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飢えた孤児100人を育てた俺、20年後に英雄たちから「父さん」と呼ばれています  作者: レモンティー


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第百八話 父さんの名前を知らない村

橋があるはずの場所には、折れた杭が三本突き出していた。

「道を間違えたかな」

ライアンが地図を広げると、対岸から声がした。

「おーい。渡るなら、舟を出すぞ」

村人が寄せた小舟に乗り、ようやく川を越えた。

村長は旅人の名を聞いても顔色を変えなかった。

「ライアン? 知らない名だな。まあ、まず湯を飲め」

王都では『百人の英雄の父』

と呼ばれるようになった。

だが、この村では、ただ道に迷った老人だった。

村の診療所には、薬を待つ子供がいた。

春の増水で橋が流され、定期便が止まったという。

「役所には?」

村長は三通の封筒を出した。

すべて『住所不明』

の印を押され、戻ってきている。

「ここに何十年も住んでいるのに、紙の上では村がないらしい」

ライアンは返事に窮した。

空腹の旅人に湯を出してくれる村が、地図の上では森になっていた。


その晩、ライアンは王都のマリナへ事情を書き送った。

だが、救援が来るまで子供の薬を待たせるわけにはいかない。

「今夜渡れる道は?」

村長は川を指した。

「舟だ。ただし、増水したら出せない」

村人と相談し、舟の当番、渡せる荷の重さ、川が荒れた日の連絡方法を決めた。

無理に舟を出さないことも、最初の約束にした。

翌日、薬を運ぶ使者が川向こうに到着した。

ライアンは舟を急がせようとしたが、船頭は水面を見て首を振る。

「今は流れが速い。昼まで待つ」

子供の母親が唇を噛んだ。

ライアンも焦った。

だが、船頭を押し切らなかった。

薬を届けるために、誰かを川へ沈めてはならない。


昼過ぎ、流れが落ち着いてから舟が出た。

診療所に薬が届き、医師が子供の状態を確かめた。

すぐに治るとは言えなかったが、治療を続けられるようになった。

三日後、マリナが古い測量記録を持って到着した。

「昔の地図には村の名前がある。でも、地図を更新したときに落ちてしまったみたい」

「なら、書き戻せば済むのか」

「それだけじゃ駄目。申請を受け取る窓口も、返事を出す宛先も必要よ」

マリナは役所に受領番号の発行を求め、村長には申請書の控えを渡した。

橋の修理費は、資材の運搬費と完成後の点検費を分けて計算した。

ところが、村長は書類を見て眉を寄せた。

「地図に載ったら、税だけ取りに来るんじゃないか」

マリナは否定しなかった。

「そう心配するのは当然です。負担と受けられるサービスを、村の皆さんが確かめられる形にします」

集会所で説明が行われた。

反対する者もいた。

村の名を公にすることが、誰にとっても喜びとは限らなかった。

ライアンは口を挟まず、村人たちの話を聞いた。

「俺たちは橋が欲しいんだ。偉い人の記念碑じゃない」

若い船頭の言葉に、村長が頷いた。

「そうだ。橋の名前も、俺たちで決めたい」

工事は村人と職人が協力して進めた。

大きな資材は山道を通れないため、小分けにして安全な日に舟で運んだ。

橋脚を固め、手すりを付け、冬の凍結に備えて点検当番を決めた。

完成の日、最初に橋を渡ったのは式典の行列ではなかった。

診療所へ向かう小さな荷車だった。

「帰り橋にしよう」

村長が言った。

「向こうへ行った人が、帰ってこられるように」

ライアンは頷いた。

出発の日、村の子供が尋ねた。

「おじさん、本当に有名なの?」

「どうだろうな。ここでは道に迷っただけだ」

子供は笑って干した果物を一つ渡した。

「じゃあ、今度は迷わないでね」

新しい地図には、村の名前が小さく記されていた。


翌日、橋の仮修理を始める前に、ライアンは村人から川の増水する時刻を聞いた。

地図の線より、そこで暮らす人の経験が頼りになった。

村の名を知らなかったことを恥じるより、今度は道を間違えず訪ねられるよう記録した。

村からの返書には、ライアンの名ではなく、運んだ荷の到着日が書かれていた。

マリナはそれを見て微笑んだ。

「名前を覚えてもらうために送ったんじゃないものね」

ライアンは頷き、次の便で不足している道具を届ける手配をした。

村の診療所へ薬を届ける相談をすると、村長は地図の川を指した。

「橋が流されるのは、今年が初めてじゃない。王都から立派な橋を作っても、次の大水で同じことになる」

ライアンは黙って聞いた。

「では、どこに渡し場を作ればいい?」

「それを一緒に考えてほしい。ここで暮らす者の話も聞いて」

村の舟守は、流れの速い季節と安全な岸を説明した。

診療所の職員は、薬が切れる前に知らせるための連絡日を決めた。

夕方、ライアンは食堂の片隅で村の子供と芋の皮をむいた。

「おじさん、偉い人なのに、なんでそんなことしてるの?」

「偉いかどうかは分からん。でも、夕飯を食べるなら手伝える」

子供は笑い、芋を一つ余計に渡した。

「じゃあ、僕の分も」


翌朝、村長は王都への手紙をライアンに預けた。

橋を直してほしいという願いだけでなく、舟の運行費や雨季の薬の備蓄について、村で決めた案が書かれていた。

「名前を知らなくても、話を聞いてくれたからな」

ライアンは手紙を懐に入れた。

誰かの父として知られることより、知らない村で一人の旅人として頼られることが、妙に嬉しかった。

帰路、ライアンは橋のない川をもう一度渡った。

舟を出した村人は、今度は薬箱の置き場所を相談してきた。

「増水したら、舟を出せない日もある」

ライアンは王都の支援を約束する前に、村人たちが決めた備蓄場所を聞いた。

高台の倉庫は鍵を持つ人が一人しかいない。

そこで鍵の管理を二人に分け、使った薬を補充する記録を残すことになった。

村長は最後まで彼を有名な英雄の父とは呼ばなかった。

「また来たら、湯くらい出すぞ」

ライアンは笑って手を振った。

名前より先に交わした約束が、村に残った。

王都へ戻ったライアンは、橋の修理を急ぐよう一方的に命じる代わりに、村から届いた地図を役所へ渡した。

川が増水する季節と、舟を出せない日が書き込まれている。

村人の暮らしを知らないまま立派な橋を架けても、道がつながらなければ薬は届かない。

担当者は現地へ行き、村長と相談して工事の順番を決めた。

だがライアンが忘れずに持ち帰ったのは、地図より先に差し出された、一杯の湯の温かさだった。

村長は工事の日程を皆に知らせ、橋ができるまでの舟の当番を改めて組み直した。

次の増水に備えた見張りも決めた。


数週間後、橋の仮設工事が始まったと知らせが届いた。

添えられていたのは役所の立派な通知ではなく、村長が自分で描いた川の絵だった。

水位が上がる場所には赤い印、舟を休ませる場所には青い印。

ライアンは食堂の壁にその絵を貼った。

子供が「父さんの名前、村の人は知らなかったの?」と尋ねる。

「知らなかったよ。でも湯をくれた」

子供は少し考えて笑った。

「それなら、名前を教える前から家族みたいだね」

ライアンは否定しなかった。

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