 魔女と蛇は踊る
ボクの家の近くで何かあったの、と"灰色の魔女"はリグラヴェーダに問うた。
隠遁魔法で姿を隠して校内を散歩して家を留守にしている間に何か一悶着があったようだ。一体何があったのだろう。友人が魔法を行使する気配は感じた。そうするほどのことがこのヴァイス高等魔法院で起きたなんて。
「まぁね」
報告書を書くための下書きの構築ついで、事態をかいつまんで教えておこう。寝泊まりする家の近所で何があったのかくらい知っておきたいだろう。
そうね、とリグラヴェーダが事のあらましを説明する。哀れな妄想から引き起こされた一連の事件を。
語り終える頃には時計の長針は1周していた。
「……ワァオ」
とんでもないことが起きていた。素直に驚きを口にした"灰色の魔女"に、そうでしょう、とリグラヴェーダが微笑みかけた。数千年生きてきて久しぶりにこんな驚きを得ただろう。
「ボクが声かけたコがねぇ……」
成程。あの柑橘の香水はそういうことか。アネモスと聞いて強引に理由をつけて半ば奪い取ったが正解だったようだ。よかった。あそこで自分がそうしなかったら今頃その妄想野郎のせいで大変なことになっていた。
せっかく気に入った子だ。できるだけ危ない目には遭ってほしくない。友人未満知人以上の心配の話だ。
「ひとりの人生を作り変える……面白い能力だと思わない?」
理論上、それは可能だ。読み解いた真実を改変できる書物は、時には人間ひとりの人生すら書き換える。存在の証明ができれば、無から一人の人物を生み出すことも可能なのだ。それは物語の登場人物に後からキャラクターを追加するように。
相応の代償と苦労と手間は必要ではあるが、できるかできないかで言えば『できる』。術者であるカンナにその気がなかっただけで、ハルヴァートという一個の人格と人生を書き換えることは可能だった。
「そう、あの子は彼の人生は書き換えてない。けれど……」
けれど、誰に対してもそれを行っていないとは言っていない。
「もしかしたら他の誰かの人生を作り変えてるかもね?」
「ナニそれ?」
「さぁ? 正解を確かめるのは今じゃないわ」
それにこれは推測の話。真実を司る氷神に問わねば真偽はわからない。今それについてあれこれ言う段階ではない。
はぐらかすリグラヴェーダに、もう、と"灰色の魔女"は頬を膨らませた。
「キミのそういうトコ、好きじゃナイなぁ」
そこそこ気が合う友人として付き合っているが、そうやって核心をはぐらかすところは好きになれない。
氷神の信徒であるから真実や事実というものへの取り扱いが慎重なのだと理性的な理由をつけても心は納得しない。意味深なことばかり繰り返す狂言回しはやめてもらいたい。
「キミタチってミンナそうなの?」
「えぇ」
「皮肉へマジメに返さナイデ」
これだから。はぁ、と溜息を吐いて肩を竦める。そんな"灰色の魔女"の様子を見、リグラヴェーダはくすくすと笑う。
千を生きる"灰色の魔女"でも見えない真実はあり、それを前に右往左往するようだ。何が起きたのかを他人に問い、説明をもらう。全知全能とはいかない。"灰色の魔女"などという大層な称号の割に、言動はただの人間と変わらない。
本当に、こうして見ると年相応の娘に見える。冗談を口にし、よく笑い泣き怒る。快活で明朗な言葉は心地いい。友人として付き合うのにこれほど気持ちのいい人物はいないだろう。誰にも慕われる人気者であったろう。
だが彼女は神々から烙印を押された重罪人。神々が、世界が、人々がその死を望んでいる。殺せやしないのにだ。世界最強の魔女は重罪人の烙印を押された日からずっと人生を紡ぎ続けている。リグラヴェーダがその生を受けるよりも前からずっと。永劫とも言える年月をただ罵られ続けて生きている。
しかし、それももう終わるかもしれない。
「あなたの望みはあの子が叶えてくれるかもしれないわよ?」
あの子ならば、"灰色の魔女"の息の根を止める一手を打てるかもしれない。




