(第一章)第一話 魔王を倒した翌日、勇者が世界から指名手配された
(第一章) 裏切られた勇者と魔王の娘 ~世界を敵に回した和平への道~
魔王ゼルガディスが倒れたとき、俺は戦争が終わったと思った。
「勇者よ。王宮の地下を調べろ」
死に際の魔王は、黒い結晶を俺に託した。
「なぜだ?」
「お前も、いずれ知る」
それきり魔王は動かなくなった。
聖女スーシャは結晶を見て顔色を変えたが、何も言わなかった。
魔王城の崩落が始まったとき、俺は最後までゼルガディスの顔を見ていた。
勝利の歓声は上がらなかった。
戦士ガルドは斧を床に置き、魔術師セリナは折れた杖を拾った。
誰も無傷ではなかった。
王都を出発したとき六人だった旅の一行は、魔王との戦いで二人を失い、今では四人しかいない。
「これで、あいつらの墓に報告できるな」
ガルドが言った。
俺は頷いたが、胸の奥には勝利と呼ぶには重すぎるものが残っていた。
敵の王が、なぜ人間の王宮の地下を気にかけるのか。
王都へ戻るまでの三日間、俺はガルドにもセリナにも、魔王の結晶を見せなかった。
死に際の敵から受け取ったものだと説明すれば、ガルドは笑い飛ばし、セリナは危険だから捨てろと言うだろう。
けれどスーシャだけは、俺が懐に手を当てるたび、何かを言いかけて黙った。
「この結晶を知っているのか」
夜営の火が小さくなったころ、ようやく尋ねた。
彼女は焚き木を一本足してから、慎重に答えた。
「神殿では、勇者が魔王を倒したあとに持ち帰るものは、すべて王宮へ渡すよう教わりました」
「戦利品だからか?」
「理由は教えてもらえませんでした。でも、例外を認めない規則でした」
彼女の指が祈りの印をなぞった。
「ユリウス。もし私が明日、あなたに会えなくなったら、私の言葉より、自分で確かめたものを信じてください」
「何を言っている?」
スーシャは答えなかった。
もっと強く問い詰めるべきだったのかもしれない。
だが、俺は彼女が何かを隠していることに気づきながら、それ以上聞かなかった。
その判断を、後になって何度も悔やむことになる。
帰路の街道には、戦争で焼けた集落が並んでいた。
凱旋を祝う花を積んだ荷車の脇で、帰る家を失った兵士が毛布をかぶって眠っている。
勝利という言葉が、どちらの景色にも同じように当てはまるのか分からなかった。
街道沿いの井戸で水を汲んでいた老婆は、俺の聖剣に気づくと頭を下げた。
「勇者様、戦争は終わったんですか」
「終わりました。魔王は倒しました」
老婆は笑おうとしたが、目から先に涙が落ちた。
「なら、うちの息子はもう帰ってこないんですね」
俺は返す言葉を失った。
息子は二年前に徴兵され、便りが途絶えたという。
勝利を告げることと、死んだ者が帰ることは、まったく別の話だった。
俺は彼女の家の壊れた戸を直し、持っていた保存食を置いて立ち去った。
英雄になれば何でも救えると思っていた自分が恥ずかしかった。
王都へ戻ると、門の外まで花が敷かれていた。
戦場で見た光景とは別の世界のようだった。
ガルドは豪快に笑い、セリナは久しぶりに化粧を直していた。
スーシャだけが、王城の尖塔を見上げて青ざめている。
「どうした?」
「地下の鐘が鳴っています」
「鐘?」
俺には何も聞こえなかった。
スーシャはそれ以上説明しなかった。
彼女が王国の神殿で育ったことは知っている。
だが、神殿の奥で何を教えられてきたのか、俺はほとんど知らなかった。
三年間一緒に戦ってきたのに、聞かなかったことが多すぎる。
謁見の間で国王が褒美を約束したとき、俺は国境の老婆を思い出していた。
金貨一万枚で壊れた村をどれほど直せるだろう。
王が復興を約束した瞬間、ようやく肩の力が抜けた。
宰相ベルガンの視線だけが妙に冷たかったが、祝いの席で疑うのは失礼だと自分に言い聞かせた。
夜の祝宴で、ガルドは王国軍の将校たちと飲み比べを始めた。
セリナは故郷に帰る馬車の時刻を調べている。
俺は二人に声をかけた。
「先に休む。明日、また会おう」
「おう。寝坊するなよ、英雄殿!」
それが、追放される前に聞いたガルドの最後の冗談になった。
その夜、スーシャから「二人で話したい」と伝言が来た。
指定された西塔の客室へ向かう途中、廊下の燭台が一つずつ消えているのに気づいた。
風は吹いていない。
魔力を使って明かりを落としているのだ。
扉の前に立つ兵士の靴には泥がついていた。
王城の儀仗兵なら、こんな格好で客を案内しない。
「スーシャは中にいるんだな?」
「はい。お急ぎください」
兵士は俺の目を見なかった。
疑念が確信に変わったのは、部屋の机に手紙を見つけた瞬間だった。
スーシャは短い文章を書くとき、最後に必ず小さな祈りの印を添える。
その印が、震えた線で描かれていた。
彼女は落ち着いて手紙を書ける状態ではなかったのだ。
彼女の筆跡で書かれた手紙を読んだ。
『王宮の地下を調べて。誰も信じないで』
背後で扉が閉まり、近衛騎士たちがなだれ込んだ。
「勇者ユリウス。国家反逆罪で拘束する」
「魔王を倒して帰ったばかりだぞ!」
「魔族との内通、国王暗殺未遂。証拠はそろっている」
宰相ベルガンが現れ、冷たく言った。
「魔王を倒せる男が王国にいては困る。民が次の王に推したらどうする?」
「そんな望みはない!」
「望みがなくても、力がある。それが罪だ」
騎士たちが押し寄せたとき、俺は初めて、王城の壁が牢獄に見えた。
命令に従って剣を向ける若い騎士の一人は、凱旋の列で花を投げてくれた少年と同じ年頃だった。
俺を殺せと命じられた彼の手は震えていた。
「逃げろ。俺はお前を斬りたくない」
「黙れ、反逆者!」
叫び声とは裏腹に、彼の剣先は下がっていた。
別の騎士が踏み込んできた。
俺は聖剣を抜き、相手の命を奪わず、剣だけを折った。
ここで兵士を殺せば、王国が発表する罪状に一つ真実が混じってしまう。
何より、昨日まで守ろうとしていた相手を斬ることができなかった。
「逃がすな!」
背後から怒号が響いた。
俺は窓を蹴破り、王城の中庭へ飛び降りた。
着地した石畳に亀裂が走る。
警鐘が鳴り響き、城壁の上に弓兵たちが集まり始めた。
「射て!」
矢が降り注ぐ。
俺は聖剣で矢を払いながら駆け、城壁の手前で地面を蹴った。
魔力を脚に集中させ、一息に城壁を飛び越える。
王都の外へ着地したとき、ようやく振り返った。
王都の灯りは綺麗だった。
あの中で誰が命令を出し、誰が嘘を信じ、誰が恐れているのか分からない。
スーシャはどこかに閉じ込められている。
ガルドとセリナにも危険が及ぶかもしれない。
俺は二人に知らせる術もなく、夜の森へ走った。
翌朝、街道沿いの宿の軒先で手配書を見た。
懸賞金は金貨十万枚、生死は問わない。
俺の命に付けられた値段だった。
宿の主人が紙を見て言った。
「昨日まで英雄だったのにな。怖い世の中だ」
俺は顔を伏せたまま、水代を置いて出た。
追手を避けて森へ入ると、黒い結晶が突然熱を帯び、掌の上でひび割れた。
砕けた結晶から魔王の声が響き、俺は剣を抜くことも忘れた。
『私もかつて勇者だった』
息が止まった。
『勇者が魔王を倒し、追われた勇者が次の魔王になる』
『その仕組みを壊せ。王宮の地下に答えがある』
声が途絶え、結晶は黒い砂となって指の間からこぼれ落ちた。
魔王も、かつて勇者だった。
そして俺と同じように、王国から追われたのだろうか。
もしそうなら、俺が最後に斬った男は、本当に倒すべき敵だったのか。
答えの出ない問いが胸に沈んだ、そのときだった。
「ようやく見つけました」
木陰から、角のある少女が現れた。
黒髪の下で、小さな角が朝日に光っている。
少女は俺を見るなり拳を握った。
「私はリリス。ゼルガディスの娘です」
俺は反射的に聖剣へ手を伸ばした。
だが、リリスは逃げもせず、俺を真っすぐ見つめていた。
その瞳には、隠しようのない怒りがあった。
俺が彼女の父を殺したことは、どんな真実を知っても消えない。
「お前は俺を殺したくないのか」
「殺したいです」
即答だった。
「父を殺したあなたを、許せるはずがありません」
リリスは唇を噛んだ。
「でも、父は最後まで王宮の秘密を追っていました。あなたに結晶を託したのなら、きっと理由があります」
「俺を利用するつもりか」
「そうかもしれません。あなたも私を利用すればいい」
彼女は一歩だけ近づいた。
「ただし、今ここで殺し合えば、父が命を懸けて伝えようとしたことが消えてしまいます」
俺は聖剣から手を離した。
そして、鞘ごと地面に置いた。
剣を持つ俺が何を約束しても、彼女には脅しに聞こえるかもしれない。
「俺にできることがあるなら、教えてくれ」
リリスはしばらく聖剣を見つめていた。
「まず、私たちの村を見てください。人間が魔王と呼ぶ者が、何を守っていたのか」
彼女が差し出した手は、かすかに震えていた。
父の仇に手を差し出すことが、どれほど苦しいのか。
俺には想像することしかできなかった。
「私があなたを許したと思わないでください」
「ああ」
「それでも、今は一緒に来てほしいんです」
俺は差し出された手を取った。
そして地面に置いた聖剣を拾い、鞘を腰に戻した。
俺たちの間に信頼はない。
ただ、同じ真実を確かめるための、小さな約束だけが生まれた。
英雄としての道は終わった。
ここから先は、誰も用意していない道だった。
王国の罪を暴く前に、俺自身が何を知らずに剣を振ってきたのか、見なければならない。
そして、もし魔王の言葉が真実なら・・・。
次に魔王と呼ばれるのは、俺なのかもしれなかった。




