第2話 支店の閑古鳥、寿司テロのせいでした
※2話は寿司テロ・異物混入・過剰な謝罪などの描写があります。
第2話です。1話を未読の方はそちらからどうぞ。
あの夜から数週間が経った。
海響亭の朝は穏やかだった。仕入れの量は当たるようになり、廃棄に回す皿は片手で数えられる程度。オルカの唸り声は完全に消えて、代わりに鼻歌が厨房から聞こえてくる日もあった。
ある朝、店じまいの後、オルカが満足げに帳簿を閉じた。
「あんたら、ボーナスだよ」
ラトラ先輩が「えっ」と小さく声を上げた。オルカは大きな手で銀貨の入った袋を、それぞれの店員のカウンターの前にどんと置いた。
「日頃の働きの分だ。好きに使いな」
袋を開けてみると、銀貨が三枚入っていた。住み込みで食事付きの月給が四〜五枚だから、まあまあの臨時収入だ。
「ちょうどいい、明日、半日休みにしてやるよ。あんた、まだ身の回りも落ち着いていないだろ」
さすがオルカだ、体格だけじゃなく気風もいい。ありがたく休みをいただくことにして、明日は服や靴なんかを買おうと決めた。
◆◆◆
港町の中央通りは、相変わらず種族ごとに大きさの違う獣人で賑わっていた。屋台で朝飯を済ませ、古着屋で麻のシャツとズボンを買う。靴も探していると伝えると、店主はこう言った。
「それなら向かいの2軒となりがいいよ。あそこは俺たちくらいのサイズの品揃えもいい。何より狭いからデカいヤツが来ない」
教えられた店内に入った瞬間、足が止まった。壁一面に並んでいる靴の形が、想像していたものと違いすぎたからだ。
爪先が二つに割れたブーツ。蹄の上から被せる革のキャップ。爪が伸びた指先だけ覆うサック型。三本指用、四本指用、五本指用。前足と後ろ足で形が違うやつ。背中側にも穴の開いた、何のためにあるのか分からない形。
種族ごとに足の構造が違うのか。俺の足には、ほとんどが合わない。それでもキツネ獣人らしい店主が「サル獣人用なら五本指で踵もあるわ」と勧めてくれた一足が、ぴったりだった。
無事欲しかったものを買い揃えて、昼前に本店に戻った。
ラトラ先輩がカウンターから振り返って、「あら、クロサカくん、馴染んできたじゃない」と笑った。
「午後からのバイト、入りますよ」
「そろそろ仕込みも上がる頃よ。エプロン、新しいの卸しておいたから…」
その時、厨房の奥から、オルカが出てきた。
いつもと顔つきが違う。
眉間に深い皺が刻まれて、ギザギザの歯が、わずかに食いしばられている。カウンターに大きな両手をついて、こちらに身を乗り出した。
「クロサカ、これからバイトってところ悪いんだが、予定を変更してアタシに同行してもらうよ」
「どこにですか」
「西街区の支店。あんた、ついてきてくれるかい」
オルカの低い声が、店内の空気を一段下げた。エプロンの紐に手をかけたまま止めて、俺は話に集中することにした。
「西街区の支店長――ペンタって男なんだけどね。普段から『大変です』『もう駄目です』が口癖の小心者なんだ。今までも何度か、半泣きで連絡が来たことがある。まあ、ほとんどは大したことなかった」
ラトラ先輩が、横で小さく頷いた。「ペンタさん、有名ですよね」
「あんたなら、この前みたいに何か見てみたら分かることがあるんじゃないか? 仕入れの予測、あれ、見ただけで当てたじゃないか」
ラトラ先輩が「クロサカくん、社長に名指しされてるよ」と肘で小突いた。
「すぐに出るよ。荷物は少なくていい」
オルカはそれだけ言うと、また厨房に戻っていった。
◆◆◆
馬車に乗って西街区へ向かう。
馬車といっても、荷馬車に幌をかけただけの簡素なものだった。御者は寡黙な大型獣人で、オルカと一言二言交わしたきり、ずっと前を向いて手綱を握っている。
港町の市場を抜け、商店街を抜け、街道に出る。両側には麦畑と、見たことのない青っぽい葉野菜の畑が広がっていた。
御者が、馬を進めながら独り言のように呟いた。
「……重いんだよなあ、いつもより」
オルカが荷台の真ん中で、大きな体を折り畳むように座っている。彼女の重みで、馬車の車軸がきしむような音がしていた。
「うるさいよ! 今回はクロサカがいるから仕方ないんだ。アタシ一人なら、泳いでいっちまうんだけどね」
オルカが鼻を鳴らした。
「次は、小舟でも引っ張ろうかね。アタシが川を泳いで、あんたが小舟に乗ればいい」
「そのほうが速そうですね」
彼女が荷台で体を縮めている姿は、窮屈そうだ。いつも立派にふるまうオルカなのに、今は、小さく体育ずわりをしている。かわいらしく見えて仕方ない。
◆◆◆
西街区の海響亭支店は、町の中央通りから一本入った場所にあった。
外観は本店とよく似ている。石造りの二階建て、藍色の暖簾、白い文字で「海響亭 西街区店」。
暖簾が風に揺れているのに、店の前を通り過ぎる人の誰一人として店に視線を向けない。近隣の屋台や商店には客の出入りがある。海響亭の前だけ、ぽっかりと空気が抜けたように静かだった。
暖簾をくぐると、レーンは流れていた。皿に乗った煮込み、焼き魚、丸いパン。湯気も立っている。
客は、二組。
「オルカ社長ぉぉぉ!」
奥のカウンターから、一人の獣人が転がるように出てきた。
俺の胸の高さくらいの背丈で、白黒の体に、頬がげっそりと痩けている。目の下のクマが濃い。ヒレのような短い腕に、大きすぎるエプロンが巻きついていた。
ペンギン獣人だ。
「来てくださってありがとうございますぅぅうぅ! でも、もう、ダメなんですぅぅぅ! うちの店、今度こそ終わりですぅぅぅ!」
声が裏返って、顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。短いヒレでバタバタ、ぴょこぴょこと跳ねながら泣き叫んでいる。
オルカが大きな手を、彼の小さな肩に置いた。ペンタと呼ばれた支店長は、その重みでよろけて、ますます泣き叫んだ。
「ペンタ、いつもの調子だね」
「いつもの調子じゃないんですよ社長ぉ! 今度こそ本当なんですってぇぇ!」
厨房の奥から、もう一人の店員――ウサギ獣人の若い女性が、ひょっこり顔を出した。
「あ、本社の皆さん、いらっしゃいませ。ペンタ店長、今日も元気ですよね〜」
ウサギ獣人は、長い耳をぴょこんと揺らして、お盆を片手に小走りで奥に戻っていった。彼女はすぐに茶を運んできて、当然のような顔で机に置いた。
目の前で泣き叫ぶペンギン獣人はこの店の店長らしい。声を裏返らせて、「もう駄目です」「破産です」「店を畳むしかないです」と繰り返しているが、スタッフは慣れた様子で平然としている。
「ペンタ、座んな。とりあえず話を聞こうか」
オルカがペンタをひょい持ち上げ、どすん。と椅子に座らせた。
「ここ一、二週間で、客足が目に見えて落ちてきてたんです。それでも最初は、町に新しい食堂ができたのかと思いました。でも、違ってて……。昨日、お客様からクレームが入ったんです」
「どんなクレームだい」
「『料理の中に毛が落ちていたぞ、やっぱり噂通り不衛生な店なんだな!』って言われて……」
「噂通り……?」
オルカの眉が、ぴくりと動いた。
「それで、バイトの子に聞いてみたら、どうやら若い子たちの間で、うちの店に毛や虫が入ってるらしいって噂が広まってるらしくて……、皿に髪の毛みたいなのが本当に乗ってたんです。私たちは絶対に入れていないのに! もう、もうダメだぁ〜、おしまいだぁ、死ぬしかないんだあああああ」
「ペンタ、落ち着きな! あんたがそんなんじゃ、まわりの子たちも不安になるよっ」
「いやぁ〜、いつもの事なんで」
ウサギ獣人――ミミと呼ばれていた――が、奥から朗らかに言った。彼女と目が合うと、申し訳なさそうに苦笑して、肩をすくめた。
俺は、店内をぐるりと見渡した。
本店と同様、いや、それ以上に清潔に見える。照明も明るく、レーンもまだ新しい。皿はキレイに並べられており、厨房から見える調理の所作も、本店と変わらない。
湯気の立ちのぼる料理だけが静かにレーンを回り、店内の奥に掛けられた魔道液晶では、やたら明るい店内放送が流れていた。街で人気の吟遊詩人マツダイラ・テンが、画面の中で軽快に歌い踊っている。
「新鮮魚介の海響亭♪ コラボ限定グッズは五種類のピック! 今ならお食事ごとに一つプレゼント♪」
客が二人しかいない店内に、その軽快なジングルだけが虚しく響いていた。
噂通り…? だが、ペンタによれば、店ではこれまで異物混入のインシデントが起きたことはないらしい。
じゃあ、噂の根拠は何だ? 誰かが、根拠なく噂を流したのだろうか。
オルカの瞳が、暗くなった。
ギザギザの歯が、上下で擦れて、カッカッと小さな音を立てた。
「……誰だい。誰がそんな根も葉もないことを」
オルカの両手が、握り込まれて節が鳴った。鼻先から、ふっと白い霧のようなものが漏れる。湿った息が空気中で水滴になっていた。
俺は思わず半歩、後ろに下がっていた。今のオルカの前では、シャチの天敵のホホジロザメだって尻尾を巻いて逃げ出すんじゃないか?
「……まあ、今はこれ以上はどうしようもないね。今日はこのまま、アタシらも店に立つよ。クロサカ、エプロン借りてきな。何が起きてるか、現場を見るのが一番早い」
オルカが立ち上がった。
◆◆◆
夜の営業時間が始まって、しばらくしてからだった。
暖簾をくぐって、四人の若い犬獣人が入ってきた。入店音が聞こえないほど騒々しい。リーダーらしいのは大柄な体つきで、後ろに小柄なのを三人連れている。革ジャケットを羽織って、ジャラジャラとしたアクセサリーにサングラス。いかにもな出で立ちだった。
多少猥雑な土地だ、ということは本店のあたりでも感じていた。それほど珍しくはないだろう。
彼らはボックス席に座ると、アルコールを即座に頼み、そこから、さらにうるさくなっていった。
「でねー、コラボピックあと一つなのによう!」
「ギャハハハ! ご愁傷さま」
「うえーっぷ、俺もう食えねぇよ」
うるさく感じたが、今は他にお客も一、二組程度だ。みんな少し不快そうな顔をして彼らを見ているが、彼らも客ではあるので様子見だな……と思った矢先。
俺は何か、違和感を感じた。
彼らが手にとったはずの皿の一枚が、レーンに戻ってきているように見えた。
その皿は、特別な意匠の皿だった。コラボキャンペーン用に、ほんの数十枚しか作られていないと、ペンタがさっき教えてくれた。模様の細工が細かく、貝殻を粉砕して練り込んだ釉薬で、表面が淡く輝いている。光に当たると、海面の反射のように虹色がちらつく。本店にも数枚しかなく、支店には二十枚程度しかない。俺は一目見た時から、その皿に惹かれていた。釉薬の輝きの粒度、模様の彫りの深さ、縁の角度、底の重みのバランス、皿同士の重ね方による傾斜の付き方――いいぞ、いいぞ、好きな皿だ。おっと今はそうじゃない。
なぜ、レーンに戻ってきているんだ……?
「うわっ、お前マジでやりやがったな」
「やめろってwww」
「ちょっと、誰か止めろよ〜wwww」
不良グループの方から、そんな声が聞こえてきた。何か、嫌な予感がする。しかし、自分の気のせいかもしれない。そう逡巡していると、リーダーが大きな声を上げた。
「うわっ、なんだよこれ! 毛が入ってんじゃねえか! この店、不衛生だぞ!」
店内にいた他の客が、ぎょっと顔を上げた。
「噂、本当だったんだな」
手下の一人が、わざとらしく大きな声で言った。
四人は次々に声を上げて、わざとらしく皿を押しのけ、立ち上がった。
ペンタ店長は、それを見て、ただでさえ白い顔が今度は青くすら見えるほど蒼白になった。一瞬のうちにそのツルッとした躯体を弾丸のように石造りの床に滑らせて、
「もももも、もうしわけございませんでしたぁっっ!!!」
と、彼らの足元で土下座した。
きっと彼の中ではもうギリギリだったのだろう。事実確認もしないままの土下座は、店側が全面的に責任を認める行為だ。それを、店内の他の客が見ている前でやってしまった。
オルカが、隣で短く呟いた。
「ちっ、ペンタのヤツ、悪いクセが出ちまったね」
タイミングが悪かった。早すぎる謝罪、それを目撃した他の客。不安を煽ったまま、大事になってしまった。
「こんな不衛生な経営してる店、はやく潰れちまった方がいいんじゃねぇかぁ!? 金は払わねぇからな!」
「当たり前だよなぁ!」
「ぎゃははははは」
彼らは財布を出すこともなく、ぞろそろ、ジャラジャラと音を立てて出ていった。出口で振り返って、リーダーが一言、捨て台詞のように言った。
「ケッ、シャチが丘で店出してんじゃねえよ」
残った二組の客は、無言で皿を置いた。一組はそのまま黙って金を置いて出ていき、もう一組は気の毒そうにペンタを見て、それでもやはり、何も言わずに帰っていった。
◆◆◆
その夜、ペンタが厨房の隅で、泣き叫んでいた。
「うちの店ぇぇぇ! もう駄目ですよぉぉぉ! お客様、誰も来てくれませんよぉぉぉ!」
オルカは休憩室の椅子に座って、腕を組んでいた。
「あいつら、何者だい」
「町でよく見かける連中ですぅぅぅ! 普段は港の方まで遊びに行って、騒いで、商店に絡んで……今までは、うちの店には来ていなかったんですぅぅぅ!」
俺は黙って、店内の床に落ちている髪の毛を一本、拾い上げていた。短く、黒く、艶がある。犬の毛だ。リーダーの犬獣人の。
「証拠としては、弱いですよね」
俺は呟いた。
「弱いね」とオルカ。「あいつらの毛だと証明できても、客として食事してたら毛は普通に落ちる。『戻した瞬間に毛を入れた』って証明できなきゃ、言い逃れされる」
「現場を押さえるしかない、と」
「現場を押さえても、『偶然、自分の毛が落ちただけだ』で終わりだろう。レーンに皿を戻されると、誰がいつ何をしたか、分からなくなるんだ」
オルカは天井を仰いだ。
「やられたな」
その低い声が、空っぽの店内に重く落ちた。
「先月までは新商品も好調であんなに賑わっていたのにぃいいい!なんでぇえ!なんでこんなことにぃいいいい!」
勢いよく叫んでいたペンタが、地べたに尻もちをついて小さく呟いた。
「もう…、どうすればいいか、私には、本当に分からない…」
頭を抱えるペンタに寄りそうように肩に手をかけたが、なんて声をかけていいか俺には分からなかった。
◆◆◆
その後の数日、俺は西街区の海響亭支店を手伝いながら、町を観察していた。
ペンタは、相変わらずだった。
「クロサカさん、もう駄目です、お客様が一人も入ってこないですぅぅぅ! もう店畳むしかないですぅぅぅ!」
「まだ昼前ですよ」
「でも、もうダメなんですよぉぉぉ!」
ミミが奥から、出汁を取りながら呑気に言った。
「クロサカさん、ペンタ店長は、毎日朝と昼と夕方に三回ぐらい『もう駄目だ』って言うんで、慣れちゃってください〜」
「三回もですか」
「三回ですよ〜」
ペンタは小さなヒレで顔を覆った。
「だってぇ、三回くらい言わないと、気持ちが収まらないんですよぉ……」
ミミが「はいはい〜」とお茶を出した。慣れた手つきだった。
俺がレーン脇で皿を整えていると、暖簾が騒々しく揺れた。
あの四人組が、また入ってきた。
ジャラジャラとしたアクセサリー。サングラス。革ジャケット。リーダーの犬獣人が、勢いよくこちらに向かって笑った。
「おいおい、まだこの店、営業してんのかよ!」
「俺らがしっかり見てやんねとダメだなぁ!」
「ちゃんと衛生管理してんだろうなぁ?」
「噂、もっとひどくなってんぞ!」
ペンタが厨房の奥で、ヒッ、と短く息を吸い込んだ音が聞こえた。
「店長、大丈夫ですよ。今回は俺が対応しますね。店長は事務所で休んでてください。」
ペンタ店長を奥へやると俺は厨房のガラス越しからアイツらを睨みつける。
前と同じならアイツらは俺の罠にかかるはずだ。必ず後悔させてやる…!俺はこぶしを強く握りしめた。
お読みいただきありがとうございました。
次話で完結します。明日17時投稿予定です。
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