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飢えた孤児100人を育てた俺、20年後に英雄たちから「父さん」と呼ばれています  作者: レモンティー


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第五十八話 女王になった娘が、父さんのために王冠を外した

「隣国の軍を、食料と一緒に入れるわけにはいきません」

王国の大臣は、エレナの差し出した協定案を机へ戻した。

「兵は国境を越えません。穀物だけを、王国側の輸送隊へ引き渡します」

「では、なぜ女王自らお越しに?」

エレナは答えに詰まった。

隣国の女王となった今も、彼女にはライアンを「父さん」と呼ぶ気持ちがある。

父が守ろうとした救済所へ麦を届けたい。

けれど、その願いを国の力で押し通せば、飢えた人々のための食料が政治の道具になる。

エレナは王冠を外し、机に置いた。

「私がここへ来た理由は、父に教わった約束を忘れたくないからです」

大臣が眉をひそめる。

「王冠を外せば、女王の責任も外せると? その穀物が国境を越えたあと、誰が行き先を保証するのです」

「いいえ。だからこそ、私の感情だけで協定を結びたくないのです」

彼女は用意した書面を開いた。

穀物の数量、輸送費、検査の担当、保管中に失われた場合の調査方法。

一つずつ説明すると、財務官が手を挙げた。

「紛失があれば、どちらの国が補填するのですか」

「事実を調査してから、両国の議会へ報告します」

「その間に、村では人が飢える」

その指摘は正しかった。

エレナは即答せず、随行の担当官と協議した。

予備の麦を別枠で確保し、損失調査の途中でも最低限の食事が止まらないようにする。

その費用の上限を明記し、後日の監査を受けることも加えた。

昼になっても会談は終わらなかった。

廊下で待っていたライアンは、娘の疲れた顔を見て言った。

「お前、昔から頑固だったな」

「父さんのせいよ」

エレナは笑おうとして、うまく笑えなかった。

「私は助けたいの。でも、女王の名前で約束すると、私の国の農民が払うことになるかもしれない」

ライアンは黙って話を聞いた。

「父さんなら、どうする?」

「腹を空かせてる人の話を聞く。それから、麦を作った人の話も聞く」

「……どちらも、ね」

「俺は昔、それができなくて失敗した。お前は俺より広い場所を見なきゃならない」

エレナは王冠を抱え直した。


午後の会談には、国境の農民と荷役人の代表も招かれた。

農民は自国の備蓄まで失うことを恐れ、荷役人は検査の遅れで麦が傷むことを心配した。

エレナは輸送量の上限と国内備蓄の下限を協定に書き加えた。

荷役人の提案で、袋には番号を付け、引き渡しのたびに双方が記録することになった。

「立派な言葉より、袋の数を間違えないことです」

年配の荷役人がそう言うと、エレナは深く頷いた。

夕刻、協定が成立した。

国境で待つ兵士たちは武器を下ろし、王国側の御者が麦を受け取った。

最初の荷車が救済所へ着いたという報告は、夜遅く届いた。

エレナは父のいる食堂を訪ねた。

そこには王宮の食器も、女王の席もなかった。

ライアンが木の椀にスープをよそう。

「今日はよく働いたな」

エレナは王冠を膝に置いた。

「褒めてくれるの?」

「麦を運んだ人たちにも、礼を言わないとな」

「もう書いたわ。農民にも、荷役人にも、検査官にも」

ライアンは嬉しそうに笑った。

「じゃあ、少しは俺より上手になった」

エレナは湯気の立つ椀を両手で包んだ。

王冠は重い。

だが、誰かに押しつけずに持ち続けることはできる。

帰国前夜、エレナは国境の倉庫を訪ねた。

穀物袋には二つの国の印が並び、検査官たちが声を掛け合っていた。

「陛下、ここで何か起きれば、双方から責任を問われます」

随行官の言葉に、エレナは頷いた。

「それでいいの。責任の所在が曖昧な善意は、困ったときに人を守れない」

倉庫の端で、年老いた荷役人が破れた袋を縫っていた。

エレナが礼を言うと、老人は首を振った。

「礼は、麦を受け取る人に言ってもらいな。俺は仕事をしてるだけだ」

エレナは笑った。

その言葉は、父が何度も口にした言葉に似ていた。


翌朝、ライアンは見送りに来た娘へ言った。

「王冠を外したお前も、王冠をかぶったお前も、俺の娘だ」

「じゃあ、女王として間違えたら?」

「叱るよ。父親だからな」

エレナは涙をこらえ、今度は王冠をかぶったまま馬車へ乗った。

協定が結ばれた翌日、国境の小さな農村から抗議文が届いた。

村の倉庫には今年の種麦が少なく、輸出した穀物が戻らなければ春の作付けが危ういという。

エレナは帰国の予定を一日延ばした。

「協定の数字は合っているはずです」

随行の財務官が言う。

「数字が合っていても、困っている人がいるなら確かめたい」

村へ向かうと、畑には収穫後の短い茎が残っていた。

村長は王冠を見ても膝をつかなかった。

「陛下の慈悲で隣国が助かっても、うちの子が春に食べるものはどうなる」

エレナは謝罪の言葉を探したが、先に倉庫を見せてもらった。

種として取っておいた袋には赤い糸が結ばれている。

そのうち何袋かが輸送用の荷車に積まれかけていた。

「この赤い糸は?」

「種麦の印です。食べる麦と混ぜるなと、先祖から教わってきました」

財務官が帳簿を確認すると、輸送業者の集計欄に種麦と食用麦の区別がなかった。

エレナはその場で出荷を止めた。

契約量を守るために、農民の来年を奪うわけにはいかない。

「約束した量が減れば、王国側の救済所は困ります」

財務官は苦い顔をした。

「減らさない。別の地域の余剰分を調べ、足りなければ予備費で買い付ける。ただし、買い占めにならないよう価格の上限も確認する」

エレナは村長に向き直った。

「あなたたちの種麦は運びません。今日の間違いも、両国の記録に残します」

村長は長い沈黙のあと、赤い糸の袋を倉庫の奥へ戻した。

会談の終盤、エレナは国境の検査所で働く若い官吏に質問した。

「一日で何台の荷車を調べられますか」

官吏は予定表を見て、申し訳なさそうに答えた。

「通常の倍でも十二台です」

協定案には二十台と書かれていた。

大臣たちは顔を見合わせた。

エレナは自分の署名欄に筆を置かず、輸送日程を二日に分けた。

「私が急げと命じても、現場の手は増えません」

官吏は深く頭を下げた。

「ありがとうございます」

エレナは王冠を見つめた。

外す勇気より、かぶったまま現実の数字を受け入れる勇気が必要なのだと感じた。

夜、エレナは父へ手紙を書いた。

『王冠を外したとき、私は娘に戻れたと思いました。

でも、王冠をかぶっているからこそ止められる間違いもあるのですね』

返事は短かった。

『止めてくれてよかった。

来年のパンまで数えたなら、今日はよく眠れ』

エレナは手紙を読み返した。

女王として正しい決断をすることと、父に褒めてもらうことは、いつまでも同じではない。

それでも、迷ったときに思い出す食卓がある。

そのことだけは、王冠より確かな支えだった。


その夜、彼女は王冠をかぶり直して帰った。

父に会うためではなく、翌朝も国の仕事をするために。

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