第32話 美肌の秘訣は泥の中?
「……王妃様。最近、その……お美しすぎませんか?」
朝の光が差し込む私室の鏡の前で、寝起きの私の顔に分厚い白粉を塗ろうとしていた侍女のランバル夫人が、パフを持ったまま呆然と呟いた。
無理もない。当時のフランス貴族の化粧といえば、鉛や水銀がたっぷり含まれた有害極まりない白粉を、まるで壁の塗装のように塗りたくるのが常識だったのだから。
「塗装なんてしなくていいわ、ランバル。そのまま軽くおしろいを叩く程度にしてちょうだい」
「ですが、それでは王妃様としての威厳が……いえ、すでに威厳を通り越して、お肌が真珠のように発光しておられます……!」
ランバル夫人が震える手で鏡を指差す通り、私の肌は今や、内側から溢れんばかりの生命力と透明感を放っていた。
かつての「過剰な糖分と脂肪分」にまみれ、ストレスで吹き出物が絶えなかった『赤字夫人』の頃とは、土台からして全く違うのだ。
(そういえば、ジャガイモに豊富に含まれるビタミンCは、デンプンに守られているから加熱しても壊れにくいって、前世の美容雑誌か何かで読んだ記憶があるわ。それに加えて、毎日サロペットを着て菜園で汗を流し、サウナで徹底的に老廃物をデトックスして、お風呂で血行を良くしているんだもの。……図らずも、現代日本のモデル顔負けの最強スキンケアと美白を同時に達成してしまったわ!)
この圧倒的かつ劇的な「ビフォーアフター」を、美と若さに異常な執着を燃やすベルサイユの肉食系貴族女性たちが見逃すはずがなかった。
「王妃様! 一体どこの魔術師と契約なさってその肌を手に入れたのですか!? どんな高価な香油をお使いなのですか!」
「その輝き……もしや、ウィーンの奥地に伝わるという、処女の生き血を絞った『不老不死の霊薬』を……!?」
「私にも! 私にもその秘密を教えてくださいませ! 金貨ならいくらでも積みますわ!」
(……そんな恐ろしいオカルトアイテム、あるわけないでしょうが!)
夜会やギルトフリー・カフェに顔を出すたび、目を血走らせて詰め寄ってくる貴族女性たちの凄まじい圧に、私は思わず後ずさりした。
ここで正直に、「毎日ジャガイモと豆のカスを食って、泥まみれで土を掘り、熱いサウナで汗をドバドバ流せばこうなるわよ」と真実を告げても、彼女たちは絶対に信じないだろう。むしろ、もっと「特別で神秘的で、お金で解決できる魔法の何か」を強烈に求めているのだ。
(……待ってよ。彼女たちのこの『美に対する狂気的な購買意欲』。これ、めちゃくちゃ美味しいビジネスチャンスになるんじゃない?)
私の脳内で、前世で浴びるように見た「オーガニック・コスメ」や「高級エステサロン」の狡猾なマーケティング戦略が、メラメラと火を噴いた。
「皆様、どうか落ち着いてちょうだい。……実は、私がこの奇跡の肌を保っているのには、ある『特別な秘密』があるのですわ」
私がもったいぶって扇子で口元を隠すと、夫人たちはゴクリと息を呑んで静まり返った。
「その秘密とは……我が王立菜園が産み出した奇跡の副産物……名付けて、『ベルサイユ・ポテト・オーガニック・クレイパック』のおかげなのですわ!」
「「「ポ、ポテト・クレイパック!?」」」
私はその日の夜、大急ぎで厨房のシェフと、なぜか「新しい化学実験の匂いがする!」と飛びついてきた理系夫・ルイ16世を巻き込み、極秘の製品開発に取り掛かった。
材料は至ってシンプルだ。ジャガイモから抽出した純度100%のきめ細かい澱粉に、王室の森で採れた極少量の最高級蜂蜜、そして肌の鎮静効果があるカモミールなどのハーブをすり潰してブレンドした、特製の泥ペーストである。
「これを顔全体にたっぷりと塗り、成分が浸透するまで十五分間待ちます。その間、我が菜園で摘んだデトックス・ハーブティーを飲みながら、静かに目を閉じて大地の鼓動と精神を統一するのです。これこそが、最先端の美容体験……『大地の恵み・ベルサイユ・スパ』よ!」
数日後──。
ベルサイユ宮殿内に急遽オープンした豪華なスパ専用サロンは、言葉を失うような異様な光景に包まれていた。
最高級のシルクのガウンを纏った公爵夫人や伯爵夫人たちが、ズラリと一列に並んだ寝椅子に横たわり、顔面を「真っ白な芋ペースト」で分厚く塗りたくられているのだ。さらに彼女たちの両目の上には、保湿とひんやりとしたリラックス効果を狙って、薄切りの「生のきゅうり」が乗せられている。
「……ああ、なんだか顔の皮膚がキュッと引き締まっていく気がしますわ……」
「大地の鼓動を感じます……。体の中に溜まった宮廷の邪気が、芋の泥に吸い取られて、浄化されていくようですわ……」
両目にきゅうりを乗せたまま、恍惚とした表情でうわ言を呟く夫人たち。
実際には、デンプンが乾いて固まる際の収縮作用で肌が引っ張られているだけなのだが、「王妃様プロデュースのオーガニック美容法」というプラシーボ効果が合わさり、彼女たちの肌ツヤはプラチナのように輝き始めていた。
瞬く間に、貴族たちの間で「顔に芋の泥を塗り、目にきゅうりを乗せる」ことが、最高のステータスへと昇華したのである。
さらに私は、強欲な美容ビジネスのトップとして、この大人気スパの「入会条件」を、金貨ではなく全く別のアプローチで設定した。
「皆様、真の美しさとは、表面だけを飾ることではありませんわ。恵みを与えてくれる大地への『深い感謝の奉仕』から生まれるのです。ですから、このスパの予約を取るためには、週に一回、必ずサロペットを着て、私のジャガイモ菜園で『三時間の草むしり奉仕』を行っていただきます!」
という、スピリチュアルかつ極めて胡散臭い、もっともらしい口上を並べ立てたのだ。
するとどうだろう。本来なら絶対に自分の手を汚して働かないはずのプライドの高い貴族女性たちが、「これも美しさを保つための神聖な儀式ですわ!」と目を輝かせ、こぞって菜園に繰り出し、猛烈な勢いで雑草を抜き始めたのである。
「王妃様、信じられません、すごすぎます! 貴族のご婦人たちが、自ら進んで嬉々として農作業を……! おかげで人件費が完全に浮き、菜園の収益が天文学的な数字に跳ね上がりました!」
ランバル夫人が、長大な黒字の計算書を手に小躍りしている。美容への執着を利用した、見事な労働力の搾取システムが完成したのだ。
だが、そこへひどく不機嫌そうな、目の下にクマを作ったルイ16世がやってきた。
「アントワネット、非常に困るよ。宮殿中がポテトのデンプンと強烈なハーブの匂いで充満していて、僕の繊細な錠前作りに全く集中できないんだ。それに……」
ルイは、サロンから出てきて廊下を歩いている、ある人物を震える指で指差した。
「……昨日、徹夜で設計図を引いてトイレに行こうとした時、夜中の薄暗い廊下で、顔面を真っ白に塗って両目にきゅうりを貼り付けたポリニャック夫人とばったり遭遇したんだ。流石の僕も、新種の化物かと思って心臓が止まりそうになったよ……」
(あ、スパのペーストを落とさずにそのまま自室に帰る『テイクアウト・パック』のオプションまで付けちゃったから、やりすぎたかしら?)
マリー・アントワネット、18歳。
彼女の保身から生まれたオーガニック作戦は、フランス貴族女性の「底知れぬ美への欲望」を完璧に書き換え、ベルサイユを奇妙な白塗り集団が徘徊する巨大な美容サロンへと変貌させてしまったのである。




