33話 空晶館襲撃
ダートナはその夜、キッチンでコトコト リンゴを煮詰めていた。ジャムにするためだ。
リンゴはアイアンディーネの好物なので、季節になるといつもリンゴを使った菓子を作る。
このエレスチャレの村の主な産業はリンゴ農家で、意外やセルカドニー侯爵領の高級店に納品していて、彼らの現金収入はこれが一番大きかった。
だが、その取引額は取引先の少なさからやはり満足いく額ではない。
これだけの甘味のあるリンゴなのに傷のあるものは地元で買い叩かれているし、彼らは商売がヘタだった。
「加工して売れば問題ないでしょうに」
アイアンディーネが"紅玉"と勝手に名前を付けていた赤く小さな玉を手にして、ダートナは一人ごちた。
確かに、ジャムにすれば、光熱費などかかるけれど。
大量にリンゴを煮ている大鍋をかき混ぜた後、ダートナは揺り椅子に座りなおし、いきなり増えた子供たち用に手袋を編んでいる。
アイアンディーネには小さくなったセーターを解いて毛糸玉にし、孤児院の子供たちそれぞれのサイズに合わせてコツコツ編み上げていた。
アイアンディーネは今日の昼にモルダヴァイトを御者にして、スピネルと三人だけで新しい事業に必要な相手に会うのだと意気揚々と出かけた。
アイアンディーネだけでの本格的な外出は初めてで、落ち着かなくてついついリンゴを大量に剥いてしまった。それはどうもアンバーも同じだったようで、今日は何度となくダートナのいるキッチンに顔を出していた。
そんな彼が夜、急に体が光に包まれ、姿を消したのだ。
アイアンディーネに渡していた魔法具の呼び出しだとわかったのは、数分後届いたスピネルの伝書鳥でだ。
(まったく、心臓に悪いわ)
あの魔法具は改良の余地があるのではないか。または、スピネルの使う伝書鳥のような、誰でも使える魔法道具があればいいのに。
ダートナのように小さな生活魔法しか使えない人間は多いのだ。あれが使えればきっととても便利なはずだ。
つらつら考えながら手元に集中していると、キッチンの扉が開いた。
ダートナが顔を上げると、意外な人物たちがいた。ジェダイトとガーネットだ。
ジェダイトは彼にしては珍しく興奮した様子で、子供たち二人は勢い込んで話し出した。
彼の手には質のいい手紙。
午後に村に出ていたブルーレースが戻った時、館の人達から預かったものだ。
「ダートナさん! 明日、早朝にエレスチャレの館から客が来ます。壁の扉を開いてもらっていいですか!?」
「あら、どなたがおいででしょう? ガーネット様のお母様ならお迎えの準備をしなくては」
いいえ、とジェダイトは首を振る。
「気を遣わないでください。セルカドニーで入院していた侍従のジャスパーが退院して館に戻ってきたんです! 彼はお祖父様の代から仕えていてくれて、僕らをとても可愛がってくれているんです。明日、こっちに連れてきて頂けるって!」
(あら、じゃあ、朝からスマラルダスかシルバートが護衛で来るのね。スマラルダスより行き来が楽なシルバートかしら…。魔剣も忙しくって大変だわね)
そんな暢気なことを考えつつ、ダートナは嬉しそうな二人の子供を見て、はい、と快く了解したのだ。
その日の朝、アンバーが仕掛けていた魔法具が異変を知らせた。
これはこの空晶館の城壁周辺に魔力を持ったものが近づくと反応するものだ。
森には魔獣が跋扈しているが、城壁内はブルーレースの結界があるので、許された者しか入れない。それは人間も魔獣もしかり。
だが、一歩城壁から出れば危険なため、常に魔獣の動向を感知できるよう、この魔法具を設置していたのだ。
その魔法具が、常にない数値の魔力の数を示した。
それはじわじわと城壁に近づいてきていた。
それにモリオンとコーパルは眉を潜める。
「魔獣がこれだけの数で移動しているのか…? 五十はいるぞ…」
「物見塔から確認してくる。もしもこの数の魔獣が森から出たらコトだ。エレスチャレ子爵の館に報せなくちゃならない」
モリオンが急ぎ城壁の塔に駆け出した。
途中、館の外で作業している男たちに声をかけ、もしもに備えて館の中に避難するよう指示した。
夕べは雪が降り、山の中を白く染めた。物見塔からはその絶景が見えている。なにかうごめく物がいればすぐわかるはずだった。
モリオンは塔から遠眼鏡で辺りを見たが、見えるものは白一色で異変らしきものは見当たらない。
だが、一箇所、揺らぎを見つけた。
(木々の間にあるはずの影が不自然に消えているところがある…)
これにモリオンはサッと顔色を変える。
魔獣に自分の存在を気取られないよう道具を使って隠れる知性はない。少なくとも、この数の魔獣の群れが隠れて移動するなど考えづらい。
『呪い』のような存在は珍しいのだ。
(だとしたら、答えはひとつだけだ…!)
モリオンはその場で指笛を吹いた。
その笛の音で、コーパルは全て察知する。
--刺客だ、と。
その音をまた別の場所でブルーレースが聞いた。
彼女もそれに異変を察知し、急ぎ子供部屋へ駆けた。
孤児院の小さな子供らは朝食後の勉強時間で、各々の部屋に一人も欠けずにいた。ブルーレースはそれに安堵し、彼らを促す。彼らは皆聞き分け良く準備をする。
「皆急いで。練習したでしょ? わたくしと一緒に避難しましょうね」
「ブルーレース、おじょうさまたちは?」
「アイアンディーネ様は昨日からお出かけでしょう?」
「ちがうの、エレスチャレのおじょうさまと、ぼっちゃま。ふたりともいないよ」
ブルーレースはハッとする。
そうだ、今朝彼らに来客があるからダートナが付いて門扉を開けると聞いている。
(この状況で開門なんてできっこない…。でも、エレスチャレ子爵の使用人だから裏門の通用門を使うと言っていたはずですわね。鍵さえあれば、ダートナだけでも開けようと思えば出来るけど…)
--このタイミングで…?
「ブルーレース、セルカドニーの人間たちももう避難所に向かっている。子供達も急いで避難させよう。…どうした?」
子供部屋に駆けつけたコーパルがいぶかしむ。
「ダートナとジェダイト様たちを見ました?」
「いや? ここにいないのか?」
ええ、とブルーレースは頷く。
「もしかして、裏門か? 昨日開錠許可を出している…。だが、まさか指笛が聞こえているはずだ。あれは魔法を使っているのだから、聞こえない筈はない」
「でも、聞こえていたらここにいる筈よ…」
ブルーレースはコーパルに向き直る。
「コーパル、あなたは子供達と伴に行って。わたくしは裏門に行くわ。もしかしたら…」
「ジェダイト様たちがあいつらとつながっていたと?」
「タイミングが気になるのです。それに、もしかしたら、外の魔法が入ってきているのかもしれませんわ…。昨日、村からジェダイト様たちに宛てた手紙を預かったから。私の魔法感知にひっかからない方法があるかもしれませんわ」
「ブルーレース、こわいおかお…」
ブルーレースは慌ててにっこり笑って子供たちに声をかける。
「大丈夫ですわよ。さあ、皆、コーパルと一緒に行っていてね。上手に隠れた子には、きっとアイアンディーネ様からご褒美があるわ」
裏門までの雪道を、子供達二人は軽やかに走る。
そう、走る。
ダートナはいぶかしむ。
ジェダイトとガーネットは歳の割りに落ち着いていて、こんなに慌てるように走るところなんてそうそう見たことなかった。
アイアンディーネが鬼ごっこを提示して遊ぶことはあるが、二人の時は基本静かに読書が定番だ。
しかも、二人ともどこか胡乱な目をしている。
ダートナは二人に追いつくのに必死だったが、彼らの様子がいつにないことに不審を持った。
「ジェダイト様、ガーネット様…、待って、待ってください」
さっき、突然指笛が響いた。あれは急を報せるためにの合図だ。
今、門を開ける訳にはいかない。
だが、先を行く子供達はこちらを振り向こうともしない。
しかも、ジェダイトの手には手袋もしておらず、その手に夕べ見せて貰った手紙がギュウと握りこまれている。
もう、裏門は目の前だ。
「ジェダイト様…、ジェダイト! 止まりなさい。ガーネットも!」
裏門の手前でダートナの低い怒鳴り声に二人はようやく足を止めた。
そして、ダートナに振り向いて、表情の抜け落ちた顔で、ダートナに近寄る。
「鍵を」
「何を言っているの、ダメよ。さあ、二人とも帰りましょう」
二人の様子が尋常じゃないのはわかったが、どう対応すべきか迷う。
(なにかに操られているみたい…。魔法? ブルーレースの結界内にいつの間に入ったの?)
考えられるのは手紙だが、魔法の気配はダートナには判断つかない。
だが、明らかに様子の違う二人をこのままにしてはおけない。
逡巡していると、急にジェダイトがダートナに体ごとぶつかってきた。
あ、とよろけてジェダイトを何とか受け止めようとしたところに、ガーネットがまた飛びつく。
ポロリとコートのポケットから鍵が落ちた。
(ダメ!)
ダートナが鍵を拾うより先にガーネットがそれを手にした。
そして、ダートナの腹に抱きつくようにジェダイトが入り込み、ダートナを転がし、彼女の膝裏を強く踏む。七歳の子供でも、全力の力で何度も蹴られ、ダートナは悲鳴を上げた。
「--やめて、やめなさい! 正気に返って、二人とも! だ、誰か!」
立ち上がろうとしたが、足の強い痛みに腕で上半身を支えるのが精一杯だ。だが、その必死な声を無視し、ジェダイトとガーネットが門の横にある小さな通用門に駆け寄る。
そこにガーネットが鍵を指し、二人は勢いよく扉を開けた。
雪に倒れこんで扉の開いた先を正面から見てダートナは驚愕する。
扉の先、雪原には見たことない黒装束の者たちが白い布をハラリと体から落とし、こちらに手のひらを向けている。
彼らの足元には青く光る魔法陣が幾多も展開されていた。
--攻撃魔法だ、とダートナは思った。




