第50話 さらば、おむつ地獄
生後二ヶ月──
ジョゼフの健やかな成長は喜ばしいことだが、それに伴い、彼の体内からの「生産物」の量も爆発的に増加していた。
ある冷え込む冬の朝。
ジョゼフが不快そうに泣き声を上げたため、私はすぐさまおむつを替えようとベビーベッドに駆け寄った。しかし、そこに控えていた侍女長が、分厚く硬いウールの布を何重にも重ねて待機していた。
「王妃様、冬の冷たい空気に殿下の玉体を晒すのは危険です。ここは伝統に則り、この分厚い布で殿下の下半身をぐるぐる巻きに固定し、明日の朝まで『蒸らして』おきましょう。少々の汚れなら布が吸い取ってくれますゆえ」
「……は? 明日の朝まで放置!?」
私は耳を疑った。
当時の貴族の赤ん坊は、寒さ対策と「洗濯の手間」を省くために、汚れた布のまま1日〜数日放置されることがザラにあったのだ。当然、強烈なアンモニアの刺激により、赤ん坊のお尻は真っ赤に爛れ、それが原因で感染症を引き起こすことも珍しくなかった。
「不衛生極まりないわ! そんなことをしたら、ジョゼフの極上肌が爛れてしまうじゃないの! おむつは『通気性の良い柔らかい木綿』を使い、汚れたら即座に交換! 1日10回でも20回でも替えるのよ!」
私の絶対命令により、ジョゼフのお尻の平和は守られた。
だが、その代償として「新たな地獄」がベルサイユを襲った。
「お、王妃様……。本日、殿下は大変ご機嫌で……すでに20枚目の布が……」
報告に来た洗濯担当の侍女の手は、あかぎれでひどくひび割れ、血が滲んでいた。
(……しまった! 私の『清潔第一』の指示が、とんでもないブラック労働を生み出しているわ!)
当時のヨーロッパにおいて、洗濯とは文字通りの「重労働の極み」だった。
灰汁を入れた大釜で布を煮沸し、冷たい水場へ運び、濡れて何キロも重くなった布を石の台に乗せ、木槌を使って親の仇のようにバシバシと叩き洗いする。
そして仕上げは、氷のように冷たい水に手を突っ込み、分厚い布を二人掛かりで力任せにねじり絞るのだ。
1日20枚のおむつ交換は、彼女たちの腕と皮膚に対する「死刑宣告」に等しかった。
(……このままでは、侍女たちが過労で倒れてしまう。かといって、現代の全自動洗濯機なんてこの時代にあるわけが……)
私が頭を抱えていたその時。
「バンッ!」と勢いよく扉が開き、木屑まみれのルイが、見慣れない木製の道具をいくつも抱えて満面の笑みで現れた。
「アントワネット! 水場で泣いている侍女たちを見て、僕の『技術者としての血』が騒いだんだ! 見てくれ、この新作の洗濯ツール群を!」
ルイが誇らしげに床に置いたのは、表面に規則正しい波型の溝が掘られた一枚の木の板と、二本の丸太が歯車で噛み合わさった手回し式の機械だった。
「これは……?」
「まず、こちらが『流体力学応用・波型洗濯板』だ! 重い木槌で叩き洗いするから布が傷み、全身の体力も奪われる。この波型の溝に布を押し当てて擦ることで、水流に強力な渦が生まれ、少ない力で汚れだけを物理的に掻き出せるんだ!」
(……出たわね! 現代では当たり前の『洗濯板』を、18世紀に人間工学の観点から発明しちゃったのね!)
「さらに、洗濯で一番過酷なのは、氷水で凍えた手で『重い布をねじり絞る』工程だ。だから、この『双胴ローラー式・脱水機』を作った!」
ルイは、二本の木製ローラーの間に濡れた布を挟み、横のハンドルをくるくると回してみせた。
テコの原理と歯車によって増幅された力がローラーに伝わり、布はスルスルと吸い込まれながら、あっという間に一滴の水分も残さずペシャンコに絞り出されたのだ。
「すごい……! ハンドルを回すだけで、二人掛かりでねじり絞る何倍もの圧力がかけられるのね!」
「そうさ! 歯車の比率を計算してあるから、女性の軽い力でも楽々回せる。氷水に手を突っ込んで皮を剥きながら絞る必要はもうないんだ!」
侍女たちは半信半疑のまま、恐る恐るその「波型洗濯板」と「脱水機」を使ってみた。
「お、落ちております! 重い木槌を振り下ろさなくても、板の上で軽く擦るだけで汚れが浮き上がりますわ!」
「こちらの機械も……なんということでしょう、ハンドルを回すだけで、冷たい水に触れることなく一瞬で固く絞り上がりました! まるで魔法です!」
「ふふん、魔法じゃない。ただの物理法則と摩擦の応用さ」
ルイは得意げに鼻をこすり、さらに小さな木箱を差し出した。
「おまけに、これも作っておいた。使用済みのおむつを一時的に入れておく『密閉式ダストボックス』だ。蓋の接合部にパラゴムと蜜蝋を塗り込み、臭いを完全に遮断する二重構造になっている。これでおむつを煮沸するまでの間、寝室の空気も常に清浄だ」
至れり尽くせりの「育児&家事ハック・ガジェット」の数々に、私は心からのスタンディングオベーションを送った。
数日後。
ベルサイユ宮殿からは、おむつを放置したことによる異臭も、重労働とあかぎれに泣く侍女たちの嘆きも完全に消え去った。
ジョゼフのお尻は、まるで剥きたてのゆで卵のようにつるつるのまま守られ、洗濯の時間が劇的に短縮された侍女たちは、手荒れから解放され、空いた時間でジョゼフと笑顔で遊ぶ余裕が生まれた。
「陛下が作られた道具のおかげで、殿下のお尻も、私たち労働者の手も守られましたわ!」
マリー・アントワネット、22歳。
赤ん坊のおしりかぶれという歴史的ピンチを、夫のオタク的観察眼による「画期的な家事ツール」で見事に洗い流し、18世紀の過酷な洗濯労働環境を劇的にホワイト化してしまったのであった。




