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飢えた孤児100人を育てた俺、20年後に英雄たちから「父さん」と呼ばれています  作者: レモンティー


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第三十四話 世界最強の暗殺者が、子供一人を守るため正体を明かした

少女イネスは、窓の外に立つ男を二度見た。

最初は街灯の影だと思った。

二度目には、男が塀を越え、こちらを見上げていた。

「伏せて」

背後から伸びた手に肩を引かれた直後、矢が寝台の柱に突き刺さった。

黒衣の男は、イネスを抱えたまま廊下へ滑り込んだ。

「誰なの」

「シオン。昔、ここで育った」

その名を聞いた衛兵は、顔色を変えた。

シオンは国境の密偵たちに恐れられる暗殺者だった。

けれど、ライアンの家で育った百人の一人でもある。

「その子から離れろ」

衛兵長が剣を抜く。

シオンは少女から手を離し、短剣を床へ置いた。

「彼女を安全な部屋へ。行き先は俺にも教えるな」

「信用できるものか」

「信用しなくていい。窓の矢を調べろ。俺の言葉より証拠が先だ」

イネスは震える声で言った。

「私が見たせいなの?」

三日前、彼女は救済金を横領していた役人の荷車を目撃した。

荷札を写した紙は、まだ靴底に隠してある。

「見たことは悪くない」

とシオンは答えた。

「悪いのは、口を封じようとした人間だ」

衛兵長はイネスを窓のない控室へ移した。

シオンには近づくなと命じる。


その夜、ライアンが駆けつけた。

「お前が護衛に?」

「断られた。正しい判断だ。俺は追われる側でもある」

「なら、ここでできることを探そう」

ライアンは少女に温かい粥を届けた。

扉越しに声をかけたが、返事はない。

皿を置き、少し離れた椅子に座る。

やがて扉が開いた。

「シオンさんは、悪い人?」

「悪いことをしてきた人間だ。だからこそ、今何をするかは確かめないとな」

ライアンは息子をかばわなかった。


翌朝、衛兵長はイネスの証言を記録した。

シオンは矢の作りを調べ、同じ工房の品が別の事件にも使われていたと報告する。

しかし、それだけで犯人を特定できるわけではない。

「誰が来るか分からない。囮なら俺ができる」

「人を殺す気か」と衛兵長。

「いや。逃走路を一つ残して、追手を誘導する。捕まえるのは衛兵の仕事だ」

作戦は衛兵長が立て、シオンは承認された役割だけを引き受けた。

裁判の日、イネスは証言台の前で足を止めた。

「怖い」

ライアンは頷く。

「途中で休んでもいい。言えないことは、言えないと答えていい」

傍聴席の端に、黒衣を脱いだシオンがいた。

顔を隠す布もない。

イネスは彼を見つけて驚いた。

「顔を出していいの?」

「今日ここにいる理由を、隠したくない」

その瞬間、廊下で足音が重なった。

偽の裁判所職員が控室へ向かおうとしたのを、衛兵が止める。

男の袖から細い刃が落ちた。

シオンは駆け寄らなかった。

持ち場を離れれば、別の侵入者を見落とすかもしれない。

彼は衛兵長に合図し、証言台と出口の間に立った。

「俺がここにいる。続けるかは、君が決めていい」

イネスは一度水を飲み、荷札の文字を読み上げた。

証言は、彼女が見たことだけだった。

誰が命令したかまでは分からない、とも明言した。

裁判はその日のうちに終わらなかった。

役人の関与も、矢を放った男の雇い主も、さらに調べる必要がある。

それでもイネスは、初めて自分の足で控室を出た。

「シオンさん。どうして、名前を隠さなかったの」

「昔は名前を消すほうが誰かを守れると思っていた。でも今日は、名乗って責任を負うほうが必要だった」

「怖くなかった?」

「怖かったよ」

イネスは小さく笑った。

ライアンは二人の背を見ながら、胸の奥で静かに思った。

強い子になれと育てた覚えはない。

ただ、困っている誰かを見捨てない人間になってほしかった。

裁判所を出たイネスは、顔を隠さず歩くシオンを見つけた。

「怖くないの」と聞くと、彼は少し考えて「怖いさ。でも、今日は逃げない」と答えた。

ライアンは二人の間に割って入らず、少し後ろから見守った。

事件の翌日、シオンの名は王都中に広まった。

護衛を申し出る者もいれば、かつての仕事を理由に遠巻きにする者もいた。

守られた少女は、食堂の入口で足を止めた。

「私のせいで、みんながあの人を怖がってる?」

ライアンは答えを急がなかった。

「シオンが名乗ると決めたのは、自分の意思だ。お前が背負うことじゃない」

シオンは少女の前に膝をつき、手袋を外した。

「怖いと思っていい。僕がしてきたことは、消えないから」

「でも、助けてくれた」

「それも、消えない」

少女はしばらく黙っていたが、小さな声で尋ねた。

「じゃあ、これから何をするの?」

シオンは答えに詰まった。

誰かを殺すための計画なら、いくらでも立てられた。

だが、明日を守るために自分ができることは、まだ少ない。


翌朝、彼は避難所の見回りを申し出た。

顔を見せるたび、怯える子供もいた。

それでも名を隠さず、同じ時間に同じ場所へ通った。

一週間後、少女が門の前で手を振った。

「シオンさん、今日は遅刻してないね」

それは称賛でも赦しでもなかった。

ただ、約束を守った人に向けられる、当たり前の言葉だった。

食堂の古い掲示板には、シオンが毎日巡回した場所と時間が書き込まれた。

誰でも見られるようにするためだった。

ある日、少女はその横に自分の字で「ありがとう」と書いた。

シオンはしばらく見つめたあと、その文字を消さずに残した。

誰かに恐れられたままでも、守ることはできる。

だが信頼は、一度の勇敢な行動ではなく、毎日の約束から生まれるのだ。

衛兵長はシオンの巡回記録を見ながら、なお疑わしそうに言った。

「毎日同じ道を通れば、襲撃者にも行動を読まれる」

「だから経路はあなたが決めてください。俺には当日の出発時刻だけ教えてくれればいい」

シオンは地図から手を離した。

自分がすべてを知る必要はない。

少女を守る人間が増えるほうが大切だった。

イネスは二人のやり取りを聞き、初めて衛兵長に尋ねた。

「私が見た荷車のこと、まだ話したほうがいい?」

「怖ければ、今日でなくてもいい」

衛兵長が答えると、イネスは靴底から写しを取り出した。

紙は汗で滲んでいたが、荷札の番号だけは読めた。

「これを渡したら、私が見たことも消えちゃう?」

「消えない。君の言葉として記録に残す」

シオンは廊下でその会話を聞いていた。

かつての自分なら、荷車の主を見つけて一人で始末しただろう。

だが、それではイネスが証人として声を持つ機会を奪ってしまう。


数日後、役人は正式な取り調べを受けた。

シオンは証言台に立たなかった。

立つ必要がなかったのだ。

「あなたが助けたのに、何もしなくていいの?」とイネスが聞く。

「君が話せた。今日はそれが一番いい」

イネスの証言を記録する日、衛兵長は机の向きを変えた。

扉が見えない席では、少女が何度も振り返ったからだ。

「途中で帰りたくなったら、帰っていい」

衛兵長の言葉にイネスは驚いた。

「そしたら、悪い人が逃げるかもしれない」「それは大人たちの仕事だ」

廊下にいたシオンは、その答えを聞いて目を伏せた。

彼が守るべきだったのは少女の命だけではない。

怖いと言える場所も、黙っていられる時間も、守る必要があった。

記録が終わると、イネスは自分で扉を開けた。

シオンは追いかけず、ただ廊下の端で道を空けた。

シオンが自分の名を取り戻した日、守られた少女もまた、自分の声を取り戻し始めていた。

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