第九十六話 王国中の孤児院に灯った百の火
初雪の朝、マリナの机に一通の手紙が届いた。
『薪はあと五日分。
王都からの荷車は、まだ来ません』
差出人は北の山村にある孤児院だった。
十一人の子供が暮らしている。
王都の配送表には、毎週一便と記されていた。
「予定では昨日、着いているはずよ」
マリナは輸送担当を呼んだ。
峠が凍り、荷車が引き返していた。
だが担当者は、遅延を報告する先が分からず、帳簿には「配送中」とだけ書いていた。
「責めるのはあとにする。今、薪が何日分あるかを確かめて」
マリナは地図を広げた。
ノアは山の地形を調べ、魔法で雪を吹き飛ばす案を考えた。
しかし斜面には新しい亀裂があり、強い術は雪崩を誘発するおそれがある。
「一度道を開けても、次の吹雪で塞がる。別の方法が必要だ」
セーラは村へ向かう救護班に加わった。
馬で進めるところまで行き、残りは村の猟師が知る尾根道を歩いた。
持ち込める荷物は限られていたため、最初の便には薬と保温布、食料を優先した。
孤児院の戸を開けると、子供たちは一つの暖炉の前に集まっていた。
院長は申し訳なさそうに言った。
「昼は火を消して、夜だけ使っています」
セーラは子供たちの指先を確かめた。
冷えが強い子が二人いたが、すぐに処置できる状態だった。
小さな少女が尋ねた。
「お姉ちゃん、明日も来る?」
セーラは言葉を選んだ。
「明日は別の人が来られるように、今、道を調べている。決まったら必ず伝えるね」
少女は首を振った。
「前も、荷車が来るって言ったの」
セーラは返事ができなかった。
王都では「百の孤児院に冬の支援を届けた」と報告されていた。
けれど、その数字の中に、この十一人の夜は入っていなかった。
村の集会所で、セーラは猟師と薪商人に相談した。
峠を越える荷車は無理でも、村の北側にある林から、乾燥させた薪を小分けに運ぶことはできるという。
ただし林は隣村の共有地で、勝手に伐ることはできない。
「明日の朝、隣村の代表に会ってみます」
猟師が言った。
「こちらからも冬の備蓄を出せるか、確認します」
セーラは王都へ急報を送った。
必要なのは魔法の英雄ではなく、二つの村の合意と、運搬にかかる賃金だった。
翌日、隣村の代表がやってきた。
「うちも余裕はない。今すぐ渡せるのは、乾燥した薪三日分だけだ」
院長が頭を下げようとすると、代表は手を上げた。
「代金と、来月こちらが困ったときの連絡先を決めてくれ。善意だけで約束すると、互いに続かない」
マリナから届いた返書には、薪代と運搬費を支払う手続きが記されていた。
冬の間の予備便も、隣村の運送人へ有償で依頼することになった。
その夜、暖炉の火は消えなかった。
少女はセーラの外套を引いた。
「今度は、本当に明日も火がある?」
「今日の薪はここにある。明日の分も、院長先生と一緒に数えたよ」
セーラは棚に積まれた薪を示した。
「その次のことは、明日また確認する。もし届かなければ、誰に知らせるかも書いてある」
少女は掲示板を見上げた。
文字はまだ読めない。
けれど、院長が「ここへ知らせればいい」
と指さした場所は覚えた。
王都へ戻ったセーラは、マリナとともに配送表を作り直した。
「発送済み」
と「到着確認」
を別の欄にする。
予定日を過ぎたら自動的に確認を入れる。
届かなかった理由と、代替手段も記録する。
「こんなに手間をかけたら、百か所を管理できるかしら」
若い担当者が言った。
「だから、王都だけで管理しないのよ」
マリナは村ごとの担当者名を記入した。
「現地の人が判断できる費用と連絡手段を渡す。私たちが全部の道を知っているわけじゃない」
数週間後、王国中の孤児院から報告が集まった。
暖炉の火が灯った場所。
まだ修理中の場所。
薪は届いたが屋根が壊れている場所。
数字は百で止まらなかった。
ライアンは掲示板の前で足を止めた。
「百か所に火が灯ったんだな」
「ええ。でも、まだ足りない場所がある」
セーラが答えると、ライアンは頷いた。
「なら、明日も数えよう」
北の山村では、少女が暖炉の前で新しい紙に絵を描いていた。
大きな火と、その隣に小さな荷車。
荷車の上には、名前を知っている村の人たちが乗っていた。
遠い王都の英雄が帰っても、次の薪を運んでくれる人の顔が分かる。
各地の孤児院から届いた報告には、灯りの数だけでなく、消えた灯りの理由も書かれていた。
油が届かない村、火の番をできる大人がいない施設。
ライアンは祝いの席でその紙を広げ、「百か所に灯したなら、百か所で続けられるようにしよう」と頼んだ。
山村から二度目の便りが届いたとき、マリナは封筒を開く手を止めた。
前の手紙には薪が五日分と書かれていた。
今度は『三日分』という数字の下に、小さな文字が添えられていた。
『村の炭焼きが、乾いた枝を分けてくれました』
「王都からの荷車だけが答えじゃないのね」
マリナは地図に炭焼きの家を印した。
次の冬に同じことが起きないよう、孤児院と近隣の村で融通できる薪の量を調べることにした。
セーラは山村の子供たちに手袋を届ける準備をしていた。
だが、運送人が言った。
「手袋より先に、道の氷を削る道具が必要です。滑って荷車が進めません」
マリナは注文書を書き換えた。
必要なものは遠くから眺めているだけでは分からない。
現地の人に聞いて初めて見える困り事がある。
春になって雪が解けると、村長が王都を訪ねた。
「次の冬は、うちでも備えます。助けられるばかりじゃ、子供に顔向けできませんから」
マリナは頷き、村の備蓄計画に孤児院の代表も加えるよう頼んだ。
火を灯すのは英雄だけではない。
その灯りを絶やさないのは、そこで暮らす人たちだった。
北の孤児院では、子供たちが薪の残りを数える役を交代で担うことになった。
十一人のうち一番小さな子は、数字を書く代わりに丸を描いた。
院長はそれを消さず、隣に日付を書き添えた。
次の冬、峠が閉じる前に村から薪が届いたとき、子供たちは丸を一つずつ塗りつぶした。
遠い王都の英雄を待つだけではない。
自分たちの村で、次の雪に備えられる。
そのことを知らせる手紙を、マリナは何度も読み返した。
冬の備蓄を数える役を任された子供は、最初、間違えたら叱られると思っていた。
院長は「足りないと分かったら、その時に助けを呼べばいい」と答えた。
数字を正しく書くことは、責任を一人で背負うことではない。
マリナはその話を聞き、報告が遅れた村を責めるより、早く知らせられる仕組みを残そうと決めた。
それは、北の孤児院の十一人にとって、初めて自分たちの手で備えられた冬だった。
春先、山村からもう一通の手紙が届いた。
『今年は、薪が足りなくなる前に知らせました』。
封筒には、十一人の子供がそれぞれ描いた小さな丸が並んでいた。
マリナは返事を書こうとして手を止めた。
去年なら「すぐに送ります」と書いただろう。
今は違う。
村が集めた薪の量と、不足分を届ける日付を確かめ、約束できることだけを書いた。
手紙の最後に、短く添える。
『知らせてくれてありがとう』。
助けを呼ぶ声を、失敗の報告にしてはいけなかった。




