第九話 処刑台に集まった世界最強の百人
処刑の前夜、セーラは高等法院の夜間窓口に立っていた。
申立書の控え、公開された配給表、第三者が保管した荷車の記録。
証拠の出所を一枚ずつ示し、執行を止めなければ取り返しがつかないと訴えた。
「父親だから助けたいのか」
と審査官は問うた。
「はい。でも父親でなくても、同じ証拠を提出します」
三人の裁判官が執行の一時停止を命じる決定書に署名したのは夜明け前だった。
セーラは封蝋の乾くのも待ちきれず、書記官と監察官を連れて広場へ向かった。
処刑の日、王都の広場は兵士で囲まれていた。
ライアンは両手を縛られ、石段を上った。
見物人の顔を見ないようにしていたが、最前列にいる小さな少年が目に入った。
数日前、食堂で昼食を分けた子だった。
少年は泣いていなかった。
ただ、なぜ食堂のおじさんがここにいるのか分からない顔をしていた。
「罪人ライアン・タクト。王室に対する虚偽の告発、および公文書窃取の罪により――」
読み上げる役人の声を、広場の鐘が遮った。
城門の方から馬蹄の音がした。
兵士たちが身構える。
だが現れた騎馬隊は門の外で停止し、武器を鞘に収めたままだった。
先頭から降りたのはガイアだった。
「父さん!」
ライアンは思わず身を乗り出した。
「来るな! お前まで罪人にされる!」
「俺は軍を連れて来た。でも、広場には入れない」
ガイアは空の両手を見せた。
「今日は戦いに来たんじゃない。裁判を止めに来た」
刑吏が剣に手をかける。
そこへ、別の声が響いた。
「その刑の執行には、重大な手続き違反があります」
法務官の礼服を着たセーラが、広場の入口に立っていた。
後ろには書記官と監察官が続く。
「刑の停止命令です。王国高等法院の印と、三名の裁判官の署名を確認してください」
執行官は書類を受け取り、青ざめた。
「そんな命令は聞いていない」
「今、聞きました。執行を続ければ、あなた自身が違法な処刑の責任を負います」
刑吏が手を離した。
けれど、王室代理人は引き下がらなかった。
「書類が本物でも、被告の罪は消えない。裁判をやり直せばいいだけだ」
「その通りです」
セーラは頷いた。
「だから、ここで証拠を示します」
ノアが木箱を運び込んだ。
箱には北門の荷車の通行記録と、倉庫の受領票が収められていた。
記録の日付、荷車の車軸につけられた識別印、倉庫の保管番号が一致している。
ガイアも広場へ来る前、部下から王都への進軍を進言されていた。
「軍を動かせば、父君を奪還できます」
「その後は?」
「……その後、とは」
「城門で誰かが死んだら、父さんは喜ぶか。俺たちのために食事を分けた人だぞ」
副官は黙った。
「兵は門の外に置く。必要なら俺だけが行く。剣ではなく、証拠を持って」
そう決めたからこそ、処刑台の前で兵士たちは武器を抜かずに済んだ。
「救貧院へ納めたことになっている小麦は、実際には北門外の私設倉庫へ運ばれています」
ノアは図面を広げた。
「倉庫の所有者は、王室会計長の親族が経営する商会です」
代理人は鼻で笑った。
「図面など、誰でも描ける」
「ですから、原本を持ってきました」
マリナが一歩前に出た。
各地の商会と取引する彼女は、独立した運送組合から受け取った帳簿を差し出した。
「同じ荷が二度売られています。救貧院の購入費で買われ、北門の倉庫に移され、その後、隣国向けの高値で売却された」
「商人の帳簿に過ぎん!」
「納税記録とも一致します」
セーラは監察官に目配せした。
さらに、証言台に一人の御者が立った。
ライアンに荷車の行き先を教えた青年だった。
顔は青白い。
「脅されていたのか」
監察官が尋ねる。
「はい。話せば家族を追い出すと言われました。でも……子供の食べ物だと知って、黙っていられなかった」
広場がざわめいた。
ライアンは青年を見つめた。
自分が証言を公表しなかったのは、彼を守るためだった。
今、青年は自分の意思で立っている。
「ありがとう」
ライアンの声は小さかったが、青年には届いた。
王室代理人は兵士に合図した。
「証人を拘束しろ。反逆者の仲間だ」
兵士たちが動きかけたとき、セラが人垣を抜けてきた。
かつてユイを抱えて戸を叩いた母親は、いまでは救護所を率いる治癒師だった。
「広場には子供も病人もいます。武器を抜くなら、まず私たちを押しのけることになります」
彼女の後ろには医師や看護人が並んだ。
戦うためではなく、倒れた人を助けるために来ていた。
ガイアは門の外から声を張った。
「俺の兵には、許可なく一歩も入るなと命じた。王都の兵も、命令の意味を考えてくれ!」
広場の兵士の一人が、剣から手を離した。
次の一人も続いた。
セーラは高等法院の監察官に向き直った。
「執行停止に加え、証拠保全と被告の身柄保護を求めます」
監察官は書類を確認し、静かに命じた。
「ライアン・タクトの拘束を解け。新たな審理まで、安全な場所で保護する」
縄が外れた。
ライアンの膝が折れた。
倒れる前にガイアが駆け寄り、体を支えた。
「遅くなった」
「間に合ったよ」
セーラの声は震えていた。
ライアンは彼女の指に残る封蝋の赤い跡を見た。
英雄が奇跡を起こしたのではない。
眠らず書類を揃え、署名を得て、広場まで走ってきたのだ。
「ありがとう。お前が間に合わせてくれたんだな」
「怖かった?」
ライアンは息を吐いた。
「怖かった。お前たちを巻き込んだことも」
「父さん」
ガイアは子供のころのように顔を歪めた。
「俺たちを育てたのは、助けを求めるなって教えるためじゃないだろ」
ライアンは返事の代わりに、息子の背中を抱いた。
広場のあちこちから、人々が近づいてきた。
軍服の者、商人の服の者、教師、職人、農夫。
遠くから駆けつけた者も、王都で暮らしていた者もいる。
百人全員が広場に立てたわけではない。
遅れて来た者も、遠い町から証言や帳簿の写しを送った者もいた。
広場に姿のない者の働きも、処刑を止めるための証拠を支えていた。
だが、彼らがライアンのために動いたことは確かだった。
セーラが小さく笑った。
「父さん、覚えてる? 昔、百人分の名前を帳簿に書いたこと」
「ああ」
「今度は私たちが、父さんの名前を守る番だった」
ライアンは広場の少年を探した。
少年は人垣の向こうで、食堂の調理係と手をつないでいた。
「腹は減ってないか」
ライアンが声をかけると、少年は泣きながら頷いた。
「減ってる」
「じゃあ、まず食堂へ行こう。判決はまだ残っている。俺も監督官の許可を得なければ動けないが、あの子の食事だけは止めたくない」
執行停止の命令が正式に記録されたあとも、判決が取り消されたわけではなかった。
セーラは再審査の手続きを進め、マリナは失われた麦の行方を追うことにした。
広場に残った配給待ちの人々を見て、ライアンはガイアの手を握った。
「俺が助かっても、あの人たちの食事は戻らない」
「分かってる。だから、ここから先も続けよう」
父を救ったことを終点にしない。
それが百人の子供たちの選んだ答えだった。




