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飢えた孤児100人を育てた俺、20年後に英雄たちから「父さん」と呼ばれています  作者: レモンティー


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第百六話 女王が市場の売り子になって知ったこと

リューネ王国の市場に立ったエレナ女王は、最初の一時間で野菜を一つも売れなかった。

身分を隠して店先に立ち、商人と同じように値札を書いた。

ところが客は、野菜を見る前に通り過ぎていく。

「高すぎるのかしら」

値札を書き直そうとしたとき、杖をついた老人が道の向こうで足を止めた。

老人が見ていたのは値段ではない。

荷車の通る石畳と、店先を隔てる高い段差だった。

「安くても、あそこまでは行けないんだよ」

エレナは言葉を失った。

宮殿では何度も『市場の活性化』という報告を聞いた。

売上や税収の数字は知っていたのに、買い物に来られない人のことは数えられていなかった。

買い物籠を提げたライアンが隣に立つ。

「今日は野菜を売るためだけに来たんじゃないんだろう」

「ええ。けれど、見つけた問題をどう直せばいいか分からないの」

「だったら、使っている人に聞こう」

エレナは市場の管理人を呼んだ。

段差は雨水が店へ流れ込むのを防ぐために造られたという。

「平らにすれば済むわけではないのね」

「雨が降ると、今度は野菜箱が水に浸かります」

石工は水路を残して傾斜を緩くする案を描いた。

しかし荷車を押す商人は、通路が狭くなると反対した。

「この幅では車輪が引っかかる。荷を下ろす場所もない」

老人は図面を見ても首を振った。

「石が滑るなら、坂になっても歩けないよ」

三人の意見は食い違っていた。

エレナは誰か一人の言葉だけを採用せず、現場で幅を測り、濡れた石の滑りやすさを調べるよう頼んだ。

「陛下が決めてくだされば早いのですが」

管理人が言う。

「早く決めて、使えない道を造るほうが困るでしょう」

エレナは図面の端に『杖・荷車・雨天』と書き込んだ。


翌日の会議では、工事中に店を閉める日数が争点になった。

一週間休業すれば、日々の売上で暮らす商人には大きな損失になる。

「国が直すのだから我慢しろと言われても、明日の仕入れ代は必要です」

若い女商人が言った。

エレナは工事を区画ごとに分け、片側の通路を開けたまま作業できないか石工に尋ねた。

「時間は延びます。費用も少し増えます」

「それでも、暮らしを止めずに直せるなら検討する価値があるわ」

工事日程を掲示し、荷車の迂回路も設けた。

反対していた商人たちは、休業日を前もって知れるならと協力を申し出た。

最初の工事が終わった日、老人は新しい坂をゆっくり上がった。

「これなら行けそうだ」

その隣を荷車も通り抜けた。

エレナは胸をなで下ろしたが、石工は首を振った。

「晴れの日に通れただけです。雨の日も試さないと」


三日後、雨が降った。

新しい傾斜を流れた水が角の店に集まり、排水溝の蓋では車輪が横滑りした。

「私が見落としていたわ」

エレナは商人たちに謝った。

石工は溝を掘り直し、滑りにくい石へ取り替えた。

店を閉める必要がある区画には、前日までに知らせを届けた。

工事が延びたことに不満は出た。

それでも、危険を隠したまま完成と言い張るよりはよかった。

再点検の日、杖の老人は坂を上がり、店先で野菜を選んだ。

「今日は買える」

エレナはその言葉を聞いて、ようやく笑った。

「一束、いかがですか」

老人は銅貨を置いた。

エレナが釣り銭を数え間違えると、隣の商人がすぐに教えてくれた。

「女王陛下でも、商売は練習が必要ですね」

「もう気づいていたの?」

「初日から。けれど、ちゃんと働く人なら歓迎しますよ」

笑い声が広がった。

ライアンは買った野菜を籠に入れた。

「よかったな。ようやく一束売れた」

「それより、あの人が自分で買いに来られたことがうれしい」

宮殿へ戻ったエレナは、市場改修の報告書に『完成』と書こうとして手を止めた。


翌月、別の店が通路に野菜箱を並べれば、老人はまた歩けなくなるかもしれない。

排水溝が詰まれば、雨の日の危険も戻る。

彼女は管理人に、荷物を置ける範囲を石畳に示し、毎朝通路を確かめる役目を任せた。

市場の入口には、歩きにくい場所を知らせる掲示板も置いた。

最初の週に三件、次の週には五件の意見が寄せられた。

「苦情が増えました」

役人は心配したが、エレナは首を振った。

「言えなかった人が、言えるようになったのかもしれないわ。数だけで判断しないで、現場を確かめて」

月末、エレナは再び市場を訪れた。

杖の老人だけでなく、荷車を押す若い女性も、子供の手を引いた母親も、新しい道を通っていた。

一方で、掲示板には『朝の荷下ろしの時間は通路が狭い』と書かれていた。

女王はその紙を剥がさなかった。

直した場所を、明日も使えるようにする。

そのためには、困りごとが残っていることを知り続けなければならない。

その日、エレナは市場の管理人と二つの約束を交わした。

一つは、掲示板に寄せられた意見を月に一度、商人と利用者が一緒に確かめること。

もう一つは、修理をした人だけでなく、毎日そこを歩く人にも点検の結果を伝えることだった。

「点検表を作れば、それで安心ですか」

若い役人が尋ねる。

「いいえ。点検表に『異常なし』と書くことが目的になったら、また見落とすわ」

エレナは杖の老人に、雨の日の歩き心地を改めて聞いた。

「前よりずっといい。けど、夕方は荷車が並んで、道の端に寄るのが怖い」

役人が記録帳を開いた。

「では、荷下ろしの時間を変えるよう命じます」

「命じる前に、商人にも聞いて。夕方しか荷が届かない店もあるでしょう」

女王の言葉に、商人の一人が頷いた。

「うちは山からの荷が夕方になる。朝に変えろと言われたら、店を続けられない」

話し合いの末、荷下ろしをする場所と歩く道を、時間帯ごとに分けて試すことになった。

初日は看板を見落とす人がいた。

二日目には、管理人が通路の入口で声をかけた。

三日目、老人は荷車を避けずに歩けた。

「これなら、買い物の帰りも安心だ」

エレナはその言葉を帳面に残した。

改善は一度で終わらない。

失敗したときに直せるよう、誰が、いつ、どこで困ったかを聞き続ける必要がある。

ライアンは女王の帳面を覗き込み、少し笑った。

「ずいぶん書くことが増えたな」

「ええ。売上の数字より、覚えておきたいことが多くなったわ」

「父さん、最初は野菜を一束も売れなかったの」

「今は?」

「一束売れたわ。それに、次に直すところも見つけた」

ライアンは笑った。

「それなら、いい一日だったな」

エレナは泥のついた靴を見下ろした。

宮殿の机では見えなかったものが、石畳の上にはあった。

彼女はその泥を落とす前に、次の点検日を手帳へ書き込んだ。

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